イマドキの介護士は5タイプ ③「イマドキの介護士」の役目

介護

以前の記事「豊かになる」介護士の5ステップでは、介護士として「豊か」になるためのステップを5段階に分けてお話ししてきました。

それは簡単に言えば「介護士はその定義から見直して突き詰めると『社会福祉の実現』にたどり着く」というものであり、「お金」に代表される物理的な豊かさから「感謝」という精神的な豊かさに移り、そうした「豊かさ」を感じ取る『生命』が介護の本質だと理解するプロセスを説明したものとなります。


「介護士とはなにか」はそれで説明し終えたものと思っていましたが、今時の介護士をよくみて見ると「そうした段階論とは別に『タイプ』でも分けられる」とわかってきました。

その中でも「キラキラ系介護士」とそれを揶揄する介護士の関係性を見て、「お互い同じなのになぜこんなすれ違いが起きているのだろう」という疑問を整理する過程で今回のタイプ分けが生まれました。


そのタイプとは

「キラキラ系介護士」
「ギラギラ系介護士」
「クレクレ系介護士」
「キレキレ系介護士」

の4タイプと、その4タイプが介護士の5ステップを踏んで『介護の本質』を掴んだ「ユニーク(独特な)介護士」となります。


今回は「イマドキの介護士は5タイプ」と題してそれらのタイプをお話ししていきます。

主に「今の自分には何が足りていないのか」「なぜ職場のあの人はああいう風なのだろう」と悩む介護士さん向けになりますが「介護保険制度を利用する際に、自分や家族と関わることになる介護士さんにどういうタイプがいるのか」という点では誰もが知っておくと役立つ分類になります。

「〇〇系介護士」に足りないもの

ここまで2回に渡り「イマドキの介護士は5タイプ」をテーマにお話ししてきました。



おそらく「ユニーク介護士」に当てはまる人は少なく、多くの介護士さんは「クレクレ系介護士」か「ギラギラ系介護士」のどちらかだと思います。


と言うのも、これまで200人以上の介護士さんを見てきた結果、主要4タイプの割合は以下の通りだからです。


これまで見てきた中では主要4タイプの時点で合計10割となっており「ユニーク介護士」はいませんでした。

大抵の介護士さんは【他力】カテゴリにいて、時折「キラキラ系介護士」を見かけ、10施設に1人くらい「キレキレ系介護士」がいる感じでした。

また自称「ユニーク介護士」は【自力】カテゴリに多く、彼らのほとんどが【他力】カテゴリの介護士さんを受け入れられないが為に『介護の本質』を磨き上げられず「自分の理想」に閉じこもるばかりでした。


そうした観測から言えることは『介護の本質』を理解して独自性を持つには「自分の見たくない領域」をも受け入れる覚悟が必要だということです。

そして「〇〇系介護士」に当てはまる以上、自分の見たくない領域を受け入れる覚悟を持つには自分の(カテゴリ上の)存在意義を手放すということになります。


【現実】カテゴリなら、現実を一旦手放して【非現実】を受け入れる。
【自力】カテゴリなら、自力を一旦手放して【他力】を受け入れる。

逆もまた然り。


つまり「〇〇系介護士」に足りないものは「忍耐」であり、それは便利な世の中となった今では得がたく、介護のような「人と人との関わり」でしか鍛えられないのです。

なぜ介護士に「忍耐」が必要なのか

とはいえ「忍耐が足りない」などと言われても

「そんなのこっちの勝手でしょ」
「根性論ですか?」
「忍耐が何の役に立つんだよ」

と思われるでしょう。

そうした方にこそわかって欲しいのは以下の三点です。

たとえどれだけ世の中が便利になろうとも、その便利さをもたらす『コト』(介護で言えば介護ロボットやICTの発展など)は「人」を見ず、便利さによって解消される「課題」しか見ていないということ。

②その背景には『コト』が介護の課題を解決するのだとしても、そこから先の『生命の価値(ありのまま)』を提供できない「『コト』の限界」があること。

③そして『生命の価値』を社会に示せるのは、これまで不便さを抱えて生きてきた人の「想い」を理解する介護士に他ならず、その「想い」を理解するためには介護士自身にも忍耐強さが求められること。


これらのことは「利用者と向き合う介護」を長く続けていくと自ずと見えてくる内容です。

なぜなら「利用者と向き合う」とは「限りある生命と向き合う」ことであり、人生の最期を迎えようとする利用者の生き様を側で支える介護士さんはその尊さを誰よりも感じられるからです。


ただし生命の尊さを感じられるようになるためには様々な困難を耐え忍んでは乗り越える必要があるので、介護士には「忍耐」が必要なのです。

「想い」より「便利さ」の社会になれば

そこにどれだけの便利さが解決できる課題があろうとも、「課題があるまま」つまり「ありのまま」であることが『生命の価値』です。


ところが便利さを求める社会は「課題は解決すべき」という前提で成り立ち、課題を解決する『コト』に価値が集まります。

そこでは課題を抱える『ヒト』も、課題を解消する『コト』によってその価値を定められてしまうため、「日常生活に課題を抱える」高齢者や障害者等の「サービス利用者」の『生命の価値』が不当に扱われてしまうのです。



介護で言えば「科学的介護」がその最前線であり、日常生活上の困難さを解決する『コト』を効率よく提供するシステムによって利用者の生活に「(『コト』による)最適化」が施されるようになります。

