イマドキの介護士は5タイプ ②タイプ別の詳細

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介護
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以前の記事「豊かになる」介護士の5ステップでは、介護士として「豊か」になるためのステップを5段階に分けてお話ししてきました。

それは簡単に言えば「介護士はその定義から見直して突き詰めると『社会福祉の実現』にたどり着く」というものであり、「お金」に代表される物理的な豊かさから「感謝」という精神的な豊かさに移り、そうした「豊かさ」を感じ取る『生命』が介護の本質だと理解するプロセスを説明したものとなります。


「介護士とはなにか」はそれで説明し終えたものと思っていましたが、今時の介護士をよくみて見ると「そうした段階論とは別に『タイプ』でも分けられる」とわかってきました。

その中でも「キラキラ系介護士」とそれを揶揄する介護士の関係性を見て、「お互い同じなのになぜこんなすれ違いが起きているのだろう」という疑問を整理する過程で今回のタイプ分けが生まれました。


そのタイプとは

「キラキラ系介護士」
「ギラギラ系介護士」
「クレクレ系介護士」
「キレキレ系介護士」

の4タイプと、それとはまた別の1タイプとなります。


今回は「イマドキの介護士は5タイプ」と題してそれらのタイプをお話ししていきます。

主に「今の自分には何が足りていないのか」「なぜ職場のあの人はああいう風なのだろう」と悩む介護士さん向けになりますが「介護保険制度を利用する際に、自分や家族と関わることになる介護士さんにどういうタイプがいるのか」という点では誰もが知っておくと役立つ分類になります。

前回のおさらい


「イマドキの介護士」を理解するために【現実】【非現実】の縦軸、【自力】【他力】の横軸を設けると

【現実】【自力】のキレキレ系介護士
【現実】【他力】のクレクレ系介護士
【非現実】【自力】のキラキラ系介護士
【非現実】【他力】のギラギラ系介護士

の4タイプに分けることができます。


ここでいう【現実】とは、目の前の出来事に対して「事実」と「感情」を分けられることです。
それに対して「事実」と「感情」を混同してしまうことを【非現実】と捉えます。

また【自力】とは原因を自分に求める「責任感」であり、原因を他人に求めることを【他力】と捉えます。


こうした「タイプ別」に分けるのは「自分や相手のタイプを理解して解決していくため」であり、「このタイプの介護士はこうだ」とレッテル貼りをするものではないことをご理解ください。


詳細は前回の記事「イマドキの介護士は5タイプ ①タイプ別の概要」をご覧ください。

【現実】【自力】キレキレ系介護士の特徴


キレキレ系介護士を一言で表すと「孤高の人」です。
現実の惨状を理解しているため理想を高く掲げ、そこを目指して一直線に進んでいった結果周りの介護士たちを置き去りにするのが特徴です。

事あるごとに「今何をすべきか」「これから先に何が起きて、どう備えるか」を口にして、その実現の為に公私ともに介護に人生を捧げ、現場では自ら動き回って結果を出していきます。

結果を出すので利用者には「あんたはよくやってくれる」と好かれやすいのですが、同じチームや施設長・経営者には「一人だけいい格好をして」「収益化の邪魔だ」と嫌われやすい傾向にあります。


現実を見据えた上で理想を語るので論理においても感情においても「異を唱えづらい」存在であり、キレキレ系介護士本人としては「なぜ周りもそうしないのか」が全くわかりません。

また「最善」がわかっていてそれを目指さないのは手抜きであって、とても許せるものではないと考えます。その『最善』が「キレキレ系介護士」の基準であって「チーム」の基準ではないことに気づかないどころか、チームの基準自体を否定して自分の理想がチームの基準であるように変えていきます。


これではキレキレ系介護士の基準についていけないチームメンバーにとっては苦痛でしかなく、とは言え表立って否定もできないことからストレス・不満を内に溜め込むことになります。そうしたネガティブな感情が施設全体を覆えばその施設の介護の質は落ちる一方になります。

