「ほだし」を「きずな」に ~被災地視察レポート 2日目②~

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2021年2月13日。福島県沖で震度6強の地震が発生しました。

家屋や人的な被害が見られるものの2021年2月22日現在では死者は出ておらず、一時的に交通機関が運休したり約83万世帯が停電したりといった混乱もありました。

この地震について気象庁は、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の余震であると推定しており、東日本大震災からの復興10年を前に今一度被災地視察をしたときの記録を振り返ろうと思いました。


今回は「震災から4年後の被災地視察」に参加した際のレポートを基に記事を書いていきます。
復興10年を前にあらためて学びを深めていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

高台への避難を体験してみる

被災地視察を終えて南三陸町を去る前に、南三陸さんさん商店街にて自由行動となりました。


南三陸さんさん商店街は南三陸の特産品などを扱う商店街。
「サンサンと輝く太陽のように、笑顔とパワーに満ちた南三陸の商店街にしたい」というコンセプトのもと、今なお南三陸町にとって貴重な資金調達源となっています。

南三陸さんさん商店街 ホームページ:https://www.sansan-minamisanriku.com/


2017年本設商店街へ移転するまで、この商店街は志津川中学校の側に仮設商店街として建てられていました。震災当時は志津川中学校は震災当時避難場所ではありませんでしたが、高台にあったため一時期避難場所として使用されたのです。


その志津川中学校から撮影された津波が押し寄せる動画では、津波が海岸に到達してから4分以内に志津川中学校付近まで押し寄せていました。


さんさん商店街から志津川中学校へ行くには階段を駆け上がらなければなりません。
そこで実際に志津川中学校に避難するにはどれほど時間が掛かるのか、自分の足で試すことにしました。


荷物を持たない状態で階段付近から計測を開始。
しかし時間を計測するまでもなく階段の中盤に差し掛かる頃には息が切れ、足が鉛のように重くなり駆け上がるどころではなくなってしまいました。


どうにか階段を駆け上がってみれば息は絶え絶えで、雨でなければその場に座り込んでいたところです。

平穏時でこの有様です。
実際に津波が押し寄せた場合を想定すると、津波に足がすくんで動けなくなるか、あるいは生き延びようと必死に駆け上がろうとするか。

いずれにせよ多くの人の場合、逃げ切れないと考えるのが妥当だと感じました。


思い返せば今回の震災で助かった人の大多数は高台に避難した人々です。

津波にいち早く気づいた人や元々高台近くにいた人は生き残ることができましたが、津波に気づくのが遅れた人、気づいていたが高台に行く手段がなかった人はどうなったのでしょうか。


東日本大震災における障がい者の死亡率は健常者に比べ約2倍、南三陸町に限れば約3倍にも及んでいるといいます。これは障害をもつ方々が高台まで避難する方法が十分ではなかったのが一つの理由としてあげられます。

実際にのぞみ福祉作業所の職員さんの話では、ベッドで寝たきりの方をベッドごと持ち上げて避難しようと試みたが、一度津波に足元をさらわれ土手に流されてしまい助けられなかったといいます。

「もし高台へ登る術があったなら助けられたかもしれない」と悲痛な面持ちで話されていたのが今でも心に残っています。


視察当時も津波に備えて埋め立て作業や防波堤の建設が進んでいました。
しかし今回の津波の規模を考えれば、津波を食い止める方法ではその被害は抑えられないことは容易に想像がつきます。

それよりも住民が速やかに高台へ避難できる環境、例えば避難場所に指定された高台には緩やかなスロープを建設するといった「津波を受け流す方法」を模索・実行する方がより現実的な津波対策になりうるのではないでしょうか。


そんなことを考えながら志津川中学校の高台より南三陸町を見下ろせば、そこは霧に包まれていました。

「ほだし」を「きずな」に

震災の起きた2011年、公益財団法人 日本漢字能力検定協会の発表した「今年の漢字」は「絆」でした。

これは「東日本大震災をはじめとした大規模災害により身近でかけがえのない人との絆をあらためて知る」という想いからつけられたものです。

公益財団法人 日本漢字能力検定協会 「今年の漢字」一覧https://www.kanken.or.jp/project/edification/years_kanji/history.html



震災を生き残った人々は、生き延びるために人とのつながりを大切にしました。

つながりのある者が困れば皆で助け、また人に助けられ、別の人を助けていく。そのようなつながりを強めて今日まで生きてこられたのです。


しかし震災直後と異なり多少なりとも衣食住が足りるようになると、人々の心の内に本能的にエゴ(我欲)が出てきたといいます。



平成の森の自治会長、畠山さんの話では、震災からしばらく経って状況が落ち着き始めた頃から仮設住宅内で家庭内暴力が発生したといいます。

震災前の状況と今の状況を比べ経済的、精神的にストレスを抱えてしまったせいではないかと畠山さんは推測しますが、本人に話し合いを持ちかけようとするも暴力を受けているであろう親が子をかばってしまい、詳細もわからぬまま今も解決に至っていないとのことでした。(視察当時)


