「介護職の賃上げ」は「貧しさ」を生む

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2021年10月8日の岸田新総裁所信表明演説の「成長と分配」における『分配戦略』の「第3の柱」として「看護、介護、保育などの現場で働いている方々の収入を増やしていく」ことが述べられました。

それを受け「介護職の賃上げ」への期待が高まる一方ではありますが、「現実にそれが可能か」についての意見が少ないように見受けられます。

そして「介護職の給料を上げる」ということが「社会全体を貧しくする」という予測がついていないようにも。


なので今回は「介護職の賃上げ」が実現された未来が「貧しさ」を生む理由についてお話ししていきたいと思います。

介護職の給料、その財源が「貧しさ」を生む

「介護職の賃上げ」について考えるとき、真っ先に考えなければならないのが「どのように介護職の給料が渡されているか」、すなわち『財源』についてです。


なぜ今更この話をするのかというと、シンプルに財源を抜きにして「介護職の賃上げ」は成立しないからなのですが、世論や記事を拝見してもこの『財源』について意見を出している方をほとんど見かけません。

多くの方が「いくら上がるのか」とか「いつからか」ばかりに目が向いており、「そもそもどうすれば賃上げが可能になるのか」を見失っているのです。想像の中で「賃上げ」を確定させて「操られやすい状態」に陥っているわけですね。


今回の「介護職の賃上げ」は国主導で行うものですから施設独自の収入源は考慮しません。その収入源があてになるなら今回のような賃上げは話題にならず、労働組合等の問題となっているはずですからね。


介護職の給料の多くは介護保険料によってまかなわれる「介護報酬」となります。
現状この「介護報酬」が十分でないために介護職の給料が上げられないわけですね。

その介護保険料の財源は「保険料」と「公費」がそれぞれ50%で割り振られていますから、介護職の給料を上げるためには「保険料」か「公費」を引き上げなくてはなりません。(2022年2月から9月までは交付金等で対応)


この構造を理解した上で「介護職の賃上げ」がなぜ「貧しさ」を生むのかを見ていきましょう。

介護職の賃上げ① 保険料を上げたらどうなる?

介護職の賃上げを実現する方法の一つが「保険料を上げる」です。

この保険料とは「介護保険料」のことであり、「満40歳に達した時から(40歳以上の全ての国民が)」強制加入されて徴収されることになります。(同時に「第二号保険者」となります)

その金額は条件により様々ですが、2021年の全国平均は6000円を超えたとのこと。

(参照:介護保険料はいくら?年齢や収入によって変わる金額や納付方法を解説|RelifeMode(リライフモード) くらしを変えるきっかけマガジン – 三井のリハウス)


介護保険料の徴収は40歳以上の国民全てが対象ということですから、もちろんそこには40歳以上の介護従事者も含まれます。2021年11月現在介護職の賃上げの額が「月9000円」と言われていますが、40歳以上の介護従事者は賃上げの前から既にその3分の2を徴収されている状態になりますね。

そしてこの状態で「給料が少ない(お金が足りていない)」のですから、ここからさらに保険料を引き上げていけば40歳以上の介護従事者はむしろマイナスになっていく可能性もあるのです。


もちろん「介護従事者以外の40歳以上の国民」の方が人数は多いわけですから単純にマイナスになるとは考えにくいですが、「保険料を上げて介護職の賃上げを」というのは「自分で自分の首を絞める選択」ということが見えてきますね。

しかも働けているうちはまだ良いのですが、(定年)退職から年金受給までの「収入源のない期間」に支払う保険料が引き上げられることは低所得者層ほど厳しい生活を余儀なくされる事態を招くのです。


それを本当に「良し」とするのかを、よくよく考えた方が良いと思います。



【補足】

全国介護事業者連盟は2021年11月12日に政府に対して「公的価格の見直しによる介護従事者に対する処遇改善に関する要望書」を提出。これが一時期「月9000円の財源を確保するための要望」と捉えられ物議を醸しました。


