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神経質すぎる利用者さんとの思い出 ②責任感の暴力

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介護
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前回に引き続き、神経質すぎる利用者さんとの思い出をお話していきます。

神経質なあまり自分の思う通りでなければ外にも出歩けなくなる方との「マイナスからのスタート」。
その中で僕がどう立ち回っていったかの続きとなります。

「細かさ」が生む重荷

その方の「細かさ」は生活の全てに掛かってきますし、それを本人の言葉通りに実行しなければなりませんから、職員に掛かる負担は重大です。

前回お話しした裾の折り曲げ方を聞いて「それくらいなら誰でもできるんじゃない?」と思われたかもしれませんが、あれはあくまでスタートラインです。


詳しくお話しすると、股下の裾の長さや縫い目の向きや靴下の履き方、上着のボタンを上二つ残してすべて留めたのちにズボンの裾を股下の縫い目が乱れないように垂直に上げ、上着が「わずかにたわむ」程度の高さでボタンを留めます。

ベルト穴の三個目に金具を通してベルトの先端がきちんとベルト通しで支えられるようにベルトを締めます。
靴はひも靴で、幸い本人が望む緩さで足が入れられるため、きちんと揃えるだけで済みます。



ここまでが「着衣」であり「脱衣」はまた別なのですが、その前に大事なポイントがあります。

それは上着が「わずかにたわむ」程度にズボンの高さを合わせるという部分で、それまでが向きや長さといった明確な基準があるにもかかわらず、ここは本人の感覚によるのです。


以前先輩が「わずかにたわむってどれくらいですか?」と質問したところ、その方は機嫌を悪くして

「それは普段から僕のことを見ていればどれくらいかわかるはずだよね? あなたは施設の職員さんなのに大事なお客さんのことを見ていないの?」

と言われたそうです。


それからその方は数日間そのことを引きずって夜眠れなくなり、深夜0時ちょうどにナースコールを鳴らして「睡眠薬をちょうだい。薬がないと寝れんわ」と催促するようになりました。

その時間帯は施設全体を巡視する忙しい時間帯ですが、薬を催促した初日以降は「深夜0時に薬をもって入室する」ことはその方にとって確定事項となり、そうしなければ薬を飲んだとしても眠れなくなり翌朝から施設長やサービス提供責任者を呼び出して1時間以上に渡り愚痴三昧となってしまいます。

その上ケアマネージャーに電話連絡してさらに数十分延々と不平不満を打ち明けるものですから、支援者側全体がその方に手を焼いてしまうのです。



ズボンを上げる高さ一つとってもこの事態ですから、生活全般その方の言う通り「一言一句狂いなく」実行しなければお互いが持たなくなります。

とはいえ、実行しようとすれば職員がその方の「細かさ」に寄り添っていかなければなりませんから、職員の精神が参ってしまいます。


「それでも仕事なんだからやらないといけないんじゃない?」と思われた方は、24時間365日その方の「細かさ」に寄り添った場合を想像してみてください。

指先一つ、呼吸一つ違えるだけでその方の機嫌を悪くして施設全体に迷惑を掛ける重荷は、背負うにはあまりにも責任が大きいのです。


職員からすれば「やるも地獄、やらぬも地獄」という状況ですから、施設という閉鎖された空間で「やりきる」ことを求めるのは酷な話なのです。

負の感情に追いやられる

そのような状況で僕はどうだったか。
他の職員さんと変わらずその方から敵意を向けられたり、避けられたりしました。


その方のところへ食事を配膳すると「汚いなぁ…どうして机に対して斜めに膳を置くの?」と不快そうに言われましたし、夕食後の薬をその方のところに持っていっても「あなたでは不安だから別の人に変わって」と直接言われました。

入浴介助では「あなたに裸を見られなくないから出ていって」と、歩行訓練では「あなたで僕の身体を支えられるのか不安だわ」とため息交じりに言われました。

脳刺激として塗り絵をしてもらおうとすると「僕がボケているように見えるの!? 失礼だなぁ!」と怒られました。
その後責任者が呼び出されてコンコンと説教を受けている状況をその方の居室の外から聞いて、ひどく落ち込みもしました。


どう考えても僕では力量不足で、次第にその方と関わるのが怖くなりました。

次何を言われるかわからない。不安にさせたり怒らせたりするかもしれない。
僕が関わったせいで周りに迷惑を掛けるかもしれない。


そんなことを思うと、どうしてもその方を避けたくなりました。
そしてそれでも避けられない状況に気持ちが深く沈んでいくのを感じました。

~ つづく ~

小休止 ~責任感の暴力と解決策~

その方の持つ「細かさ」についてその一端をさらに深堀りしたのが今回のお話になるのですが、いかがでしたでしょうか?

