コロナ禍で問われる「介護士として働く意味」

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介護
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新型コロナウイルスの新規感染者数が1日に1000人を超え、第二波が目に見える形で姿を現してきたかのような今日この頃。

これに対し様々な意見が飛び交っていますし、最終的には自分の身は自分で守ることが第一だと考えられます。


そのなかで今回は僕が思うことを雑記していきます。
「一介護士には今の世の中がこのように見えるんだな」と参考にしていただければ。

前提① 介護士は風邪を引けない

そもそもの話なのですが、介護士は仕事の特性上普段から体調を崩さないよう管理に人一倍気をつかう職業です。


前回の記事「自分の身体と向き合い、愛情を育もう」でも触れましたが、腰痛を始めとした身体の故障を抱えれば仕事ができなくなります。

まして体調不良から感染症を患ってしまった場合、利用者さんや同じ職場で働く職員さんにうつしてしまう危険性がありますから、一般的な感覚よりも厳しい体調管理を求められるのです。

自分が感染した病で利用者さんが入院するようなことがあってはならないのです。


ですから毎年冬の時期になればインフルエンザへの警戒は怠りませんし、手洗いうがい・消毒を励行します。

この時期に人が集まるような場所には不用意に近づかないように心がけ、そのような場所に行く場合は予防策を取り、自分の体調変化を都度確認しながら無理をしないように努めています。


毎朝体温を測定し、また普段の調子と比べて今の体調がどうかを自己診断して「今日も一日働けそうだ」となって初めて仕事につけるわけです。

「ちょっと風邪気味だけど仕事をしなくちゃ…」と職場に来ようものなら「無理せず帰りなさい」と追い返されるのが介護の仕事なのです。
(そうでない職場はよほど切羽詰まっているか、利用者本位でないかのどちらかです)

前提② 感染が分かっていても介護は必要

職員が病気になった場合はその職員が静養すればよいのですが、万が一利用者さんが何かしらの病に感染した場合は、覚悟がいります。


ある年では一人の利用者さんがインフルエンザにかかり、そこから数日で施設中に感染が広がり一時閉所を余儀なくされることもありました。

通所型の施設だったので多くの利用者さんは自宅待機でなんとかしのいでいましたが、グループホームに住まわれている方はその生活の場での介助が必要となりますから、そこに勤める職員は感染していることがわかっていながら介助することになります。


以前の記事「新型コロナウイルス感染症緊急包括支援交付金(介護分) から見る介護士のあり方」では「直接対応したかで交付金に差をつけるのは本質的ではない」とお話ししましたが、それは直接介助を軽んじているわけではありません。感染が明確に診断できない状況で「確実に感染している」のと「感染しているかもしれない」のとで差をつけるのは公平性に欠けるということです。

感染リスクで言えば直接介助のほうが明らかに高いですし、「感染しているかもしれない」場合でも明確に感染していないと言い切れない以上「確実に感染している」のと同等の心理的負担を抱えているという話です。


ですから、感染症が出回る時期には特に覚悟が求められます。


施設側も感染リスクと利用者さんの生活を天秤にかけながら、時に有志を募ったり家族のいる介護士さんを避けたりして担当を決めて対応に当たらせることになります。


このように介護士は相手が誰で、どのような状態であっても介護を必要としている人に対し、いかなる時でもサービスを提供することが求められています。

相手の感染が分かっているからと言って介護の手を止めてしまえば、その日から生活が成り立たなくなってしまいます。


介護士が退くとは「生活を失わせる」ということなのです。

自宅待機を余儀なくされる場合

新型コロナウイルスの重症者の証言がテレビで放送されるようになると、いよいよ世間もマスクだ手洗いだと慌ただしくなります。


拡がる新型コロナウイルス。おびえる人々。


「もし自分や家族が感染して重症化してしまったらどうすればいいのか」と誰しも思い悩み、現状では打つ手がないという恐怖は人々の心に暗い気持ちを沁み込ませていきました。

それは利用者さんやそのご家族も例外ではなく、この頃から国や都道府県、施設組織の判断を待たずに自ら自宅待機する方も出てきました。そのなかには日常生活の大部分に支援が必要な利用者さんも含まれます。

そのような方が自宅待機するということは、介助の担い手は家族となります。それはヘルパーを招き入れること自体が感染リスクと考えて利用者本人に接触する人数を極限までに削る判断をした、ということです。


