忘れがたい利用者さんとの思い出 ①共感力

※ 本ページはアフィリエイトを利用しています。

介護
スポンサーリンク

介護の仕事をしていると「この利用者さんは忘れられないなぁ」という方に巡り合うことがあります。

それまで出会ったことがないような強烈な個性を持つ方、世話になった方、今でこそ思い出になるけれど当時は大変だった方など。介護士ごとにそのような「思い出の方」がいるものです。


今回から数回にわたり、僕にとって一番忘れがたい方のお話をしていきます。

畏怖 ~かしこまり、おそれよ~

これまでに150を超える方の介護をしてきましたが、その中でも一番忘れがたい方がいます。

僕が今もこうして介護士として仕事ができるのはその方のおかげです。

想い紡ぐ介護士になるまででも触れたように、もしその方と出会わなければとっくの昔に介護の仕事を辞めて、今頃は社会を恐れて部屋に閉じこもっていたかもしれません。



その方とは派遣社員として初めて働き出して4日目に出会いました。
かれこれ15年ほど前の話になりますね。


身長175㎝以上で細身、やや猫背。左片麻痺(左半身がしびれて思うように動かせない状態)で右手で杖を突いて歩かれる姿は、ともすればどこにでもいるような高齢の男性。

しかしその眼光は、常に見る相手を射抜くかのような鋭さを放っていました。
並大抵の人では見られただけで震え上がり、体をこわばらせて身動きが取れなくなってしまいます。

事実その方は当時勤めていた施設で異例の扱いを受けており、その方が来られる曜日だけは事務課長自ら玄関先で挨拶にうかがい、施設を運営する病院の院長ですらその方には頭が上がらない様子でした。



また利用者さんですらその方が同じフロアに来るとしんと静まり返り、波風立てないように黙々とお茶を飲む有様でした。その方が席に着く前にフロア中に低く鳴り響く声で「おはよう」と挨拶をすれば、一番近くに座る方が恐る恐る会釈をする。

毎回このときが一番場が凍り付きます。

僕が知る限りでは何事もなく済んでしましたが、先輩職員の話ではかつてそこでその方を怒らせた利用者さんがいて、あまりの怒号に体の震えが止まらなくなり一日中寝込んでしまうという話がありました。



施設のトップや利用者さんですらそのような状態ですから、そこで働く介護士に至っては「その方の機嫌を損ねようものなら全方向から非難される」という過度なプレッシャーにさらされていました。

お茶の温度や量はもちろん、声掛けからコップを渡す角度、取っ手の向きなどあらゆる角度から失礼のないように対応することが自然と求められていきます。

ただ介護士も人ですから、その方を前にしては自然と体が震えてきます。そのせいでコップをテーブルに置く際にカタカタと音を出してしまったら、それだけで首を絞められたのではないかと思うくらい息が詰まってしまいます。

介護士がそこまで追い込まれたうえで渡してお茶に対し、その方は無言ですするのみ。
それでようやく周囲の緊張がほぐれていきます。


これが、一日の始まりです。


その方が施設に到着してから10分以内の出来事をまとめるだけでこのボリュームですから、周囲がどれだけその方に対して神経を研ぎ澄ませていたかを察していただけたかと思います。



施設・利用者・介護士。その何者をも寄せ付けない張り詰めた空気をまとうその方は、元警察官という経歴の持ち主でした。

「正確」とは「一寸のズレも許されない」ということ

働き始めた当時、僕は自身のコミュ障ぶりから三日で「やっぱり介護には向いていないんだ」と心底思い知らされました。

相手が今、何をしてほしいのかがわからない。気が利かない。
話しかけることもできないし、送迎中に話題を振ることなんてもってのほか。
任された仕事ですら満足にできない。

そんな、介護士として致命的な欠陥が浮き彫りにされた翌日に、僕はその方と出会ったのです。


それまで先輩職員から「この人だけは何があっても絶対に怒らせるな」と再三警告を受けており、メモ帳に注意点を書き込んだなら見開きでも足りないほどでした。

おかしなことに、それだけの注意点を挙げられていながら僕はその方の朝送迎から入浴介助、帰り送迎まで一日通して付くことになりました。僕が仕事ができないのはこれまでの三日間で明らかだったにもかかわらず、です。

もしかしたらその方と僕を会わせることで何かしらの変化をもたらしたかったのかもしれませんし、単に一日だけでも他の職員がその方と関わらない日を作りたいだけだったのかもしれません。

