自分と向き合おう! ③実践してみよう

メモの魔力

以前の記事「介護士が自分と向き合わないとどうなる?」で、自己分析について


「分析→検証→実践」(どうだったか→どういうことか→どうしていくか)


という流れで行っていくとお話ししました。


それでおおよその説明をしたつもりだったのですが、
友人から「実践って何をすればいいの?」と言われました。

なので、前回に引き続き「分析・検証・実践」のうち「実践」について、僕が行っているやり方をお話していきます。

実践について

最初に「実践とはなにか」について共有していきましょう。

実践とは、実際に行うこと。理論や理念を行動に移すこと。実行。

実践 ‐weblio辞典‐


実際に行うこと。

それは分析によって「誰にでも当てはまる現実」と「そこから沸き上がる感情」を分け、検証によって感情が沸き上がる傾向である「自分らしさ」を見つけ出したその先に行うこと、ということになります。


そう、自分と向き合うとは「自分らしさ」を見つけて終わりではないのです。

「分析」「検証」によって改めて見つけ出した「自分らしさ」と「現実の行動」を照らし合わせてそのズレを修正すること。

これが「実践」する、ということです。


「自分らしさ」と「現実の行動」のズレ

では、「自分らしさ」と「現実の行動」のズレとはどういうことなのでしょうか。


たとえば多くの人にとってダイエットはそのズレが起きやすいテーマになるかと思います。

「おいしいものを食べると幸せ」と感じる自分が、実際にはおいしいものを避けて食べないようにするわけですから、まるで正反対のことをやっているのです。

このズレによってストレスがどんどん溜まっていき、そのストレスを解消するために食べたくなって結果失敗してしまう。

以前の記事「自分の身体と向き合い、愛情をはぐくもう」でお話ししたように僕も長い間そういった失敗を続けてきましたから、こういう失敗は何度も経験してきました。


このように「自分らしさ」と「現実の行動」がズレてしまうと、自分が招きたくない結果を招いてしまうことになります。

自分の本心とは別のことをやってしまうわけですから、よほど周りから支えてもらえる人でもない限り「あれ、思っていたのと違うなぁ」という結果にしかならないわけです。


ここまで読んで「そりゃそうでしょ…」と思われたかもしれません。


ただ折々でお話ししているように、文字で書かれたら当たり前だとわかることも、現実ではまるでできていないことが多々あります。

うえのダイエットの例などその最たるもので、世の中には「わかっていてもできない」ことがたくさんあるのです。


「自分らしさ」と「現実の行動」のズレを直すというのは、「わかっていてもできない」を「わかっているからできる」ほうへと導いていくことなのです。

「わかっていてもできない」が生まれる理由

「そんなことはわかってるんだよ、でも…!」


こういった言葉を誰もが使ってきたと思いますし、僕も使ってきました。

そう言わざるを得ないような状況が日常的にあって、世の中には「わかっていてもできない」ことがなんて多いのだろうと頭を抱えたくなったことがあるはずです。


やりたいと思っても周りの目が気になってできなかったり、「やってはダメ」と制止されたりした経験を通じて次第に「わかっていてもできないのが当たり前なんだ」と折り合いをつけていく。

