忘れがたい利用者さんとの思い出 ④専門職として働く意味

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介護
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前回に引き続き、今回も「忘れがたい利用者さんの思い出」についてお話していきます。

強さと弱さの「絶対値」を取り、「想いの強さ」で共感する。
そうして受け入れられた僕がその後どうなったか。

今回はそのような話になります。

想いに届く

僕が着替えを手伝い終えるとその方は「すまんな」と一言言われて浴室へ入って行きました。


基本その方への介助は見守りですが、入浴だけはジロジロ見られるのが嫌なようで、僕もパートさんも脱衣室から遠巻きに見守るようにしていました。

さすがに浴槽まで続くスロープまでは付き添いをしましたが、そこから先はその方一人で過ごしてもらいます。

「転んだら危ないんじゃない?」と思われるかも知れませんが、その方にとっては麻痺している自分を見られるほうが苦痛だったようなので、そこに下手な関与はしないようにしました。


その方が浴室から戻ってきて、今度は声掛けをするでもなく着衣の介助をしました。
「脱衣はよいが着衣はダメだ」というような雰囲気ではありませんでしたし、そこまで確認するのは野暮だと思ったのです。

全てが終わって脱衣室を出る際、その方はまた地の底を震わせるような声で「ありがとうな」と言われました。


それに対し、僕は返事をせず会釈で応えます。

なぜなら、返事をする事でこのやり取りを他の人に知られるのはその方の望むところではないと察したから。

これまでの距離感を一方的に崩されるのは照れ臭いし、案外しんどいものだと僕自身が孤独の中で経験してきたから。

だから今は、こうして首を垂れるのがいいのだと思いました。


僕の姿を確認した後、その方は杖を付きながら脱衣室を後にしていきました。

一筋、額から汗が流れ落ちて目の中に入ってきました。

その方がいなくなった脱衣室には浴室からの熱気がまだ残っていて、僕は自前のタオルでサッと顔をぬぐいます。


僕のやったことは間違いではなかったと、じわじわと達成感が全身に行き渡ってきました。

介護の仕事を始めて4日目。
自分には介護は向いていないと散々思い知らされた三日間が、嘘みたいに空っぽで。
ただただ、その方の想いに届いたことが嬉しくて仕方がありませんでした。


そんな幸せに感じ入る僕の背中を、パートさんが叩いてきました。
何事かと思い振り返ると、パートさんは笑いながら僕にこんなことを言いました。


「あんた、すごいね。あの人に『手伝わせてください』と言ったのあんたが初めてだよ」


その言葉の意味を、即座に理解できませんでした。


「あそこまで踏み込んで喜ばれるなんて、誰も出来やしなかったよ。大抵その前に喝入れられて終わり。あんたは他の人とは違うんだね」


嬉しそうに話すパートさん。
僕はその言葉をどう受け止めていいか分からず、ひとまず頭の中でこう結論付けましたた。


「僕がその方に寄り添うことができたのは、きっと僕自身がずっと孤独だったからだ」と。

孤独とは

長く孤独にいると同じ雰囲気というか、臭いというのが感覚でわかります。


人とつながる苦しさと辛さと、そして妬ましさとが入り混じって出来た暗い感情は受け取る側には毒となります。傍にいるだけで同じような感情を引き起こされて心がしんどくなってしまうのです。

すると、誰もその毒に当てられたくないから「近寄りたくない。関わりたくない」とその人を遠ざけてしまいます。それが余計にその人を孤独にして、暗い感情を溜め込ませてしまうのです。


そうして自分を理解してくれる人が少なくなるのは、やっぱり辛いものです。

一人で向き合うには孤独はあまりに痛い。あまりに寂しい。

ともすれば誰かを傷つけてでも人と関わろうとせざるを得なくなってしまうほどの、そのどうしようもない心の飢えが「人とつながっている人々」には伝わりにくいのです。


「誰かに助けを求めれば良かったのに」と当たり前のように言われてしまうくらいに。



その方の身に起きたこともきっと同じで。
人のため、地域のために気を緩めず尽くしてきた人生は、一方で人を受け入れることが出来ない人生でもあったのでしょう。

誰かを受け入れてしまえば情にほだされ判断を誤る。
それを良しとしなかった人生は、地域全体で見れば多くの人を助けることになったのでしょう。

その代償に「個人」が受け入れづらくなってしまったのだとしたら、誰かがそういった人を助けにいくほうが良いはずです。


その孤独を感じ取れる誰かが。


だから。
その方の中にある孤独を感じ取れたとき、僕はその孤独に引き寄せられるように動いたのです。

それから ~介護の専門職として働く意味~

浴室から戻ってきたその方が怒る様子がなかったのが幸いしたのか。
はたまた一部始終を見ていたパートさんが「あの子はすごい」と言いふらしてくれたのか。


その日を境に、僕への扱いは手のひらを返したかのように良くなっていきました。


その方の対応を安心して任せられるのですから、職員としても自分が対応せずに済むのでありがたい。
利用者さんとしてもその方の機嫌が損なわれる可能性が低くなるわけですから「こいつがいてくれたほうが良いぞ」となるわけです。

加えて「その方の対応をうまくやるだけのこいつは本当にすごいやつなのかもしれない」という錯覚が生まれ、そう錯覚してもらえるうちに仕事を覚え、名実ともにその施設での仕事をこなせるようになっていきました。