その内容は

「継続的な施策として公的価格を見直し、同時に社会保障改革を進め、介護保険制度の在り方を介護保険制度の在り方を見直していくために『介護保険制度における被保険者の年齢を30歳以上(現行40歳以上)へと引き下げる』ことによって公的価格の継続的な財源とする」(本文抜粋)

というものであり、これは「月9000円」の財源に対しての要望ではなく、介護保険制度そのものを維持するための長期的な視野に基づく要望です。ただ要望した時期が「介護職の賃上げ」の熱気が高まる時期と重なったために曲解されたもの、と見ることができます。


とはいえ、これまでお話ししたように介護保険料徴収が30歳以上にまで引き下げられれば介護職自身の負担を増やすことにもつながるため、「保険料を上げる・広げる=介護職の負担も増す」という構図に変わりはないのです。


それが「介護職の賃上げ」であっても「介護保険制度の継続」であっても。

参照:介護職の賃上げ、財源は被保険者年齢の30歳への引き下げで 介事連 処遇改善加算の再考も|JOINT 介護のニュースサイト
   【斉藤正行】介護職の賃上げに向けた要望書で我々が本当に伝えたかったことJOINT 介護のニュースサイト

介護職の賃上げ② 公費を増やしたらどうなる?

「それなら公費の財源を増やしたらいいんじゃないか」と思われるかも知れません。
しかし「公費の財源を増やす」というのは「保険料を上げる」よりも深刻な問題となります。


先ほどの図を見てみましょう。


「公費」の内訳は大まかに「国」が50%「都道府県・市町村」がそれぞれ25%となり、税金でまかなわれることになります。

となれば「公費の財源を増やす」とは「税収を増やす」ことになりますから、介護士の賃上げによって増税が促される事態になりかねません。なぜなら増税は「保険料を増やす」よりも確実な集金効果が期待でき、長期的な財源を確保する現実的な対策だからです。

そして介護・福祉の財源は社会保障費からあてがわれており、その社会保障費の財源は「消費税」となっていますから、もし「介護職の賃上げを公費でまかなう」のだとすれば「消費税増税」は避けられなくなります。


財務省の「税収に関する資料」によれば2020年度の消費税の税収は20.3兆円でとなり、コロナ禍にあっても右肩上がりとなっています。

加えてグラフが跳ね上がる1997年と2014年はともに消費税が引き上げられた当年であり、2019年以降も右肩上がりとなるのも増税によるものとなります。(3%→5%→8%→10%)

(参照:税収に関する資料|財務省)


(注) 令和元年度以前は決算額、令和2年度は補正後予算額、令和3年度は予算額である。


このように消費税増税による税収効果は明らかであり、「介護職の賃上げ」を名目に消費税増税が打ち立てられたとしても何ら不思議ではありません。


「それでも給料が増えれば…」と言いたくなるかも知れませんが、現実はさらに厳しいものです。


例えば消費税が10%から11%に引き上げられたとして、「月9000円の賃上げ」も消費税課税分で相殺されてしまっては意味がありません。

計算すると「9000(賃上げ分)÷0.11(消費税)≒82000(消費税課税)」であり、月に82000円ほど消費税課税対象のものにお金を払う介護職は賃上げ分が税金によって回収される訳ですね。

また増税がない場合でも「月に90000円」ほどとなり、食費や娯楽費など普段から消費癖のある方には厳しい金額と言えますし、実際の「相殺ギリギリの金額」は賃上げ分も諸々の課税で天引きされるため更に低くなります。


一番の問題は「介護職の賃上げ」という一部の対象への支給のために、消費するすべての人が負担を被るということです。

介護についてよく知らない方や関心のない方からすれば「余計なことをしてくれるな」以外の何ものでもなく、介護職の賃上げによって「介護職へのヘイト」が集まったとしても何ら不思議ではありません。


そうなれば当然「介護職になろう」という人は減っていきますし、現在介護職の方も「仕事ですら辛いのに世間の目も冷たいなんてやってられない」と離職する可能性が高まります。

現状ですら「介護福祉士」や「ケアマネージャー」等の介護職が「人気職業ランキング(13歳のハローワーク公式)」の100位にも入らない職業となっているにも関わらず、これ以上忌避される要因を作ったらいよいよ介護の担い手はいなくなるかも知れません。


それでも「介護職の賃上げ」は本当に必要なのでしょうか?

