『ヒト』を大切にする介護実践は「分析→検証→実践」にある

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介護
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日々の介護実践を深めるためには、介護者自身が原因を突き止めて改善する力を持つ必要があります。


もし介護者がそうした力を持たなければ

日々の実践から反省しない
日常で起きる様々な出来事も「まぁいいか」で見過ごす
トラブルが起きると「誰かのせい/私は悪くない」と思い込む

といった態度を取り、誰も幸せにも豊かにもならない「反福祉」状態となります。




ここを解決するために必要な能力として「分析」→「検証」→「実践」が必要となります。


そこで今回は改めて「分析」「検証」「実践」についてお話しし、どのように介護現場へ落とし込むかについてお話しします。


【分析】介護実践における分析とは「事実」と「感情」を分けること

分析を考えるにあたって、まずは「分析」という言葉の意味について共有していきましょう。

分析は、

1.ある物事を分解して、それらを成立させている成分・要素・側面を明らかにすること。


2.物質の鑑識・検出、また化学的組成を定性的・定量的に鑑別すること。記事 分析化学に詳しい。

3.概念の内容を構成する諸徴表を各個別に分けて明らかにすること

4.証明するべき命題から、それを成立させる条件へ次々に遡っていくやり方。

分析 -Wikipedia-



この中にある

「ある物事を分解して、それらを成立させている成分・要素・側面を明らかにすること」で、介護現場で起きる様々なトラブルがどうして起きたのかを調べること

が介護実践における「分析」となります。




介護現場における「ある物事」とは『事実』と『感情』であり、物事は「事実」と「感情」によって構成されていると仮定した場合

「物事」≧「事実」+「感情」



と表現できます。


目の前の物事の中で「誰にとっても当てはまる現実」が「事実」で、「その現象を捉えたときに生まれた心の動き」が「感情」です。

そしてこの二つを合わせた「人の心の動きを含んだ、誰にでも当てはまるかもしれない現実」が「物事」となります。


ただし「感情」はその現象を捉えるのが複数人の場合もあるので、「その現象を捉える人数の総和」と「事実」があってようやく「物事」と同じ量となる、と考えます。

現実的に感情が総和になることは少なく、基本的に「物事」のほうが「事実+感情」よりも大きくなります


「事実」→「誰にでも当てはまる現実」
「感情」→「目の前の現象を捉えたときに生まれる心の動き」
「物事」→「心の動きを含む、誰にでも当てはまるかもしれない現実(ありのままの現実)」




このように「物事」の中に「かもしれない」という言葉が含まれるのは、その物事を捉える人の中には自分の感情によって「他の人とは違う現実」が見える可能性があるからです。

同じ「事実」を見ても「感情」が別の現実を捉えさせ「誰にでも当てはまる現実」だとは言えなくなるため、「物事」には「かもしれない」あいまいさが含まれるのです。




以上を踏まえたうえで「物事」を「事実」と「感情」に分けていくことになりますが、おそらく今のままでは何が「事実」で何が「感情」なのかがわからないかと思います。


そういう方にお勧めするのが「物事」から「感情」を差し引いて「事実」を浮き彫りにする方法です。


「物事」≧「事実」+「感情」ならば

「物事」-「感情」≧「事実(おぼろげな事実)」である。




自分が捉えている「ありのままの現実」から「自分の感情」を差し引いたとき「事実」が見えてくるわけですが、その「事実」はまだ正確ではなくおぼろげです。

おぼろげになるのはその「事実」がまだ「自分一人の事実」でしかなく、他の人から見れば違った事実が浮き彫りになる可能性が残っているからです。


メタ認知と「感情の言葉」

では、事実を浮き彫りにするための『感情』をどのように見つけ出せば良いのでしょうか?


自分の感情を自覚するためには「心を動かす自分」とは別に「心の動きを観察する自分」を持つことが重要となり、「自分を観察する自分(もう一人の自分)」のことをメタ認知と言います。


メタ認知(英:Metacognition)とは、「メタ(高次の)」という言葉が指すように、自己の認知のあり方に対して、それをさらに認知することである。

メタ認知は「客観的な自己」「もうひとりの自分」などと形容されるように、現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力である。

メタ認知 -Wikipedia-



メタ認知による「もう一人の自分」に感情を見てもらうにしても、そもそも「その感情が何なのか」がわからなければ何だかモヤっとしてしまいます。

感情と聞くと喜怒哀楽を思い浮かべる方が多いかと思いますが、ここではもう少し細かく見ていきます。


人が「今こういう気持ちだ」と感じるのは「みる・きく・かぐ・さわる・あじわう」といった五感の組み合わせによるものであり、『感情』はこれまで自分が経験してきたことから導き出される「言葉」によって認識されるものです。


これが「感情の言葉」となり、その言葉を普段からメモで書き留めるなどして「見える化」し、繰り返し行う「このときはこう感じたんだな」と客観的に自分の感情を見つめることができます。