ある意味、それが「大人になる」ということなんだと踏ん切りをつけて諦めていく。


胸に小さな傷を残したままで。


そうして長く過ごしていくと、現実の行動ばかりが正しいものと思い込み、自分らしさがどんどん奥へ追いやられてしまいます。

なぜなら現実の行動では「わかっていてもできない」前提で動いていても、自分の感情から生まれる自分らしさは「わかっていてもできない」ことに納得していないからです。


そうなれば「現実の行動」と「自分らしさ」の間にはズレが生じ、ストレスを感じさせます。

そのストレスを何とかしたいと思っても、自分が感じたままを出そうとすれば周りから圧力を受けてそこにもストレスが生まれてしまいます。

こうなると周りに合わせた「現実的な」行動を取るより他なく、「自分らしさ」を何とかごまかしてやっていく方を選ばざるを得なくなってしまいます。


「わかっていてもできない」とは、こうした葛藤の末に生まれた「自分が傷つかないように生きていく方法」です。


その方法を身に付けるためにどれだけの苦労があったのか。
どれだけのものを諦めなければならなかったのか。
どれだけ、泣いてきたのか。


そうした経験が強く、多いほど「わかっていてもできない」という考え方はその人の中で当たり前となっているのです。


だからこそ「わかっているからできる」と言われれば

「そんなのは綺麗ごとだ」
「夢見がちだよね」
「いつまでそんな子供じみたことを言っているの?」

と、その可能性を否定しなくてはならないです。


もう、心がざわついて傷ついてしまうのはつらいから。


自分と向き合う中で行う「分析」「検証」と「実践」の一番のちがいは「実践」のみが他人に影響を与える、という点です。

それは「分析」「検証」までが自分一人で済ませられるのに対し、「実践」ではいよいよ自分の外側に向けて具体的に行動していくことになるからです。


このような事情から、「実践」するにあたっては「わかっていてもできない」人の葛藤を理解すると「なぜ自分の思うままに行動するのを止められるのか」に納得がいくようになります。


論理的に理解できないのではなく、心が受け入れられないのだと。

FineGraphicsさんによる写真ACからの写真

自分と向き合う「実践」を受け入れられるか

ここまでの話をまとめましょう。

「実践」とは、「分析」「検証」によって改めて見つけ出した「自分らしさ」と「現実の行動」を照らし合わせてそのズレを修正し、「わかっていてもできない」を「わかっているからできる」ほうへと導いていくこと。

「実践」のみが他人に影響を与え、「わかっていてもできない」人の葛藤を理解すると「なぜ自分の思うままに行動するのを止められるのか」に納得がいく。


ここまでで何となく察した方もいるかもしれませんが、「分析」「検証」「実践」のうち「実践」の難易度だけが他よりも高い。

しかもそれは内容の難しさと言うよりも「自分の心が受け入れられるか」の難しさです。
「分析」「検証」までは頭で理解できても、「実践」は心に落とし込まれていなければ実行に移すことができない。

「わかっていてもできない」のです。


なので、「分析」「検証」までを行って「自分のことを知る」自己分析で終わらせるのも良いでしょう。
それだけでも自分や身の回りのことが理解しやすくなっているでしょうから、自己分析を行う前に比べると生きやすくなっているかと思います。

「実践」を行おうとして「わかっていてもできないんだ!」と心の葛藤を招いては本末転倒ですから、「できる・できない」の一線を越えるかどうかは自由です。


それでも、心の葛藤を招いてでも「実践」を行うのはなぜか。
「わかっていてもできない」から「わかっているからできる」に行くと何が起きるのか。


一言で言えば「夢をかなえられる」です。

「できない」思考になっている?

自分と向き合う「実践」を「自分らしさ」と「現実の行動」のズレを修正することとお話ししました。
それは「わかっていてもできない」から「わかっているからできる」ほうへ導くことだとも。


それでも現実には「わかっていてもできない」ことが多く、読まれている方の中には「なにか実践を妨げるものがあるのではないか」と考えるかもしれませんね。


なぜ「実践」はやりにくいのか。
ここで思い返してもらいたいのは「分析」のときに何をしたか、です。


ちょっとおさらいしましょう。


自分と向き合う「分析」では、「目の前の物事」と「感情」を一旦分けて「事実」を浮き彫りにしていきます。

「事実」→「誰にでも当てはまる現実」
「感情」→「目の前の現象を捉えたときに生まれる心の動き」
「物事」→「心の動きを含む、誰にでも当てはまるかもしれない現実(ありのままの現実)」



この「事実」だけを見ると、それは「誰にでも当てはまる現実」ですから「わかっているからできる」ことになります。


またもやクッキーを例に例えると、「クッキーを食べる」という事実と「おいしいと感じる」感情を一旦分けたとき、「クッキーを食べる」というのは(おおよそ)誰にでもできます。

例によって好き嫌い、アレルギーといった方々に配慮し「おおよそ」誰にでも「クッキーを食べる」ことは可能だと言えますし、ここまでは誰にとっても異存はないかと思います。


では、下の画像のクッキーも(おおよそ)誰にでも食べることができるのでしょうか?