「介護職の賃上げ」は誰のため?

ここまで介護職の賃上げを「国」に頼るケースを2パターン見てきました。

まとめると

「保険料を上げれば40歳以上の国民に負担を強いる」(30歳への引き下げも検討)
「公費を上げれば消費するすべての人に負担を強いる」
「それらには利用者や介護従事者も含む

こうして側面を見ていけば「介護職の賃上げ」が本当に必要かどうかさえ疑わしくなってきます。負担が広がれば賃上げされたはずの介護職自身の実質的な給料に差がなくなる可能性すらあるわけですから。


では、「介護職の賃上げ」は誰のために行われるのでしょうか?

介護に関わる全ての人が損をするようなことを国が執り行うとは考えにくく、この構造の中でも「誰か」が利益を得ているからこそ国が主導するのだと考えた方が自然です。


例えば「権利」による外圧で「やらざるを得ない」からやるのだとすれば「外圧を与える存在」が「自分たちの主張が実現される」ことが叶うため、彼らの「益」となります。

この場合の利益とは金銭的なものではなくもっと快楽的なものであり、その為に国を巻き込んだ多くの人々(時に自分たちすら含む)に負担を強いることを良しとする訳です。

あるいは「政権維持」などの「国の都合」でやる場合は与党の利益のために、「健康増進」などの「医療の都合」でやる場合は医療の利益のために、「介護の質向上」などの「介護の都合」でやる場合は介護に携わる企業・組織の利益のために行われるのです。


いずれにせよ「介護職の賃上げ」は介護職のためではないのは明らかであって。


「誰かの利益」のために多くの人々に「負担」を強いる構造を作り出す名目として「介護職の賃上げ」が利用されているに過ぎないのです。


もし介護職の賃上げが介護職のためだと言うのなら、最大の利益を得るべき介護職にすら負担を強いる構造にしてしまったら意味がありません。

「賃上げして更に貧しくなる」というのでは本末転倒もいいところで、しかし介護職の賃上げによって導かれる未来とはその本末転倒を快く迎え入れるものなのです。

「介護職の賃上げ」に納得感はあるか

加えて。

介護職の評価として介護職の給料を適正な価格まで吊り上げたとしても、それは単に「数字が増えただけ」であって介護職の「豊かさ」にはつながりません。それどころか「数字の増加」のために国民や消費者の負担を増やす「介護職」という存在は、実生活に苦しさを感じる人々にとっては厄介者でしかないのです。


もちろんそうした人々にしても「介護・福祉」が社会に必要なことは十分わかっています。

ただそれは「誰かが解決してくれれば万々歳」というくらいのもので、自分たちのお金を削ってまでして解決してほしいとは思っていないのです。



まして、これまでの「介護・福祉の現場」は社会に対して「なぜ自分たちを支える必要があるのか」を十分に伝えてきませんでした。


介護保険制度の介護報酬を獲得することばかりに囚われ、目の前の利用者を蔑ろにするばかりでした。
介護報酬につながらない、人として大切な「余暇」を介護報酬のある「介助」にすり替えてきました。
挙句、今後は「科学的介護」の名の下、利用者の意思を誘導して「個人の尊厳」すら奪おうとしています。


もちろん全ての施設・事業所がこのような対応をしているわけではありませんが、「介護で収益を上げる」「介護の生産性を上げる」ことを目指す以上は上記のような「効率的な業務」を遂行せざるを得ません。

