介護士と自己分析 ~みんなで幸せになるために~

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fujiwaraさんによる写真ACからの写真 メモの魔力
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折に触れて「介護士は自分と向き合うことを求められる」とお話してきました。

それは社会貢献や生活の糧を得ると言った視点から「介護でなければならない理由」について自分なりの答えを持つべきだという主旨でしたが、今回はここを深堀していきたいと思います。

まずは「自己分析」のおさらいを

これまでの記事でお話してきたことは以下の通りです。

自分と向き合うべき理由は「自分と他人が分けられない時代で、自分を確かに感じるため」
つまり「自分らしさ」を見つけること

自分と向き合うべきただ一つの理由

「自分と向き合うことで『自分らしさ』を知り、自信をもって生きられる」
そのためには安全に自分へフォーカスできる「メモの魔力」のメモ術をお勧めする

僕は自己分析で「メモの魔力」のメモ術をお勧めする

「体を使ってどれだけ稼げるか」という肉体性と「人の役に立ちたい」という精神性のバランスを保つことで介護士を続けられる理由が生まれる

介護で稼ぎたいのか、人の役に立ちたいのか、どっち?

社会貢献を目的とした介護をする前に「なぜ自分は社会貢献をしたいのか」の理由と向き合うことで、自分も他人をも救うことになる

これから社会貢献を目指す人が考えるべき2つの問い

「福祉をするために必要な素質はなにか」と問われたら「自分の弱さと向き合えるかどうか」と答える

人と話せなかった僕が、人と関わる福祉で10年以上働く理由


こうして並べてみると、介護士が自己分析する理由は単に自分のためだけではなく、自分と関わりを持つ利用者や職場の人々など広く影響を与えるからだと見えてきますね。

介護士が自分と向き合わないとどうなるか

影響を与える範囲が広いとはいえ、すべての介護士が自分と向き合っているわけではありません。
それは「自分の言動が相手にどのような影響を与えるのかを想像したうえで介護をしているか」という視点で介護士を観察しているとよくわかります。


何気ない会話一つとっても「それを聞いた相手はどう思うのだろう?」と考えているかどうか。
今話そうとしている内容は相手にふさわしいものか。話を聞く態勢なのか。

そういった「相手の状況をどこまで想定して日々の介護に当たっているか」を細やかに見ていくと、一つの事実に気づきます。


自分のことがわかっていなければ、相手のことなど到底わかりようもない、と。


どういうことかと言いますと、まず自分のことがわからなければ「自分が理解できる範囲」は狭くなります。「自分」という判断基準が持てないということですね。

それは自分がどういう人間で、普段どう考えて生きているか。何を好み、どうしたいか。自分なりの答えを持っていないとその時の状況や気分によって「自分」がぐらついてしまいます。

このような不安定な状態では自分の判断基準は持てませんから誰かの決めた基準に従って「もっともらしい答え」に飛びついてばかりになります。これでは本当に自分が大切にしたいことすら否定しかねませんから、自分のことがわからなくなっていきます。


そうして自分のことがわからなくなっていけば、何をもって相手を判断すればいいかもわからなくなります。
「相手を判断する自分」があいまいなので相手のことなどわかりようがないわけです。