そしてこのとき初めて、「事実」と「感情」が分けられていることに気が付くのです。






こうして分析を「ある物事を事実と感情に分けて「人はこういう時にはこう動く」という情報に変えて蓄える作業」と捉えると、どこまでが「事実」で、どこまでが「感情」なのかが理解できます。

それは人の「思い込み」を理解することにもなり、「あ、いま感情的になっているな。だったら…」と冷静になって対処できるようになります。


そしてその為には普段から「事実」と「感情」を分けて考えるよう「感情の言葉」を文字にして書き記し、感情を察知する「もう一人の自分」であるメタ認知能力を養っていきましょう。



メタ認知を養う有効なツールとして前田祐二さんの著書『メモの魔力』をお勧めしており、以前の記事でその理由を詳しく説明しています。


【検証】検証する上で欠かせない「具体」と「抽象」

次に「検証とはなにか」について共有していきましょう。


検証(けんしょう)とは、事実を確かめることである。

検証 ‐Wikipedia‐

検証とは、しっかり調べて事実を確認すること、および、その確認のために行う作業のことである。一般的には、真偽が疑われる状態の事柄の真偽を確定させるための調査、あるいは、仮説が正しいことを証明するために行われる計算や考察など指す。

検証 ‐Weblio辞典‐



こうして眺めてみると、「自分が見出した『事実』」が正しいかどうかを確認するのが検証することだと言えそうですね。


分析では「事実」を「誰にでもあてはまる現実」だと定義し、その事実を探るには「ありのままの現実(物事)」から「自分の感情」を差し引くこと、とお話ししました。

そうして浮き彫りになった「事実」はまだ「自分一人にとっての事実」であり、おぼろげです。
別の人から見れば事実ではない可能性があるわけですね。


この「自分だけの事実」を「誰にとっても当てはまる現実」にするために「本当に事実かどうかを確かめる」ことが「検証する」ということになります。



検証するにあたっては「具体と抽象」という考え方が重要になります。

具体とは、人間の感覚でとらえられるものであること。形や内容を備えていること。⇔ 抽象

具体 ‐weblio辞典‐

抽象とは、事物や表象を、ある性質・共通性・本質に着目し、それを抽(ひ)き出して把握すること。⇔ 具体

抽象 ‐weblio辞典‐



これらをもう少し砕いて表現すると

具体

目の前の出来事を「これってどういうことなんだ?」と調べてその内容や原因を明らかにしたもの

抽象

ある具体的な事実から「これってこういうことが言えるんじゃないか?」という多くのものに当てはまるものを見つけ出すこと



このように言い換えることができ、「抽象」は多くのものに当てはまる分、「具体」との関係性(相対性)によって成り立っていることが見えてきます。


例えば下の画像の「おにぎり」では

具体 ←   おにぎり  <  お米  <  食べ物     → 抽象


という形に並べられます。

左に行くほど「具体」となり、より「なにか」を限定でき
右に行くほど「抽象」となり、より「多くに当てはまるもの」になります。


つまり目の前の出来事を分析し、それが他のものと比べて「具体」的なのか「抽象」的なのか。
それを調べる営みが「検証」だと言えます。


「具体」や「抽象」についてもっと詳しく知りたい方は、細谷功さんの著書『具体と抽象 世界が変わって見える知性のしくみ』をお勧めします。

「具体と抽象 ―世界が変わって見える知性のしくみ 」はイラスト・図解によって「目で見てわかる」くらいわかりやすく「具体」と「抽象」を説明してもらえます。

検証を重ね、人の「感情」が生まれる傾向をつかむ

ここまで「具体」と「抽象」についてお話ししたのは、事実を元に生まれた「感情」はその人固有のもの、すなわち「具体」になりやすく、感情から切り離された「事実」は多くの人に当てはまる「抽象」になりやすい傾向にあるからです。

「その人の感想なのか、それとも一般論なのか」が不明瞭になった際の判断基準として「具体」と「抽象」を用いることになります。


おにぎりの例で言えば、「おにぎりの画像を見て『おいしそう』と感じる」というのは「具体」であり、「おにぎりの画像がある」というのが具体に対して「抽象」になります。





ここで大切なのは、感情を差し引いて導き出された「事実」に対して「どうしてその感情が生まれたのか」を見つけ出し、人の感情が生まれる傾向をつかむことです。


人の「感情」がその「事実」に対してどう動くのか。
その動きは他の場合でも同じように動くのか。


そういった「感情の動き」を細かく検証を重ねていくうちに「その人らしさ」が見つかり


「こういう時はこう感じる」と確かに言えるもの。
その積み重ねが「私」を形作っていくのです。

【実践】実践とは『運動化』すること

最後に「実践とはなにか」について共有していきましょう。

実践とは、実際に行うこと。理論や理念を行動に移すこと。実行。

実践 ‐weblio辞典‐




「実践」とは、分析によって「誰にでも当てはまる現実」と「そこから沸き上がる感情」を分け、検証によって感情が沸き上がる傾向である「その人らしさ」を見つけ出した、その先に行うことです。


