介護士が自分と向き合わないとどうなる?

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メモの魔力
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これまで数回にわたり「自分と向き合う」をテーマに記事を書いてきました。

そのなかで「じゃあ自分と向き合わなかったらどうなるの?」と思われた方もいるかと思いますので、今回は「自分と向き合わないとどうなる?」というお話をしていきます。

ある日のこと

「自分と向き合わないとどうなる?」という話をより現実味をもって知っていただくため、過去に体験した出来事を先にお話していきます。


以前このような出来事が起きました。

仲の良くない利用者さん二名が隣り合って並び、しばらくお互いににらみ合った後、一方が軽くちょっかいを出しました。
するとやられた方がとっさにやり返し、そのことに驚いて最初に仕掛けた側が椅子から転落されてしまいました。


このような状況をその場にいた職員の誰もが見過ごしており、転落した音でようやく事態に気づいて対処に当たりました。

どの施設でもありがちな事故なだけに「私の施設でもこんなことあった」と思う介護士さんもいることかと思います。

幸いこのケースでは怪我も後遺症もなく事態は穏便に済みましたが、問題はここからです。


「職員が誰一人その瞬間を見ていない」わけですから、上の内容はあくまで状況分析による推測でしかありません。

そのうえ万が一怪我をさせていれば施設の信用問題、しいては施設存続にかかわるほどの重大な案件です。事態を重く見た施設長はその日に緊急会議を開いて再発防止策を打ち出すよう指示しました。


一時間弱にわたる会議のすえに再発防止策を決定し、翌日からその策を取り入れました。
以下はその策を簡潔にまとめたものです。

①職員配置の変更
②利用者の位置関係の把握と調整
③「その日」の利用者さんの情報を共有


「誰一人として目撃できていない」のは、職員配置に偏りがあって死角が生まれていたからと推測できます。

また事前に「仲が良くない」とわかっていたわけですから、そういった二人が隣り合わないよう配慮し、調整することも大切です。

加えてその日の利用者さんの体調や気分によって衝突の起きやすさも変わりますから、朝の段階でそういった生きた情報を共有することで職員の注意を向けることにもなります。


対策としては差しさわりなく即座に思いつきそうなもので、利用者さんや家族さんからすれば「仲が良くないってわかってるなら最初からそうしなさいよ」と言われてしまいそうですね。


介護現場は流動的であり対策通りとはいきにくいものですが、策が功を奏したのか、はたまた偶然の産物か、その後半年近く事故は起きませんでした。

時は経ち…

その出来事から半年余り。
まったく別の利用者さん二名が同じような出来事を起こしてしまいました。

しかも今回は軽傷とは言え相手に傷を負わせています。
いよいよ施設の責任問題となる案件であり、一時施設内は騒然としていました。


対応に追われながらも怪我の処置や各種調整、被害者本人・家族にも謝罪を入れて一段落付いたのち、改めて「以前打ち出した対応策はどうなっていたか」が気になったため独自に調査しました。

①職員配置の変更
②利用者の位置関係の把握と調整
③「その日」の利用者さんの情報を共有


結論から言えば、①~③の全てが守られていませんでした。

「その日」の利用者さんの情報が共有されておらず、気持ちが不安定な状態にもかかわらず隣に利用者さんを座らせていました。加えて怪我をさせた瞬間を目撃しておらず、大きな音に振り返ってようやく事態に気が付いたのです。


半年前から、何も変わっていなかったのです。


挙句、加害者側の家族さんへの説明をその場に全く関与していない職員にさせようとしていたのですから、いよいよ事態は深刻だと感じました。

もしそのまま事情を知らない職員から事態を聞かされてしまったら、その家族さんは「なんでそんな大事なことを事情をよく知らない職員に伝えさせているのか」と施設の対応に不信感を募らせていたかもしれません。