それは日常生活上の困難さを抱える利用者の『生命の価値』は「改善されるべき」であり、その判断基準は国の「科学的介護情報システム(LIFE)」によって「定められるべき」ものだとされる状態です。


「その人が何を思っているか」という想いよりも「あなたにはこれが必要です」というデータの方が優先される訳ですね。


このような「『コト』>『ヒト』」という式が成り立つ介護が今後訪れることが確定しているのが「介護の現実」の一つです。
(そして現場の介護士さんは「部分的にそうなっている」現実を知っているはずです)


※ 科学的介護について知りたい方はこちらの書籍をどうそ



ただ、現代を生きる人々はそう簡単に便利さをもたらす『コト』を手放すことはできません。
この記事を読むのに多くの人がパソコンやスマートフォンからインターネットに繋いでいるように。

極端な話、そうした便利さを手放すことで生まれる「不便」に耐えられるほどの忍耐力を持つ人は少なく、「どうして自分がこんな目に遭わないといけないんだ」とか「手放す意味がわからない」などの理由をつけて『コト』の価値を称賛するのです。


それは人々も「『コト』>『ヒト』」の価値観を受け入れていることになりますから、自分たちの『生命の価値』を下げてまで便利さを求める生き方を選んだことになります。


介護に落とし込めば、「自分の家族が施設でどのような扱いを受けいているか(ヒトの価値)」よりも「自分たちが介護をしなくても良い快適さ(コトの価値)」の方が大事と考える人々が今後さらに増えていきますし、そのニーズに応えるのが「科学的介護」であり「通常の介護士」ですから、多くの人にとって便利さをもたらす『コト』に偏る社会は歓待されるのでしょう。


「あなた(ヒト)よりも便利さ(コト)の方が大事だよ」という価値観が助長された未来を想像することもなく。

まとめ 〜便利さと人の想いが合わさっての『福祉』〜

ここまでお話ししたように、介護の課題を解決するだけでなく同じ『生命』として想いを通わせ、人としてお互いを受け入れられるのは『ヒト』だけです。


しかもそれは忍耐強く『生命』と向き合えるような「ユニーク介護士」にしかできず、【現実・非現実】【自力・他力】に惑う「〇〇系介護士」では、「なぜそうするのか(しなければいけないのか)」を「便利さ(コト)」という価値観に照らし合わせた結果「理に適わない」と判断するため、いつまでも実行できないのです。

そして「便利さ」が優先される社会では「人の想い」は軽視され、より『便利』であることを強いられるようになります。


「こうするのが正しいのに、なぜあなたは言うことを聞かないのか」と。


介護・福祉に無関心でいるほど自分の『生命の価値』が軽んじられる未来になる可能性が高まります。そしてまもなく科学的介護を代表とした「便利さ」が社会に行き渡り、その勢いに歯止めが効かなくなっていくのです。


なにしろ現在ですら「私の言うことを聞いてくれない」とぼやく介護士が後を絶ちません。

介護報酬に定められた「介助」をこなすことを強いられた通常の介護士はあらゆる手段を用いて日々介助に勤しみ、利用者の「想い」と衝突しては「介助」ができない苦悩に苛まれるのです。


このように利用者の「想い」が介護士の、介護報酬の「不便さ」となる現状を解消すべく生まれたのが科学的介護や介護ロボットなどのテクノロジーがもたらす『便利さ』である、とも言えます。


だからと言ってそうした「便利さ」を手放せばいい、という話ではありません。

今の時代にスマートフォンやインターネットから切り離されれば孤立無援になってしまいますし、そもそも人類が便利さによって発展してきた歴史をも否定することになってしまいます。

それでは現実と向き合えているとは言えませんから、そうした極端な生き方では人の「しあわせ」や「ゆたかさ」たる『福祉』を実現することは叶わないのです。


便利さを手放すのではなく、便利さと人の想いを「橋渡し」するのが「イマドキの介護士」の役目です。

それは「『コト』⇄『ヒト』」の社会であって、便利さだけでも人の想いだけでも福祉が実現されないなら、介護士はその存在意義を賭けて両立の道を選ぶより他ないのです。

その為には「便利さを知るための幅広い学び」と「生命の尊さを知るための忍耐力」が欠かせませんが、そうした便利さのもたらす「課題解決力」と人の想いがもたらす「生命の尊さ」が合わさったとき、これからの時代の『福祉』が実現されるのだと僕は考えます。



あなたはどんな介護士ですか?
あるいはどんな介護士に自分や家族を「介護」して欲しいですか?

『ヒト』として向き合いたい、あるいは向き合ってもらいたいですか?
『コト』として課題が解消されればそれで十分ですか?

「極端」に振り切った先に『福祉』はなく、「中庸」にこそこれからの時代に合った「しあわせ」や「ゆたかさ」があるのです。

中庸とはかたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。

中庸 ーweblio辞書ー


また僕が介護を考えるうえで参考になった書籍を紹介しますので、よかったら一度読んでみてください。


本からの学びは揺るぎない自信へとつながっていきます。

介護を自分の「感情」頼りにするのではなく、知識や経験に裏付けられた「事実」と併せて行うことで、介護はすべての人を豊かにしていくことができるのです。


一緒に学んでいきましょう。

【併せて読みたい記事】
利用者さんとの別れをどう受け止めたらいい?
「介護ってなんだろう?」と悩んだら読み返す。何度でも。
「豊かになる」介護士の5ステップ ⑤生命はめぐり、想い紡ぐ


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