「分析」「検証」によって見つけ出した「その人らしさ」と「現実の行動」を照らし合わせ、そのズレを修正すること。

これが「実践」する、ということです。




「その人らしさ」と「現実の行動」のズレとは自分が招きたくない結果であり、「わかっているけれどできない」という一言に集約されるものです。


「わかっているけれどできない」という現実を前にすると「世の中こういうものだ」と折り合いをつけて、徐々に「その人らしさ」を心の奥底へ押しやろうとします。

こうなると「自分が何者かわからない」状態に陥り、本来できていたであろうことも「できない」と思い込んで依存的になってしまいます。




介護において「依存的になる」のは、個人の尊重や自立支援とは真逆のあり方となってしまいますから、「分析」「検証」だけに留まらず「実践」を取り入れることで


「わかっているけれどできない」→「わかっているからできる


という状態へと変えていくこと、すなわち『運動化』するのが「実践」です。


「実践」だけが他者に影響を与える

「分析」「検証」と「実践」の一番のちがいは「実践」のみが他人に影響を与える、という点です。


それはなぜかと言うと、「分析」「検証」までが自分一人で済ませられるのに対し、「実践」ではいよいよ自分の外側に向けて具体的に行動していくことになるからです。


ここまでの話をまとめると以下のようになります。

「実践」とは、「分析」「検証」によって改めて見つけ出した「自分らしさ」と「現実の行動」を照らし合わせてそのズレを修正し、「わかっていてもできない」を「わかっているからできる」ほうへと導いていくこと。

「実践」のみが他人に影響を与え、「わかっていてもできない」人の葛藤を理解すると「なぜ自分の思うままに行動するのを止められるのか」に納得がいく。




「実践」が他者に影響を与えるようになる以上、実践においては心の葛藤を意識することになります。

相手が「わかっているけれどできない」と思い込んでいる領域に対してアプローチする訳ですから、時にそう思い込むに至った過去の傷と対面することにもなります。


この時、「分析」によって「事実」と「感情」を分け、「検証」によってその「感情」がどのように生まれてきたかの傾向を検めていれば。


「実践」するにあたっても「わかっていてもできない」人の葛藤を前に「なぜ自分の思うままに行動するのを止めてしまうのか」について「論理的に理解できないのではなく、心が受け入れられないから」なのだと受け入れ、手を差し伸べられるようになります。


【まとめ】介護実践における「分析」「検証」「実践」は、介護職を『憧れ』にする

ここまでで「分析」「検証」「実践」について一通りお話ししました。


改めてまとめると

分析:目の前の現実から「事実」と「感情」を分ける

「感情の言葉」に気づく

検証:その「感情」がどのように生まれたのかを検める

「その人らしさ」を見つけ出す

実践:「その人らしさ」と「現実の行動」のズレを修正する

「わかっているからできる」ようへ導く




このようになり、

目の前の出来事から「客観的事実」と「利用者の感情」を分けて、
「なぜこのように感じるのか」を検め、
その原因と現実に取る行動のズレを修正して「本人の気持ち」と「達成したい目標」を一致させる。


これが介護実践における「分析」→「検証」→「実践」の流れとなります。





こうして並べてみれば、介護実践において軸となるのは『ヒトの感情』であることが見えてきます。


例えば、現場経験のある方ならば、一度はケアマネジャーの立てたケアプランが介護拒否によって提供できない事態に遭遇したかと思います。


これこそ「どれだけその利用者にとって最善のプランを用意しても、その利用者の『今の気持ち』に寄り添えていなければ実践されない」という事実を如実に表しており、介護において重視されるのは『ヒト』だという話です。


ただ、この『ヒト』を重視する介護のあり方が理解されずに「介助重視」に片寄っている現状が散見されます。





このような事態が起きてしまうのは



自然と科学の関係性 → 「時間」と「空間」の話



愛と愛情の違い → 愛はシステムであり、愛情は心である



介護と介助の違い → 介護は『権利擁護』、介助は『支援システム』




といった内容を押さえないまま介護現場に入り、介護報酬を得るためだけの仕事として介護(介助)を捉えているからです。


これらの内容を理解して介護実践における「分析」→「検証」→「実践」をしっかりと押さえれば、日々の介護業務で



あなたがいてくれてよかった



と笑顔で言われる介護実践を行うことができるようになります。


その言葉、笑顔こそ「『ヒト』の魅力」であり「介護の魅力」です。


介護職一人ひとりがそうした魅力を肌で感じ、やりがいを持って介護の仕事に励んでいけば、その姿を見た周りの人々も

私もああいう風になりたい

と憧れ、介護人材を志すようになるでしょう。




介護ブログの他にも、介護ニュース等などを取り上げるnote、読書にまつわるアメーバブログを運営しております。



また僕が介護を考えるうえで参考になった書籍を紹介しますので、よかったら一度読んでみてください。


本からの学びは揺るぎない自信へとつながっていきます。

介護を自分の「感情」頼りにするのではなく、知識や経験に裏付けられた「事実」と併せて行うことで、介護はすべての人を豊かにしていくことができるのです。


一緒に学んでいきましょう。

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