その利用者さんの支援をしていた身からすれば、本人も家族も心配になります。

閉ざされた空間で限られた人としか関わらないと本人・家族ともにストレスとなりますから、免疫力が低下して感染リスクも高まりますし、精神的に参ってしまいます。

施設側としては社会情勢を見ながら定期的に連絡を取り本人・家族の状況を把握して、施設利用の可能性を模索していくより他ありません。


長引けば事態は悪化する一方で、本人・家族に何かあってからでは遅い。
それがわかっていながらも具体的には何もできないもどかしさがあります。

低迷する社会の中で

一度車を走らせれば荒々しい運転が目立つようになり、車間距離をギリギリまで詰めて煽り運転をするドライバーが増え、最大で1週間に3度交通事故を見かけるようになりました。

道行く人の表情は暗く、マスク欲しさに密になり、テレビやマスメディア、ネットでは感染者の犯人探しで躍起になる始末。

感染の最前線に立つ医療従事者の方々に感謝する一方で、その家族を自分たちのコミュニティから追い出そうとする矛盾。

誰もが先行きの見えない社会に不安となり、目の前の情報に飛びついて一喜一憂しては誰かのせいにしたがる。

自然災害に責任を求めても仕方がないと内心でわかっていながら、そうでもしなければ自分の心がもたないのがよくわかります。


このような社会ではちょっとした優しさも「何か裏があるのでは?」と勘ぐられてしまいます。

本来ならお互いに助け合って乗り越えるべき局面ですが、「感染」というつながりを利用して拡がる災いが助け合いを妨げているように見えます。

差し伸べた手から感染するのではないか。
いただき物から感染するのではないか。
この人と関わるだけで感染するのではないか。

疑心暗鬼ばかりが募り、感染したくない一心で人との関わりを断ってしまう。
そうして追い込まれ、さらに人を信じられなくなってしまいます。

一線を越えられるか

今の社会はこの悪循環を延々と繰り返していて、支援の手を振り払ってしまった人が後戻りできない状況に追い込まれていきます。

一度断った手前、利用者・家族のほうから「助けてほしい」とはなかなか言い出せなくなりますから、介護士のほうから断られてでも手を差し伸べることになります。


もし介護士が支援を諦めてしまったら利用者・家族はいよいよ打つ手がなくなりますし、そのような「誰かを切り捨てる判断をする者」が公共性の高い介護の仕事に就くことが相応しいと言えるのか。

介護士としての存在意義を問われることは避けられませんし、その葛藤から目を逸らしてしまうと利用者・家族からは到底信頼されません。

なぜなら介護士にとっての介護は「仕事の一つ」に過ぎないかもしれませんが、利用者・家族にとっての介護は「生活そのもの」だからです。

介護士は最悪介護士でなく他の職業でも生きていけますが、利用者・家族が自分たちの生活環境や介護を必要とする肉体を取り換えたり代替したりするのは困難なのです。


この感覚のズレはお互いの不協和音を生みます。

「仕事」という一線を越えられない介護士をもどかしく思う利用者・家族。
「生活」という一線を越えられない利用者・家族をもどかしく思う介護士。

どちらにも立場がありますし、どちらにも言い分があります。

それゆえお互いに歩み寄るのが本来あるべき姿なのですが、直接生命が掛かっている分利用者・家族のほうが譲れないことを理解しておいた方が良いでしょう。


歩み寄るのはまず介護士から、なのです。

まとめ ~いま、介護士として働く意味~

こうして読み進めると「新型コロナウイルス感染症緊急包括支援交付金(介護分)」というものが国から支給される背景も見えてくるのではないでしょうか。

もちろん介護士も人ですから、仕事として感染リスクを背負うだけでなく個人としても新型コロナウイルスの恐怖と向き合っています。

公私にわたって新型コロナウイルスと直面しているのが介護士の現状なのです。


ですから、いま介護士として働く意味はただ仕事として稼ぐだけでなく、普段にも増して「人のしあわせのため」でもあるのです。

だからこそ使えばなくなるお金ではなく褒章を与えたほうが誰にとっても良いと考えるのですが、介護士からの恩恵を受ける対象が利用者・家族と限定される以上、難しいのかもしれませんね。


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また僕が介護を考えるうえで参考になった書籍を紹介しますので、よかったら一度読んでみてください。


本からの学びは揺るぎない自信へとつながっていきます。

介護を自分の「感情」頼りにするのではなく、知識や経験に裏付けられた「事実」と併せて行うことで、介護はすべての人を豊かにしていくことができるのです。


一緒に学んでいきましょう。

【併せて読みたい記事】
自分の身体と向き合い、愛情をはぐくもう
新型コロナウイルス感染症緊急包括支援交付金(介護分) から見る介護士のあり方


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