ここで「いや、画像が食べられるわけないだろう」と思った方は「わかっていてもできない」思考になっています。


そう考えた方はおそらくこのような思考経路をたどったかと思います。

  1. クッキーの画像は非現実であって現実ではない。そして非現実のものを食べることはできない。
  2. それが例えおいしそうなクッキーだとわかっていても、現実にないものを食べることはできない。
  3. 故に食べられない。「わかっていてもできない」。


もしあなたが「大のクッキー好き」なのだとしたら、これほど辛い現実はありません。
喉から手が出るほど欲しいクッキーを前にして食べられない。我慢しなければいけない。

「なんでこんなことをするんだ」とストレスを感じさせてしまったかもしれません。



ところが、です。
もう一度上のクッキーの画像と直前の文章を見てください。


ここで問いかけたのは「クッキーの画像が食べられるか」ではなく「下の画像のクッキーが食べられるか」です。

このクッキーが写真に撮られて画像になる前には「現実のクッキー」があったわけで、その現実のクッキーさえ手に入ればあなたにもクッキーを食べることができます。


では、どう手に入れるか。実に簡単です。
上の画像をクリックしてもらえれば販売ページに飛べますから、そこで好きなだけ買うことが出来ます。

そして購入後数日もしないうちにあなたの手元には「現実のクッキー」が届きますから、そこで思う存分クッキーを食べることができます。

こうして方法をお伝えした時点で、「下の画像のクッキーもおおよそ誰にでも食べられるか」という問いは「わかっていてもできない」ことから「わかっているからできる」ことに変わりました。

なぜ「実践」が「夢をかなえる」ことになるのか

このようにお話ししたとしても、販売ページまで行ってクッキーを買い、実際に食べる方は少ないでしょう。

なんとなく「してやられた感」がありますし、今更クッキーを買うのは負けた感じがするのではないでしょうか。


問題はまさにここで、「わかっているからできる」ことを「わかっていてもできない」ことにしてしまうのは「感情」です。

「してやられた」とか「負けた」と感じる心が、人の行動を制限して「できない」ことにしているのです。


しかしそれでは「クッキーを食べる」という「実践」を行うことはできませんから、結果行動を制限した人ばかりが損することとなります。

そして「損をした」という結果によってさらに自分の行動に制限を掛けて「できないことは正しかったのだ」と証明しようとします。


事実を曲げてでも自分を守ろうとする心の動きが「わかっていてもできない」という循環を生み出すわけです。

これではいつまで経っても自分が望むことができませんから、「夢をかなえる」とは真逆の在り方になってしまいますね。


一時の「感情」に振りまわれていては自分の望むことは出来ない。
その事実に気づくこと。

その理解があって初めて「実践」を心から受け入れようとする姿勢が生まれます。


心が「実践」を受け入れたとき。
つまり「わかっているからできる」という事実を受け入れたとき。

それまで「できない」尽くしだった人生に「できる」という光明が差し込むのです。

「できる」という成功体験は自信をもたらします。

特にそれまで「できない」と思い込んでいたものができたとき、その喜びが全身を駆け巡り「生きていてよかった」という感謝へと変わっていきます。

こうした感情こそ丁寧に受け入れるべきなのです。


そして、一つできるようになれば「もう一つできるかもしれない」と思うようになります。
「できない」というのがただの思い込みで、自分で「できない」ことにしているだけなのだと気づけば、おのずと次の行動に取り掛かるようになっていきます。


