かけがえのない利用者さんとの思い出 ③成長の余白

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介護
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前回に引き続き、かけがえのない利用者さんとの思い出をお話しします。

「障害のある世界」について初心者である僕たちは、
熟練者である彼らから学ぶ姿勢が求められる。

そのエピソードの続きとなります。

なお「障害」の表記については「障がい」とするのか「障害」「障碍」とするのかで様々な考えがあるかと思いますが、僕個人は「表記の仕方で障害にかかわる諸問題の本質が解決するものではない」という考えですので、私的立場においては以降「障害」の表記を用いることをあらかじめご了承ください。

温め、ときに破壊するもの

彼との食事の後、彼と一緒に休憩スペースに行きました。


職員は休憩中も彼らの見守りをします。
派遣社員である僕は弁当持参だったので、その休憩スペースで昼食を取るのが常でした。

車いすで休憩スペース前まで行き、彼を立たせて車いすから降ろします。
彼は大柄ですが立って歩くことはできないので、彼を抱えて布団の上に寝かせる必要があったのです。

床に腰を落ち着かせると、彼は器用に自分で靴を脱いでその辺りにポイッと放り投げます。
そして休憩スペースの端あたりまで行くと、その場で手の甲を顎に当ててカクカクと音を鳴らし始めました。


「遊ぼう」という気配を物凄く感じたので、僕は彼の手の届かない場所でお弁当を食べていました。


すると、です。
彼はこちらをジーッと見ながら僕が食べ終わるのを待っていました。

何だろうと思ってそそくさと食べ終えてゴミを捨ててくると、待ちかねたかのように上半身を起こして僕に襲いかかってきました。


完全に体格負けしていたのもあり、僕はそのまま押し倒されます。

(一体何をされるんだ?)
僕が何とか彼の体を横にずらしてポジションを取ると、彼は全力で僕を抱きしめてきました。

その時の彼の顔は一切の悪意を感じさせない無邪気な笑顔で、彼の瞳の奥には無限の力を感じさせる煌々とした輝きがありました。


ああそうか、彼は本当に「人」が好きなんだ。
好きだから手を伸ばして触れようとするし、手が届けば力一杯引き寄せようとする。

しかし彼の激しい熱量は時に破壊を生み出す。
それを恐れて彼から人や物を遠ざけてしまうのだ。

故に、手に届くものは全力で引き寄せる。
そうしなければ望むものが遠ざけられてしまうことを、彼は何度も何度も体験してきたのだろう。


彼はまさしく太陽だ。
そして僕は今、その太陽の中心にいる。

ここで僕のできることは何だ?
彼の側からいち早く逃げ出すことか?


答えはわかりきっていました。

太陽に目がくらむ

思えば、孤独の寂しさを僕は嫌と言うほど知っていました。


僕が12歳のとき体験した「心折れたときの話」」や「人と話せなかった僕が、人と関わる福祉で10年以上働く理由」でもお話ししたように、12歳の時にコミュニティから離れてから満足に人と関われていない僕は、言ってしまえば彼よりも孤独に苦しんでいました。
 
素直に手を伸ばすこともできず、かと言って離れたくもない。
どうにかしたいし、どうにかしてほしい。そう願ってやまないけれど何かがそれを許さない。


その点、彼は純粋です。
僕がつまずいている所など軽々しく越えているのですから。
 
素直になれたらどれだけ楽か。
どれだけしなやかに生きてこられたか。

純粋に自分の想いを表現できたら多くのことに傷つかずに済んだでしょうし、こうして福祉の道を行くこともなかったでしょう。

それを悔やみはしませんが、ただ、目の前で緩み切った笑顔を見せる彼の姿に目がくらむ。
「求める」ことにおいて、僕は彼を純粋に羨ましく思いました。


彼の手が再び僕の体を捕まえようとします。
無邪気な顔で。無邪気なままで。

僕はその手を自分の手で受け止め――ゆっくりと払いました。


「そんなに力一杯引っ張ったら危ないよ」


その言葉のあと僕は彼の手を取り、軽く握り締めました。

 
「僕らはここに居るから、力任せに引っ張らなくても離れたりしないよ」


手のひらからお互いの体温が伝わってきます。
彼の手の方が温かく、僕の手の方が柔らかい。


僕の行動が意外だったのか、彼は数刻僕の手を握っていました。
そうして、手を放して再び僕を引き寄せました。


たまたま休憩スペースにやってきた職員さんが「ちょっと大丈夫?!」と心配してくれましたが、僕は一言「大丈夫です」と答えて彼の体を悠々と離しました。

~ つづく ~

小休止① ~成長をうばっていないか~

誰もが自分の望むものを手に入れようとします。
それがあれば自分の心が満たされると感じていて、どうにかできないかと手を伸ばします。


一度でも手に入れられたなら、心満たされる感覚を得ます。
そしてそのよろこびを、しあわせを、心はしっかりと覚えていくのです。


次また手に入れるときの原動力とするために。


ところが、毎回自分の望むものが手に入れられるとは限りません。
何かしらの理由があって手に入れられないことも多々ありますし、長く生きるほど「人生はそういうものだ」と折り合いをつけていくものです。