僕が介護士として花開くようになったのは、その方に出会えたおかげです。



ともすれば介護士は「日々の業務さえこなしていればそれでいい」とみなされがちですが、それはあくまで最低限の話であって、その先にある「人の、どうにもならない想い」に触れることこそ介護士の本質なのだと学びました。

介助をするだけなら職員である必要はなく、家族でも行います。
お金をもらう分だけ働くのであれば時給払いで事足ります。

では、介護の専門職として働く意味。

雇用主にとって「正規職員として雇いたい」と思わせるもの。
職員にとって「この人の考え方を学びたい」と思わせるもの。
利用者にとって「この人の介護を受けたい」と思わせるものとは、なにか。


それが「想いに触れる」ことなのだと、働き始めて四日目の当時、派遣社員の身でありながら学ぶことが出来たのは幸福でした。

エピローグ ~その方との別れ~

その後僕はその方の「爪切り担当」となっており、毎週末にその方が来たときは必ず「頼むわ」と言われ、僕は毎週爪を切らせてもらいました。

周りも「その方の爪切り担当はナカさんだ」とわかっているため、そちらの業務を優先できるよう取り計らってくれます。


麻痺側の指は若干巻き爪になっているためかなりの集中力を使いましたが、15分くらいかけて切り終えると「すまんな」と一言お礼を言われました。

僕の中には爪を切る間の静寂と一体感。スポーツをやり切った後のような爽快感と、その方の喜びとが同時に伝わってきて代えがたい充実感が生まれていました。


おそらくその方にとっても心地よい時間だったと思います。
でなければ、僕以外の職員に爪を切らせなかった理由がないのですから。


そうして過ごした日々も終わりを迎えようとしていました。
派遣社員として一年働き、契約満了の時期が近づいてきたのです。

派遣社員の契約更新はできず、その施設の正職員になるか、別の施設で派遣社員として働くかの二択を迫られることになりました。


当時の僕はさんざん悩んだ結果、後者を選ぶことにしました。


その方との日々は大切なものでしたが、仮にその施設の正職員になったからと言ってずっとその部署で働けるわけではありません。

一度異動が決まればその方の側にいられなくなる以上、「その方のために正職員になる」という選択の仕方では後悔が生まれます。


また、僕の中では「もっと介護士としての経験を広げていきたい」という思いも生まれていました。

その施設での介護はレクリエーションが主で、食事・入浴・排泄といった身体介助を本格的に行う機会が少なかったので、このまま働き続けていても介護士として一人前になれる未来が想像できなかったのです。


この二つの理由から、僕は派遣社員として別の施設に移ることを決めました。
そしてその決意を利用者さんに、その方に自分から告げることはありませんでした。



それは僕自身の人生経験が浅く、何と言って伝えてよいものかわからなかったためです。

それまでの人生の半分以上を「人と関わらない・話さない」という孤独の中で生きてきた僕には、例えば卒業のときに別れを告げる友が学校に一人もいなかったのです。

僕にとっての卒業とは「努力の成果として卒業証書を受け取るだけの儀式」であって、別れを惜しむような、まして涙を流すような経験がまるでなかったのです。


ですから、別れが生む哀しみについて僕は無頓着でした。
そしてそのことを知ってか知らずか、契約満了となる一か月ほど前にその方から「あるもの」をいただきました。



その日は息子さんの帰宅が遅くなるということで、その方は時間を延長して施設に残っていました。

僕は派遣社員としての契約時間を過ぎてはいましたが、その施設で最後になるであろうヒマワリの貼り絵の下絵を完成させるべく残ってその方と一緒にいました。


夕食後、職員さんが僕が下絵を描いたアジサイの貼り絵をやりましょうと提案し、その方も珍しく貼り絵をやってくださいました。

人前では麻痺側の腕を気にしてそういった手作業は一切やらない方でしたから、健側の手でゆっくりとアジサイの花を形作っていく様子は新鮮でした。



5分するかしないかのところでその方は手を止めて「もういいわ」と言われました。

職員さんとしては5分もやってくれるとは思わなかったのもあり、「ありがとうございます」と言って貼り絵の材料を片付け始めます。


その最中「この貼り絵、彼が下絵を描いてくれたんですよ」と職員さんがその方に教えると、やや間があって「綺麗だな」とおっしゃられました。

あまりに意外だったので僕がやや甘噛みで「ありがとうございます」と早口に言うと、その方はおもむろにバッグから一枚のカードを取り出しました。


それはその方が「瑞宝章」を授かった際の記念品となる図書カードでした。


当時の僕は「瑞宝章」がどれだけすごいものかよくわかっておらず、ただ「すごいもの」という認識でしたので、そういったものを授かるその方はやはりすごい人なのだな、と思いました。


その方は、その図書カードを職員さんと僕に渡して「やるわ」と一言おっしゃられました。

一瞬何を言われたのかわからず戸惑っていると、職員さんは「わぁすごい!ありがとうございます!」と言ってそのカードを受け取りました。僕もあわててそれに続くとその方が珍しく満足そうな表情を浮かべておられました。



それが、その方と僕との最後の思い出です。

その方より渡されたその図書カードは今でも大切に持っていて、辛いときや苦しいときに見返しては「この辛さや苦しさが人を助ける力になる時が来るんだ」と自分を奮い立たせるようにしています。


その方の想いは形を変え、今なお僕へと紡がれているのです。

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