「できない」から「やらない」のではなく、「やらない」から「できない」。
「できる」から「やる」のではなく、「やる」から「できる」。


「実践」とは「やるからできる」というシンプルで、疑いようのない真実によって自分を望む未来へと歩ませていく手法なのです。

そうして自分の望む未来へたどり着いたとき、人は「夢が叶った」と感じられます。



なぜ「実践」が「夢をかなえる」ことになるのか。
それは夢とは「自分の望み」であって、実際に行動することでその望みにたどり着くからです。


行動しない者には何物も与えられず、行動する者だけが全てを得られる。
この揺るぎない「事実」を「感情」が受け入れられるかどうか。

自分の「感情」を丁寧に扱える人だけが「実践」を通じて「わかっていてもできない」から「わかっているからできる」、夢への道筋に立つことが出来るのです。



それでもまだ「本当に夢が叶えられるんだろうか」と悩む方は、一度クッキーを食べてみてください。

どれだけ「わかっていてもできないんだから」と心に言い聞かせたとしても。

現実のクッキーを口の中にほおばり、その濃厚な甘みが広がっていけば「わかっていてもできない」と言い聞かせることがむずかしくなっていきます。

そうしてしっかりと味わい、喉元を通るころには「わかっていてもできない、なんてことはないんだなぁ」と飲み込めていることでしょう。



ここが分かれ道です。

「わかっていてもできない」と言い聞かせて、自分の気持ちを押し隠したままでいるのか。
それとも「わかっているからできる」と受け入れて行動していくのか。


この「できる・できない」の一線をどうするかは、あなたの自由です。

まとめ ~夢をかなえるために動き出すことを願って~

「実践」とは「夢をかなえる」ことです。
そして夢をかなえるには「事実」を受け入れる「感情」を整える必要があります。


ここまで「分析」「検証」「実践」について三回に渡りお話ししてきたのは、すべて「自分と向き合う」ためです。そしてそのやり方をお伝えするためです。


一つの「現実」を前にして自分がどう感じ取るか、どう捉えるか、そしてどう行動するか。


それらを決めるのは自分の「感情」であり、その感情を生み出す「自分らしさ」を見つけ出すことが「自分と向き合う」ということなのです。


そうして見つけ出した「自分らしさ」を大切にし、あなたが実際に動き出すことを願って。

「自分と向き合おう!」のお話しもこれで一区切りとなります。
長々とお付き合いいただきありがとうございます。


「分析→検証→実践」は、細谷功さんの著書『具体と抽象』の「具体→抽象→具体」であり、前田裕二さんの著書『メモの魔力』にある「ファクト→抽象化→転用」という流れを「事実」と「感情」に焦点を当てて説明したものとなります。


どうして「事実」と「感情」に焦点を当てたのかと言うと、この二つを分けて考えられないからこそ介護士・利用者・家族のそれぞれに溝が生まれていく様子を現場で何度も見てきたからです。

以前お話しした「認知症ケアでお悩みの方へ ~ユマニチュード~」も、「あなたを大切にしていますよ」という感情と、実際に行う介助(事実)とのズレに気づき、修正していく内容でした。


そしてこういったズレは介護以外でもそこかしこで見られ、「事実」と「感情」を丁寧に扱うことは誰にとっても必要なことだと感じました。

ニュースで語られる事件・事故などを見ていると特に。


なので「自分と向き合おう!①~③」を読まれたあなたには、ぜひ今日から「分析→検証→実践」を始めてもらいたいなぁ、と思います。


僕自身は前田裕二さんの著書『メモの魔力 The Magic of Memo (NewsPicks Book) [ 前田裕二 ]』のアレンジメモで毎日1つ以上メモを取り、「分析・検証・実践」を行っています。

そのメモをInstagramを始めとしたSNSで発信していますので、よかったら参考にしてみてください。


メモが見たい方はこちらから ↓
ナカさん@しるしの魔術師(@magicofsign)のinstagram


例えば今回の記事に対してもメモを取っています。

画像を詳しく見ると、「あれ、今回話している内容と違う?」と気づかれたかと思います。

そうなんです。
2020年9月15日のときに取った「メモ」と、2020年9月26日現在の間で考え方に変化が生まれているのです。

「毎日メモを取る」というのは「毎日自分と向き合う」ことですから、常に自分に対して変化を促しているのです。
僕はこれを一年半以上毎日続けているわけですから、「やる」前と後では別人のようになっています。

こうした変化を毎日受け取ること。成長の喜びを感じること。
その幸せを、あなたにも体験してほしいと思います。


これまでに学んだことを「わかっていてもできない」と諦めるのか。
それとも「わかっているからできる」と動き出すのか。


ここが分かれ道です。


紀伊國屋書店限定で「前田裕二『メモの魔力』モデル MOLESKINE クラシック ノートブック & ジェットストリーム ピュアモルト 4&1」も販売されています。

販売ページ:紀伊国屋書店


『メモの魔力』モデルの元となったノートやボールペンも紹介します。

【併せて読みたい記事】
自分と向き合うべきただ一つの理由
僕は自己分析で「メモの魔力」のメモ術をお勧めする
介護士が自分と向き合わないとどうなる?


「想い紡ぐ介護士、ナカさんのブログ」では皆さんのコメントをお待ちしています。
よかったらこの記事へのコメントや感想などをご記入ください。

またこの記事をTwitterやFacebookでシェアしていただけるととても嬉しいです。

下の「シェアする」のアイコンをクリックすると簡単にシェアできますので、
よかったら使ってみてください。




    コメント

    タイトルとURLをコピーしました