ただ、こうした実態を外に出すわけにもいかず施設や事業所の中に留めていたツケが今になって回ってきた、というのが介護の実情であって。

そんな業界を誰が救いたいと思うのか。
誰が続けたいと思うのか。
誰がなりたいと思うのか。

ここへの納得感がない限り「介護職の賃上げ」やその背景にある「人手不足」、そして「福祉の実現」などはなく、社会全体が貧しくなる一方なのです。

まとめ 〜心の豊かさが豊かな人材を集める〜

「介護職の賃上げ」は介護職を救うためではなく、介護業界から様々な利益を得ようとする組織・企業などのために「多くの国民」により多くの負担をさせる名目で設けられたものです。

もちろん介護職の給料が平均以下なのは事実であり、その状況を改善すること自体には意味があります。
しかしその解決手段として「保険料」や「公費」といった税金を用いることに問題があるのです。


そもそも「介護職の給料が低い」というのは本来「社会保障が充実している」ということです。
国民や利用者の負担が少なくて済むわけですから、介護・福祉職は彼らが豊かに過ごすための基盤となっているのです。

それをわかった上で「お金」以外のところで介護の仕事をする意義(豊かさ)を見出し介護職に就くはずなのですが、介護保険制度によって経済システムの一部に組み込まれた時から資本主義の論理に従って介護職もお金を求めるようになってしまったのだと見ています。


お金を求めること自体に良し悪しはありませんが、介護・福祉職が「自分たちが国にお金を求めると社会がどうなるか」について知らないままでいることは罪深いと僕は思います。

その理由はこれまでお話ししてきた通りで、「介護職自らが『福祉』を損ねる」という自己矛盾を抱えるからです。


介護職である以上「福祉」の色を帯びることは以前の記事「「手取り15万からの介護士」の『豊かさ』を考える ①介護の豊かさ」でもお話ししました。

それはたとえリーマンショック以降職を失いハローワーク等で介護を勧められて介護職になった方であろうとも変わらず、「自分が何者か」「介護職とはどういう存在か」を改めて見つめ直して今後の人生を選択してほしいを願います。


「介護職」が人手不足に陥る理由は「給料が低いから」だけではありません。

介護職が優遇されるほど利用者・国民・消費者の負担が増す構造の中では「世間から疎まれる職」となるため、普通に生きていく分には「わざわざ選ぶ理由がない」わけです。

また世のため人のために志を持って挑んだにも関わらず、世間からは「税金泥棒」のような扱いを受けて「無償奉仕」を強要される有様では「続ける人」が減る一方なのも当然です。


この状況で「介護職」を選ぶ理由はなにか。


「お金」を理由にするなら他業種を選んだほうが堅実ですし、介護職の賃金を「平均並み」にするために他業種で働く方々の負担を増やしていくようでは社会全体が貧しくなります。

介護職が目指すべき「豊かさ」とは利用者さんの「ありがとう」に託されるような『心の豊かさ』であり、その為に国民からのお金が使われることで物心両面での社会の豊かさ、すなわち『福祉』が実現されるのです。


故に、介護職は現代においても「福祉の実現」によってその職が選ばれるべきであり、福祉の価値を発信することこそ介護業界全体が一丸となって執り行うべきです。

そうして介護・福祉が世に広まってこそ「僕も介護をやってみたい」「私もあんな風になれたらなぁ」という志の篤い人材が集まるのであって、お金をばら撒いたところで「お金が欲しい人」しか集まりようがないのです。


介護ブログの他にも、介護ニュース等などを取り上げるnote、読書にまつわるアメーバブログを運営しております。



また僕が介護を考えるうえで参考になった書籍を紹介しますので、よかったら一度読んでみてください。


本からの学びは揺るぎない自信へとつながっていきます。

介護を自分の「感情」頼りにするのではなく、知識や経験に裏付けられた「事実」と併せて行うことで、介護はすべての人を豊かにしていくことができるのです。


一緒に学んでいきましょう。


【併せて読みたい記事】
介護で稼ぎたいのか、人の役に立ちたいのか、どっち?
「介護ってなんだろう?」と悩んだら読み返す。何度でも。
「手取り15万からの介護士」の『豊かさ』を考える ①介護の豊かさ


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