よってそのような人が行う介護というのは独りよがり(独善的)になります。


研修や資格試験で得られた知識を基準にして、利用者個人を見ようとしない

派閥のトップの顔色ばかりを窺い、言うことが二転三転する。

突発的に生まれた感情を、「想い」「ぬくもり」と称して職員・利用者に理不尽を振りかざす


自分と向き合わない介護士にはこのような傾向が見られ、「自分こそが正しい」「自分は良いことをしている」という自分本位の態度を意識的・無意識的に取ります。

そのあり方は福祉の実現とは真逆ですから、介護士は自分の弱さをひた隠しにして誰かを苦しめることがないよう自分と向き合う必要があるのです。

自分と向き合う介護士の強さ

自分と向き合う介護士の特徴は「みんなの幸せのために行動する」ところにあります。


なぜそう言えるのかというと、自分と向き合う中で


①「自分が本当に望んでいることはなにか」を知る。

②過去と現在の自分を照らし合わせて「あの時はこうだったけれど本当は違ったのかもしれない」と想像力を働かせられるようになる

③想像力は次第に「あの人はどういう気持ちだったのか」という相手の気持ちを推し量る力へと変わっていく

④自分の望みと相手の気持ちを照らし合わせ「今何をすればみんなが幸せになるのか」と考えるようになる。


という経過をたどっていくからです。





自分らしさを知り相手の気持ちを推し量れるようになると、距離感を保ちながら介護をすることが出来るようになります。

ここで言う「相手」とは利用者に限らず家族や職員、職場のある地域…と、その範囲は徐々に広がりを見せていきます。


まず自分の気持ちがちゃんと相手のところにある人は、自分の知識や経験を過信せずに相手のことをしっかりと見て「今どうなのか」を確認します。

また自分と向き合う中で「自分が何をしたいのか」をより深く理解しているため、周りがどうであろうと「自分はどう考えるか」を軸に判断をします。

相手のことを理解したうえで自分の考えがあるので「どうすれば自分の考えが実現できるか」を細かに設計するようになり、「どれだけの人が幸せになるか」を道筋立てて説明・実行します。


こうして「自分も相手も一緒に幸せになる」ために動けるようになるのが自分と向き合う介護士の特徴と言えます。

そしてそのように動く介護士は誰からも必要とされ、周りから支えられるようになります。介護士のその行動が独りよがりでない限り、自分を支えようとする人を拒み続けることは誰にもできないものですから。


自分と向き合う介護士の強さとは「支え合う関係性を作る」ところにあるのです。

まとめ

介護士が自分と向き合うのは

「介護士の与える影響が利用者やその家族など広範囲にわたるので、独りよがりの介護ではなく支え合う介護を行ってみんなを幸せにするため」

ということになります。


ただこれは、日々介護・福祉の現場で働く方々からすれば「何を綺麗事を…」と思われるかもしれません。

実際の現場では介護士も利用者も、家族も、皆が好き勝手に言いたい放題、やりたい放題じゃないか、と。
心も体も傷ついて、支え合うどころか自分だけは被害に合わないようにするのに必死なんだ、と。


それ自体を、僕は否定しません。

僕も現場で働く介護士ですから、その時々のエゴによって心も体も傷ついています。僕の両腕には無数のひっかき傷、噛まれた痕があり、中には15年前に付けられて今なお痕が残っているものもあります。

また以前お話しした通り、心身症により心臓を傷めて倒れた過去もあります。人間関係の醜い部分を嫌というほど見せられて感情を失ったこともあります。


それでも傷は傷、過去は過去でしかありません。



大切なのはそれらに紐づけられた感情と向き合い、折り合いをつけること
つまり「自分と向き合うこと」なのです。


「どうしてあんなことをされたんだろう?」
「なんでこんな目に合わないといけないんだ?」


行動と感情を切り分けて細かに分析していくこと。
流れを調べて確認すること。
そして、その意味を見つけ出すこと。

そうした営みを経て、人は成長していくのです。
立ち止まったままでは傷は癒えないのです。


だからこそ、介護士もまた自分と向き合う必要があります。
自分の傷をいやすために。相手の傷をも癒やすために。


そうしてお互いの傷が治るころには、お互いの誤解も晴れているものです。

あれだけ痛かった傷も。
あれだけ乱された心も。

「そんなこともあったなぁ」と懐かしむようになるのです。



そうなるためには時間や環境が必要な場合もありますから、どうしても逃げたいときは逃げてもいいのです。

頑張るのは、良くしようとするときだけ。
耐えるために頑張らなくてもいいのです。


自分と向き合う時間と環境を整えて、ゆっくり心と体を癒していく。
「自分が本当はどうしたかったのか」の答えを探していく。


そのとき初めて「どうして自分は介護を選んだのか」の本当の理由が見えてきます。


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