震災の語り部、後藤さんも「食が足りるようになると人間は自分のことばかり考えるようになってしまう」と当時を振り返ります。

「震災から何を学ぶのか、以前と同じに戻ってしまっては意味がない」と悲嘆されていました。


また仮設住宅から公営住宅に移った高齢者の例を挙げると、仮設住宅ではプレハブの薄い壁で仕切られていただけで隣に住む人の生活音が良く聞こえたのに、公営住宅に移ってからは音が全く聞こえなくなってしまい軽いうつ状態に陥ってしまったといいます。

仮設住宅にいた頃は人とのつながりをすぐに感じられたのに、公営住宅では(公営住宅に住む人は抽選で無作為に選ばれるため)見知らぬ人ばかりでつながりを感じられない。

新たにつながりを築ければよいが、震災で得たつながり以上のものは平穏時には得がたいものであり、それを支える人もまた得がたいものです。


「絆」という文字には「きずな」の他に「ほだし」という読みがあります。


「ほだし」とは「人の心や行動の自由を縛るもの。自由をさまたげるもの」という意味であり、奇しくも人とのつながり、すなわち「きずな」で震災を生き延びた人々がそのつながりによって苦しめられている現状を言い表しているようにも思えます。


このことを踏まえて私たちにできることは、南三陸町に住む人々にとっての震災を乗り越えようとする強い力、すなわち「きずな」と呼べるような強いつながりを持とうと積極的に関わっていくことではないでしょうか。

その為には南三陸町へ直に訪れ、現地の空気を肌で感じ、土地の匂いを嗅ぎ、そこに住む人の話を聞き、その地ならではのものを共に食べ、南三陸という土地柄を知ることをお勧めします。

そうして自分の五感を使い、少しでも相手の立場に近づき、相手の意思を汲み取ろうとすることで「ほだし」になりかけている人とのつながりを「きずな」へと変えていく。


これこそが私たちに求められているものではないでしょうか?



震災を乗り越えようとするほどの強いつながり。

本来「きずな」であるそのつながりが「ほだし」となって人々を苦しめている現状を私たちが変えていこうというのは途方もない試みに思えるかもしれません。


しかしその試みはたとえば高齢の方々、障害をもった方々と関わろうとする介護士(支援者)の支援に似ています。私たち介護士は普段から相手が何を思い、どうしたいかを汲み取ろうとする試みを行っているのではないでしょうか。

あるいは親が子の気持ちに寄り添うように、かけがえのない友達を守るように、そのつながりを大切にしたいという想いは誰もが抱えるものではないでしょうか。


それならば、相手がどういう状況にあろうとも私たちには人とのつながりを「きずな」として築く力があるはずです。

現に被災地視察に訪れた私たちを現地の方々は温かく迎え入れてくださいましたし、のぞみ福祉作業所の皆さんも他地域の方々との交流を経て、本来持つ活力をすでに取り戻しているように見えました。


そうして直接会い、言葉や食事を交わせばどのような状況・状態であっても人はつながりを持てます。


私たちの身体に備わった自然の力として、人は人と呼応し合い、お互いを求めあうのですから。

誰もが「たすけ」「まもり」、想い紡ぐ

私たち介護士の「介護」とは、生活に困難さを抱える高齢の方々、障害をもつ方々だけに向けるものではありません。


そこに手を差し伸べてほしい人がいるなら、そっと手を差し伸べること。
話を聞いてほしい人には耳を傾け、寄り添ってほしい人には寄ること。

常に側に在って、一緒に生きていくこと。
そういった人としての自然なあり方を、自然なまま日々を営むことを、必要とする人とともに紡いでいくこと。


このように「介け(たすけ)」「護る(まもる)」のが介護なのであって、制度の枠組みの中で身体介助や生活支援をするだけのものを「介護」というわけではないのです。


その意味で「介護」とは介護士に限った話ではありません。

人間社会に生きる以上つながりを求めて誰もが自然と人を「介け、護る」ようになるのですから、すべての人は「介護」のなかに生きていると言えます。


どうか手を差し伸べることを恐れないでください。
話に耳を傾け、聞いてあげてください。
時には側に寄って一緒にいてあげてください。


人は人と呼応し合って初めて「生きている」と実感できるものなのです。
誰もがそうした「お互い様」のなかで生きていて、その営みを通じて想いを紡いでいるのです。


ですから、あなたを助けてくれる人は必ずいます。
あなたに助けられている人も必ずいます。


どうか、そのことを覚えておいてください。


ふと立ち止まって自分と向き合うことになったとき、ただ「あなたがいる」そのことに価値があるのだと思い出せるように。

~ おわり ~


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