頼まれた職員が「その場にいなかった自分に頼むくらいだから事態はそれほど大したことじゃないんだろう」と感じて軽い気持ちで話してしまっていたら、後戻りできない事態に発展していたかもしれません。


そうした最低限の想像力が働かなかったこと。
事の重大さ、責任の重さを感じられなかったこと。

それらすべて、普段から「自分と向き合えていないこと」が引き金となっているのです。

介護士が自分と向き合えていなかったら

以前の記事「介護士と自己分析 ~みんなで幸せになるために~」でお話ししたように、自分のことがわからなければ他人のこともわかりようがありません。

「自分のことを省みない人に他人のことはわからない」という話です。


「あのとき、どうしてこうなったんだろう?」
「こうすればあんなことにはならなかったのに」

なにか問題が起きてしまったとき、このように考える習慣があるかどうか。
どこに原因があって、どうしてそうなったのかを突き止め、次にどうするか。
そうして決めたことに責任を感じられるか。

こういった心の動きは自分と向き合う人、言い換えれば「反省する人」にしか身につかないものです。


自分と向き合わないというのは「反省しない」ということですから、過去から何も学ぼうとしません。
責任が自分にあるとは思わず、誰かのせいにして自分を守ろうとするのです。

そして介護士がそのような態度を取れば、その介護士からサービスを受ける利用者さんは「何かあったら自分のせいにさせられるかもしれない」と不安を覚えます。


その不安に掻き立てられ「良い人」を演じる利用者さんは、心が疲れ切ってしまいます。

不安に苛立ちを覚える利用者さんは暴れだし、絶望した利用者さんは反応を無くします。


より良い生活を送るために福祉サービスを受けようとしているのに、なぜ福祉サービスを提供する介護士によって生活を脅かされなければならないのでしょう?

介護士が自覚・無自覚に関わらず「誰かのせい」にしてしまうと、このような理不尽を生み出してしまいます。

反省しても無駄なこと?

自分を省みて次の行動へとつなげる習慣を身に付けたとき、「次の行動」によって成果が出せるようになっていきます。

なぜなら、その行動の精度は反省することで増していくからです。
そしてそれは、なにか失敗してしまったとき「まぁいいか」と思うか「次は失敗しないようにしよう」と思うかの差です。


「まぁいいか」と思う人は失敗から何も学びませんから得られるものはありません。ゼロです。

「次は失敗しないようにしよう」と思う人は失敗から多くのものを学び取ることになります。プラスです。


もしこれが積み重なればどうなるのでしょうか。

例えば前者を「0」、後者を「+2」とし、一か月に一度別の失敗する想定で一年を過ごした場合で計算してみましょう。

前者「まぁいいか」         → 0+0+0+…=0
後者「次は失敗しないようにしよう」 → 2+2+2+…=24

一年後には「0対24」となっている


こうして数字で出されると「反省しない」ことの怖さが伝わってくるのではないでしょうか。


反省しなければ、その人がどれだけ失敗を重ねても成長しません。
その都度反省していけば、積み重ねによってその人は大きく成長します。


そのうえ「まぁいいか」と考える人は自分が成長を感じられないのですから、周りも成長していないと誤解します。
まさか反省し続けることで大きな差が開いているとは夢にも思わないわけですね。

そうして自分が感じる限りでは何をやっても変わらないのだから、「次は失敗しないようにしよう」とする人の行動を不思議に思うようになります。


「どうせ何も変わらないのに、無駄なことしてるなぁ」と。

反省の積み重ねがもたらすもの

「まぁいいか」と思う人がそんな思い込みをしている間に、「次は失敗しないようにしよう」と思う人は失敗から多くのことを学びます。

一度や二度の失敗ではその学びをうまく活かすことが出来ないかもしれませんが、反省し学び続けることでその積み重ねが花開く瞬間が訪れます。


その瞬間は、突然来ます。


ふと気づいたとき、それまで出来ていなかったこと、見えていなかったことがわかるようになります。
視界に映る光景から「このままだと問題が起きる」という確信めいた予測が立つようになるのです。