当時の雰囲気からすれば後者の線が濃厚で、僕自身も自分が働けるのも長くはないと痛感していましたから「介護士としてトドメを刺されるには丁度良いかな」と思いました。


その方の送迎は、儀式でした。


送迎時刻は8時45分と決まっており、8時44分でも8時46分でも許されません。
「仮に1分でもズレようものなら大地を揺るがすほどの怒声を浴びせられ、その日1日は生きた心地がしなくなる」と先輩職員から警告を受けていました。

ところが送迎バスは定時通りに着くとは限りません。道の混み具合や天候によって運転にはブレが出ますし、予定よりも遅れる日だってあります。

よって運転手は極力予定よりも早く到着し、8時45分になるまで家から少し離れた田んぼ道で停車して時間を潰します。以前家の前で停車していたらその方に感づかれてしまい、大変不機嫌になられたと「警告メモ」には記されていました。


その方にしてみれば「1分の乱れ」は油断であり、甘えであり、誠意に欠ける行為なのでした。そしてそれは元警察官という経歴から十分に察せられる考え方です。


治安を守る警察官が一瞬でも油断してしまえば社会を混乱に巻き込む恐れがあります。

「1分ぐらいならいいだろう」と状況に甘えている間に事態が急変してしまったら取り返しがつかなくなってしまいますし、自分が任された仕事に誠意がないようでは市民から信用されるはずもありません。

そういったプレッシャーの中で何十年も働いてこられた方なのだと思えば、時間に正確性を求めるのも自然なことだと考えられます。

ですから、その日も8時45分にドアホンを鳴らして迎えに上がりました。


そうして『警告メモ』で散々恐ろしいイメージばかりが膨らんだその方と初めて対面したのです。

~ つづく ~

小休止 ~相手をおもう『共感力』~


ここまでの話を聞いて「それはいくら何でも考え過ぎでは?」と思われる方もいるかもしれません。

ただ少なくともその方に関してはそのような人生を送ってきたであろう雰囲気をまとっており、誰に対してもそういったレベルの正確性を求める方でした。


であれば、そのようにすべきなのだと考えます。


なぜなら、相手を思うのならば「自分がどう思うか」よりも「相手がどのような世界観で生きているか」のほうが大切だからです。

相手の世界観を理解せず自分の正しさを振りかざしたところで、それは自分のためにしかなりません。そして自分のためにしかならないようなことを相手が受け入れる理由など何一つないのです。


この事実を、多くの介護士は多忙のなかで忘れがちです。


自分たちの都合で相手に言うことを聞かせようとしてしまい、反発されて仕事そのものがうまく行かなくなる。

そして、仕事がうまく行かないことばかりに目を奪われて「あの人が私の言うことを聞いてくれないんです」といった相談を先輩や上司にしたことがありませんか?


「言うことを聞かせる」こと自体が間違いなのです。


自分の言葉を通す前に「どれだけ相手の言葉を聞いてきたのか」のほうが遥かに大切で、自分の言葉と、そこに裏付けられた人生観を認められなければ人を信用することなどできるはずもないのですから。

もし介護士としてあなたの言葉が相手に通じていないのであれば、それは相手から信用されていないということです。まだ相手の想いを十分に受け取れていないのです。


そうして信用されなくなれば、どういう形であれ相手はあなたの下からいなくなってしまいます。

それまでいた人がいなくなってしまった後の部屋というのは、思った以上に堪えるものです。



信用されていない。
その現実は、認めるにはあまりにも辛いかもしれません。

自分なりに頑張ってきたにもかかわらず相手から信用されていなかったとなると、何を頼りにこれから介護をしていけばいいのかわからなくなってしまうかもしれません。


だからこそ、相手の想いに寄り添う姿勢というものが介護士には欠かせないのです。

相手から信用してもらえるように。
自分の言葉が届くように。

一日だってその営みをおろそかにしてしまったら、その日から介護士と利用者の関係性は脆くも崩れ始めます。


なぜなら、一人では介護はできないのですから。

【併せて読みたい記事】
想い紡ぐ介護士になるまで
介護士と自己分析 ~みんなで幸せになるために~


「想い紡ぐ介護士、ナカさんのブログ」では皆さんのコメントをお待ちしています。
よかったらこの記事へのコメントや感想などをご記入ください。

またこの記事をTwitterやFacebookでシェアしていただけるととても嬉しいです。

下の「シェアする」のアイコンをクリックすると簡単にシェアできますので、
よかったら使ってみてください。


    コメント

    タイトルとURLをコピーしました