今回の話は2020年時点で「11年前の話」になります。

10年以上経ってもその方の「細かさ」をハッキリと覚えていることから、当時の状況がいかに凄まじかったかが想像できるかと思います。


今回の記事で学びになるポイントは「責任感の暴力」です。



どのような方でも一度は「理不尽に責任を押し付けられる」「責任があるように望まれ、半ば強制される」といった事態に巻き込まれる経験があるかと思います。

上司から一方的に仕事を押し付けられた、とか。
いつの間にかやりたくない担当に決まっていた、とか。

もしそれを断ろうものなら「(チームの一員としての)自覚はないのか!」と責められてしまう状況。
実際にそう言われなくても、そういう雰囲気があって何も言い出せない状況…


こういう「誰かがやらなければ全体が上手く回らない」状況で運悪くスケープゴート(身代わり)に選ばれてしまったとき、どうすればいいのでしょうか。

方法は二つで、その環境から身を引くか、責任が生まれる原因を解決するかです。


身を引いた場合、まず自分の安全が確保されます。

理不尽に巻き込まれる危機的状況から逃れて一旦安全な環境へ移るわけですから、心身ともに健やかな状態に戻ります。

自分一人だけ見ればこれ以上に最善の選択肢はないように思えます。


ところが。


自分が逃げるということは誰かがその責任を負うということですから、残った人の中から自分の変わりが選ばれることが確定します。

そしてその人は集団の中で浮いた存在であったり、自分と同様かそれ以上に立場が弱い人であったりするわけですから、自分よりも状況をうまく扱えない場合が多くなります。


となれば、その人は自分以上にその状況から大きなダメージを受ける可能性が高くなります。
それを良しとするかどうかが「身を引く」選択肢をする場合のポイントになります。


一方で責任が生まれる原因を解決しようとする場合、その為に必要な能力があります。
その能力があるかないかで原因解決の道筋が選べるかどうかが決まります。


その能力とは、以前お話しした「分析・検証・実践」を行う力です。
(参照:自分と向き合おう! ①分析 ②検証 ③実践


目の前の物事を「事実」と「感情」に分けて、その感情が生まれる流れを理解する。
その流れが「本当に正しいのか」を頭の中でシミュレーションして本質をつかむ。
その本質が問題を解決しうるか実際に行動する。


このような思考プロセスを自分が持っていると言えるかどうか。


この記事を読まれた段階でその能力を持っていないと思われるのであれば、「身を引く」選択肢をされた方が良いでしょう。

「原因が解決できるなら…」と自分には備わっていない力を駆使しようとして無理を重ね、自分を追い込んで深刻なダメージを受けてしまったら元も子もないのですから、上記①~③を読んでなおピンと来ないのであれば身を引く方が賢明かと思います。


もし「分析・検証・実践」が自分になじむのであれば、責任が生まれる原因を解決する可能性があります。

なぜその問題が起きてしまったのか。
それはどういうことなのか。その真相は何なのか。
真相が知れたとき、どう動けば解決しうるのか。

それぞれの段階でそのように考え、実行して次の段階へと移れるかどうか。

困難ではありますが、原因解決を望まれる方は①分析 ②検証 ③実践を読まれたうえで精度を高めていかれると良いかと思います。


原因が解決できるようになると、周囲からの評価が跳ね上がります。
その有様が「手のひら返し」と思えるほどに。

誰かが背負わなくてはならない「重荷」そのものを無くすわけですから、そこから生まれる感謝は底知れぬものがあります。


その喜びを一度でも感じられたなら、人生は大きく変わっていきます。


二つの選択肢のうち、僕が辿ったのはどちらか。

これまでのカテゴリ「介護の思い出」を読まれた方はおそらく察しが付くかと思いますが、答えは次回以降のお楽しみにしたいと思います。


【併せて読みたい記事】
想い紡ぐ介護士になるまで
自分と向き合おう! ①分析してみよう
自分と向き合おう! ②検証してみよう
自分と向き合おう! ③実践してみよう


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