しかしその元凶たるキレキレ系介護士はそれを「怠けている」と捉えますから、より厳しくチームに当たって是が非でも疲れ果てたチームメンバーを動かそうとしてしまいます。


そこまでして得られる結果が「キレキレ系介護士しか求めていない理想」=「自己満足」でしかないとは決して認められずに。


このようにキレキレ系介護士の課題は「そこまでのものは求められていない」ことを認められない点にあります。なぜ認められないかと言うと、その「求められていない」ことを実現させることに人生を捧げてしまっているからです。

介護現場で利用者本位・自立支援が満足に行えていない現実を直視して、それをどうにか解決しようと学び続け、改善思案し実践を繰り返す日々はキレキレ系介護士を「後には引けない状態」に追い込みます。

後に引けないからこそ「どうすれば実現できるか」に固執して、その妨げとなるもの全てを打ち砕こうとします。

その対象がチームメンバーであっても、施設長・経営者であっても、利用者・家族であっても、地方自治体や国であってもお構いなしで「介護とはこうあるべき」を突きつけ、実現させることが人生の全てになってしまっているのです。


しかし「介護とはこうあるべき」を誰も求めてはいません。


利用者・家族は「自分たちだけでも良くしてくれたらありがたい」くらいの思いで。

チームメンバーは「今日一日ほどほどで働いて、給料を多くもらえればそれでいい」くらいの思いで。

施設長・経営者は「収益をいかに黒字化して組織を存続させるか」くらいの思いで。

地方自治体・国は「社会保障の一環として(違憲にならない)最低限のサービスが実施されていればいい」くらいの思いで介護を考えているのです。


そうした思いの数々が「利用者本位・自立支援」とはかけ離れた『介護の現実』を創り出しているのであり、それを否定してしまうのは「人の営み(=『生命』=介護の本質)」を否定するのと同じなのだと気づくこと。


それがキレキレ系介護士の課題であり、その玉石混交を受け入れた先で「介護」全体を俯瞰できるようになるのです。

【現実】【他力】クレクレ系介護士の特徴

クレクレ系介護士を一言で表すと「妥協の人」です。

現実の惨状を見ているものの「自分でなんとかしたい」とは思わずに「現実ってこういうものだよね」と妥協して受け入れる(現実逃避する)のが特徴です。


この「現実逃避」というのは逃げる対象である「現実」が見えているからこそできるのであり、ここが【非現実】介護士とは決定的に違う点です。「これが現実かぁ、嫌だなぁ」と思い「誰かなんとかしてくれないかなぁ」と願いながらも、自分ができることをそれなりにやっていけるのがクレクレ系介護士なのです。

「こうしてほしい」と願うのは息抜き程度であって、それが叶えられることはほとんどないと受け入れているくらいに現実的です。そして息抜きするのはストレスなく長く働き続けるためですから、ある意味4タイプ中一番「人が求める介護」に貢献している介護士とも言えます。


クレクレ系介護士の課題は「自分ではどうにもならない」と思い込み、最初から諦めている点です。

実際には介護報酬につながる介護ができるほどの実力があり、そこから更に努力すれば「自分がいる組織」をより良くできるポテンシャルを秘めています。

しかし「現実」が見えるからこそ「諦め」が先に来てしまい「誰かがなんとかしてくれるだろう」と淡い期待を抱いて「見て見ぬふり」をしてしまいます。そうした「誰かにすがる思い」が強くなれば次第に「誰かがなんとかするべきだ」という非現実的な考えに変わり「ギラギラ系介護士」になっていきます。

クレクレ系介護士とギラギラ系介護士の境界線は他タイプと異なり曖昧で、二者で「イマドキの介護士」の大多数を占めると見られるため、職場内の「クレクレ系介護士」が現実寄りか非現実寄りかで施設の特色は決まると言えます。


クレクレ系介護士が諦めずに済むためには「小さな成功体験」の積み重ねが鍵となります。


それは「大きな無理はしなくともやれば褒められる」仕事を定期的に与えて評価することであり、そうした評価を積み重ねることで利用者の心象も変わっていきます。利用者に受け入れられれば日々の仕事も楽しくなり「最近なんだか仕事がやりやすくなった」と感じられるようになります。

そうして自分の力で変化を生み出す経験をしていくと次第に「それならもう少しやってみようか」と考えられるようになりますから、小さな成功体験の積み重ねは「誰かにすがる」から「自分でなんとかする」、すなわち他力から自力へと変えていくのです。