すると「その問題が起きる原因を先に押さえておけばその問題は起きない」と気づきます。
しかも自分にはその原因が見えているため先回りできます。

そうして問題を未然に防ぐことができるようになると、その問題が起きたときに被害者になるはずだった人から感謝されることがあります。


「ことがある」というのは、未然に防ぐことで現実にはその問題は「起きなかった」ため、被害者になるはずだった人が「自分が助けられた」と感じられるとは限らないからです。

場合によっては周りから「余計なことをしている」ようにも見られ、「せっかくやったのになぁ」とガッカリすることもあるでしょう。


それでも。


「次は失敗しないようにしよう」とし続けるうちに、その人を中心に問題が起きなくなる事実に周りが気づき始めるのです。

そしてその理由がその人にあるとわかったとき、それまで見向きもされなかった積み重ねが一気に開花することになります。


周りから信頼され、重宝され、なくてはならない存在と扱ってもらえるようになり、仕事が楽しくなってきます。
大きな仕事を任され昇進への道も開かれるでしょうし、それに適う実力も身に付けられるようになります。


そうして自分の成長をひしひしと感じられるのは、この上ない喜びとなります。

まとめ ~「まぁいいか」より「もうやろう」~

介護士が自分と向き合わないとどうなるか。
それは「他人に理不尽をもたらすばかりではなく、自分を停滞させる」ということでした。

停滞する怖さは「積み重ね」との対比で浮き彫りとなり、あなたが仕事で成果を上げられる理由、もしくは上げられない理由がはっきりと伝わったことと思います。


「まぁいいか」と思っているうちに「次は失敗しないようにしよう」と自分を省みる人との差はみるみる開いていきます。

「そんなことしても無駄なのになぁ~」と眺めているうちに、その人を中心に職場が回っている事実に気づかされます。

その時になって「あれ、なんでこんなに差がついたんだ?」と思っていては遅いのです。
その頃にはもう取り返しがつかないほど実力に差がついてしまっているのですから。



「自分と向き合う必要性はもうわかった。それで、何をしたらいいんだ?!」と思う方には、自分と安全に向き合える方法が書かれた「メモの魔力」という本をお勧めします。


紀伊國屋書店限定で「前田裕二『メモの魔力』モデル MOLESKINE クラシック ノートブック & ジェットストリーム ピュアモルト 4&1」も販売されています。

販売ページ:紀伊国屋書店


『メモの魔力』モデルの元となったノートやボールペンも紹介します。


以前書いた記事「僕は自己分析で「メモの魔力」のメモ術をお勧めする」と合わせて読んでいただければ、「メモの魔力」のメモ術が自己分析に留まらず、これまで話してきた


「分析→検証→実践」(どうだったか→どういうことか→どうしていくか)


という思考法を習慣化するメモ術であることがわかるかと思います。
ぜひ一度手に取って読んでみてください。そしてメモを取ってみてください。


僕自身は2019年1月3日から今日まで欠かさず毎日1つメモを取っており、一年半以上経った今も継続しています。

メモが見たい方はこちらから ↓
ナカさん@しるしの魔術師(@magicofsign)のinstagram


例えば今回の記事に対してもメモを取っています。


こうして毎日自分と向き合うことを積み重ねてきた結果が今回の記事であり、想い紡ぐ介護士としての僕を形作っています。


ですから、もしメモの魔力を読んで実際にメモをしてみたけれど

「これどうやったらいいんだろう?」

と悩まれたときには、こちらにコメントしていただければ僕のやり方をお伝えできますので、これを機に自分と向き合うことをお勧めします。

【併せて読みたい記事】
自分と向き合うべきただ一つの理由
僕は自己分析で「メモの魔力」のメモ術をお勧めする
介護士と自己分析 ~みんなで幸せになるために~


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