それでも手に入れようとするとき人は切磋琢磨し、自分を成長させていきます。
そしてそれは、重い障害を持つ方でもなんら変わりありません。


唯一変わることがあるとすれば、周りがその機会を取り上げる可能性が圧倒的に多いということです。


何をするかわからないから、人や物から遠ざける。
ケガをしたりさせたりするから、近づけさせない。
変なことを覚えられては困るから、挑戦させない。


そんな周りの都合で、その人が成長する機会を一方的に奪い取ってしまうのです。

もちろんケガや事故を起こしてはいけませんし、それによって心をも傷つける人が出てもいけません。
機会を取り上げることでそういった危険性を防ぐことはできるでしょう。


ただ、それによって成長の機会を奪われた人はどうなるのでしょう。

「これは危険なんだ」と学ぶことなく、自分の手の届かない所に一方的に遠ざけられた「欲しいもの」を延々と見せられ続けるというのは、どれだけ辛いことなのでしょう。


「自分だけ除け者にされている」「期待されていない」「求められていない」


そういったメッセージを言葉ではなく態度で示されるというのは、心にくるものがあります。

小休止② ~人が失敗する価値は「成長」にある~

そしてこの「成長が奪われる」話もやはり、障害のあるなしに関係がありません。


子どもを育てるとき、部下を育てるとき、組織を育てるときにも変わらず「挑戦を奪い、学ぶ機会を失わせる」発想をしてしまいがちです。

そうして「大きなミスはしないが挑戦もしない」人や組織が生まれ、また同じようなものを延々と育てていく。

日に日に変化する状況を後追いするばかりの日本の現状はこの循環をたどった結果だと言えますし、一度生まれた循環は簡単には止められませんから、今後もこの流れは惰性で続いていくのでしょう。


失敗を恐れるあまり、失敗を許せない社会をお互いに生み出しているのです。


教育であれ、投資であれ、福祉であれ、そこに人が携わる以上リスク(危険性を含む可能性)を先に取らなければリターン(期待される収益)は得られません。

なぜならリスクとは単に危険といった「悪い結果」を意味するだけではなく、期待以上という「良い結果」をも含んだ意味を持つからです。

良し悪し含んだ「可能性」こそリスクであり、そうしたリスクを取りに行けるのは「意思を持つ人間」にしかできません。


たとえばプログラムは統計データから限りなくリスクを回避すること、もしくは決められたルールの中でリスクを取りに行くことはできますが、根拠もなく独自でリスクを取りに行くようにはできていません。

あくまでデータから判断して「そうしたほうが効率的である」という答えにたどり着いた結果、ルールに則り動くのみです。


ですからプログラムには「意図的に組み込まれた失敗」はできても、ただ失敗することができません。そしてその「ただの失敗」から学ぶこともありません。

「ただの失敗」は人だけが得られる結果であり、その結果がもたらすあらゆる可能性、ときに期待以上の収益を得られるのも人だけなのです。



これだけプログラミングなり人工知能なりが発達し今後も急速に拡大し続ける社会の中で、それらと同じように生きていては人に勝ち目はありません。

「人工知能によって今後多くの人が仕事を失う」という話が出て久しいですが、それは人生の多くの場面で「挑戦せず、失敗もしない」選択をしてきたからに他ありません。


目まぐるしく変化する現代社会において「変化せず失敗できない者」が得られるものはわずかであり、それはそれまでの社会が定めていた「安定」の定義そのものが変化していくからです。

これまでは堅実に「挑戦せず、失敗をしない」ことが安定を生み出していましたが、現在では堅実であること以上に「挑戦し、失敗から学ぶ」ことが安定を生み出します。

堅実さは機械が担うので、そこを人がやる必要がなくなります。
機械が担えない「失敗から生まれる可能性」こそ人が担う部分であり、今後はそこに人の価値が集約されるのです。

そうしてこそ、人は人に求められる。
自分も相手も安定させることができるのです。


ですから、人の成長を願うなら、最低限の危険性を取り払ったうえでリスクを取らせること。
失敗という「成長する余白」をきちんと与えること。
そしてその背景に「あなたに期待している」という想いを添えること。


これらを備えて日々関わっていくことで人は自立できるのだと考えます。



ここまで読んでいただきありがとうございます。


今回の記事を書くにあたり参考にした本を並べておきますので、今回の記事を読んで

「人工知能ってどういう風なんだろう」
「そういえばテクノロジーについてあんまり知らないなぁ」


そう感じられた方は下の画像から購入ページに飛べますので、これを機に読んでいただければ幸いです。

【併せて読みたい記事】
人と話せなかった僕が、人と関わる福祉で10年以上働く理由
僕が12歳のとき体験した「心折れたときの話」


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