【非現実】【自力】キラキラ系介護士の特徴

キラキラ系介護士を一言で表すと「夢想の人」です。

キラキラ系介護士が見ているものは自分の理想ただ一つであり、目の前の「現実」を自分の「感情」で歪めて見てしまい「自分がなんとかしなくては」と思い込むのが特徴です。


「自分の理想ありき」なので、偶然にもその理想がチームの目標や利用者のニーズと合えば上手くいきますが、唯一大切な自分の理想とずれてしまった瞬間から周りとの関係性が崩れていきます。

また「相手がそれを必要としているか」を確認せずに猛進しがちであり、突き進んだ結果望み通りにならずに落ち込んでしまいます。


よってキラキラ系介護士の課題とは「事実確認」なのですが、キラキラ系介護士が自分の理想ばかり追いかけるのは「現実」から目を逸らしたいからなので、事実確認をするのが想像以上に難しいのです。


自分の理想の方が綺麗で、目の前の現実の方が汚れている。
頑張る自分の方が素敵で、頑張らない周りの方が格好悪い。
だから綺麗で素敵な「自分」がなんとかしなくてはいけない。

そうした独善的な価値観で生きている以上、キラキラ系介護士にとって「事実確認」とは「汚れたものを見る」行為ですから、そうする必要性を感じられないのです。


ただこの調子では周囲からの反発を受けて仕事をするのも難しくなりますから、キラキラ系介護士もいずれ必ず「現実」を直視するタイミングを迎えます。

そうなった時に「自分が間違っていたのだ」と思えるなら良いのですが、自分の理想を一番に掲げるキラキラ系介護士はその職場を離れ、次の職場という「自分の殻」へと逃げていくのです。幸か不幸か「語る内容は素晴らしい」ので、人手不足の介護業界では「良い人材」のように見えてしまい雇われやすいです。

しかし当人の本質は何一つ変わっていませんから、次の職場でも同じことを繰り返しすのです。


このようにキラキラ系介護士はいくらでも逃げ続けられる以上、自力で自分を変えることができないためその理想を修正する「理解ある介護士」が必要となります。

キラキラ系介護士の掲げる「自分の理想」の中には、時に利用者本位・自立支援とはかけ離れた「介護の現実」への反発から生まれたものも含まれますから、その理想は客観的評価や実践手法を指導されることで「チームの求める理想」へと変化できます。


元々意欲的なキラキラ系介護士はつまるところ「自分の理想」に課題を抱えているだけなので、その理想を修正するだけで現場で活躍できる介護士へと生まれ変われるのです。

【非現実】【他力】ギラギラ系介護士の特徴

ギラギラ系介護士を一言で表すと「虚構の人」です。

ギラギラ系介護士が見ているものは「自分にとって都合の良い現実(=虚構)」ただ一つであり、目の前の「現実」を自分の「感情」で歪めた結果「(自分たちは被害者なのだから)誰かが何とかすべき」と思い込むのが特徴です。

「自分にとって都合の良い現実」は他の人から見れば「ギラギラ系介護士の虚構」なのだとわかりますが、当人はそれが「自分の望み」であるため、その虚構を手放せずに「そうあるべき」と思い込むのです。


例えば「介護職の給料はもっと高くすべき」とギラギラ系介護士が言っても、介護保険制度の性質上介護職の給料は財源の確保や介護報酬の再設定をしなければ簡単に上げられないのは周知の事実です。

それにも関わらず「財源はある」とか「組織が貯め込んで自分たちに回していない」とか根拠のない虚構を次々に作り出しては「そうなっていない(本来の)現実」を否定し続けるのです。

「給料が低い現実」に対して「それなら自分で稼ごう」という発想にはならず、「高い給料を渡さない国・組織が悪い」と他責で自分たちの現実(=虚構)を是が非でも守ろうとします。



ギラギラ系介護士にとって自分たちの虚構こそが真の「現実」であり、その虚構を理解できない人全てが「現実がわかっていない」のだと誤解します。

ただその虚構が「そうであってほしい」と願う【他力】カテゴリのクレクレ系介護士とは相性が良く、共感して徒党を組むと組織内で「最大勢力」となるのも特徴の一つです。そのため時に意見が通りやすく、「自分たちにとって都合の良い現実(=虚構)」を実現させることがあります。


この時ギラギラ系介護士は「自分たちが正しいから実現できた」と感じますが、実態は「そうした方が都合がいい」存在によって自分たちの「数の多さ」が利用された事実には気づきません。

なぜ利用された事実に気づけないかというと、【他力】とは「他人に人生を差し出すこと」ですから、構造上他力に偏る以上その集団からリーダーは現れず「自分たちをより良い方向に導くべきだと思い込んでいる、実際には【他力】カテゴリを利用したいだけの存在」によって利用されるしかないからです。


直近では「介護職の賃上げ」がその一例として上げられますね。
(参照:「介護職の賃上げ」は「貧しさ」を生む


このようにギラギラ系介護士の課題は「自覚」にあります。

自分たちの見ている現実が「そうであって欲しい虚構」であり、現実とは程遠いものだと。
その虚構は人を集めて大きな力を生み出すが、その力は「より大きな力を持つ存在」に利用されるだけだと。

そうした自覚の先に本来の現実を受け入れ「現実は自分で変えるしかない」と決意することがギラギラ系介護士の「非現実」を「現実」に、「他力」を「自力」に変える道筋となります。

残りの1タイプ「ユニーク介護士」について

ここまでで「イマドキの介護士」の主要4タイプの説明が終わりました。
この4タイプの特徴を理解した後でようやく「残りの1タイプ」の特徴が見えてきます。


その「残りの1タイプ」とは、主要4タイプから「介護士の5ステップ」を通じて『介護の本質』を理解し独自性を手に入れた「ユニーク(独特な)介護士」となります。


ユニークとは「唯一の」「独特な」「比類のない」といった意味で、実際には『○○介護士』というような呼び方をされているのを多く見かけます。


元々は主要4タイプのうちの1タイプから始まり、介護歴を重ねる中で「介護士の5ステップ」を上がっていき「介護ってこういうものなんだ」という『介護の本質』を理解していきます。

その本質は介護現場で何度も検証していく中で磨きが掛かり、やがて「その人にとっての『介護の本質』(=独自性)」へと仕上がるのです。


ただ磨き上げが少ない場合、まだ独自性に荒さが見られる場合があります。

観測上ステップ3「改善」に至った辺りから介護の本質が見え始めますが、この段階ではまだその本質が当てはまる範囲が限定的なため、「分析」→「検証」→「実践」の繰り返しが求められます。
(参照:「分析」→「検証」→「実践」)


またステップ4「コミュニティ」ステップ5「社会福祉」を辿らずにユニーク介護士を名乗る場合は時に合理性に偏り、『ヒト(介護)』よりも『コト(介助)』を重視してしまう傾向にあります。

「利用者の幸せのために介護をするのではなく、利用者の必要とする日常生活を介助する」のが介護報酬の傾向ですから、合理性に傾けば介助重視となり利用者を二の次にしてしまうのです。


一方で介護に入れ込み過ぎる介護士もステップ4に多く、こちらは「自立」と「依存」の違いを理解せずに利用者と自分自身を互いに『願いを叶える装置(コト)』にしていきます。
(詳しくはステップ4「コミュニティ」にて)


このように「ユニーク介護士だから良い」のではなく、独自性を持つために「何をしてきて、これから何をするのか」という言動がその介護士の本質を語るのです。

「磨き上げられた本質」という軸があるからこそ『○○介護士』が周囲に受け入れられるのであり、自称『○○介護士』はまだ「○○系介護士」のカテゴリ内にあります。


その介護士が独自性を持つ為には「〇〇系介護士」全ての特徴を掴み、介護の現実を俯瞰した上で「いま介護で何をするか」の答えを得る必要があるのです。


介護ブログの他にも、介護ニュース等などを取り上げるnote、読書にまつわるアメーバブログを運営しております。



また僕が介護を考えるうえで参考になった書籍を紹介しますので、よかったら一度読んでみてください。


本からの学びは揺るぎない自信へとつながっていきます。

介護を自分の「感情」頼りにするのではなく、知識や経験に裏付けられた「事実」と併せて行うことで、介護はすべての人を豊かにしていくことができるのです。


一緒に学んでいきましょう。


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