神経質すぎる利用者さんとの思い出 ①言葉の正確さ

介護

どんな利用者さんにも「これぞ」という思い出がありますが、その中でも「この人ほど神経質な方はもうお目に掛かれないだろう」という方がいらっしゃいました。

今回から数回に分けて「神経質すぎる利用者さんとの思い出」をお話していきます。

マイナスからのスタート

僕がその方と関わることになったのは有料老人ホームで働くことになってすぐでした。


まず先輩職員さんから言われたのは「あの方の言うことには一言一句狂いなくこなしなさい」ということでした。

その時は「一言一句」とはまた随分大げさだなぁと思ったものでしたが、その先輩の雰囲気が冗談を言っている感じではなかったので警戒して対面することにしました。


初めてその方の居室へ訪れたのは夕食の声掛けをするときで、まずは先輩が部屋のドアをノックして中に入り、僕も「失礼します」と続きます。


部屋はきっちりと整頓されており、掃除も行き届いていました。

洗面台に続く手すり以外は「斜め」のものが一切なく、テレビやタンスは寸分の誤差なく居室の出入り口に対して平行。

ベッド側に置いてあるコップの取っ手は本人に対して垂直位置にあり、リモコンも同様。それ以外のものは埃一つ存在が許されないほど綺麗でした。


そしてその部屋の主は曇り一つない眼鏡の奥で不審そうに視線を僕に向けてきます。

疑いようもなく敵意あるまなざしを向けるその方の態度に僕はその場に立ちすくみます。
何か失敗して怒られることはこれまでに何度もありましたが、初対面で何をしたわけでもないのに敵意をむき出しにされたのは初めてでした。


「そちらの人は新人さん?」「ええ、そうですよ」「そうか、また新しい人が来たんだね」
そんな会話が進む中でもその方は僕の様子をうかがっています。

どうにも怪しまれている。信用されていない。
そんな印象でしたし、それは続く言葉が如実に証明していました。

「嫌だなぁ。僕が『気にしい』なのは知ってるでしょ? 新人さんじゃ僕のストレスが溜まる一方だわ」

あからさまに嫌な顔をするその方に、愛想笑いする先輩。
どうやらその方にとって僕もまた「自分をイラつかせる新人」という括りに入ったようでした。

新人キラー?!

「取り付く島もない」とよく言いますが、その方はまさに人を受け入れない方でした。

正確に言えば「自分の言うことを忠実に実行できる人」しか受け入れることが出来ない方で、その「忠実さ」を実行できる職員は施設内でも一人二人いるかどうかだったのです。


そういう方でしたから本人もおっしゃったように「新人さんじゃ僕のストレスが溜まる一方」で、僕より1か月早く入職された先輩方は早々に脱落させられました。


先輩方曰く「なんでこんな召使いみたいなことしなくちゃならないんだ」から始まり、
「そんな細かいことこっちは知らんわ!」とか、
「わざと言って私たちをいじめて楽しんでいるんだ」とか。

その方に相当ねちっこくやられたみたいで、休憩室では再三その方への愚痴大会が開かれていました。


では、その方が言う「自分の言うこと」がどれくらい細かいのか。


例えば肌着の袖で言えば「袖の先にあるゴム部分をきっちり二等分に折り曲げる」というのがありました。
これを受けて多くの人は「ああ、二つ折りにすればいいのね」と解釈してざっくり袖先を折り曲げるのですが、その時点でアウトです。

その方の望みは「二等分」であり「二つ折り」ではないのです。
折り曲げた先がきちんと揃っていなければその方の意には沿わないわけですね。

そうして均等に折り曲げなければ上からシャツを羽織ったときに肌着の袖が上着の袖より長くなってしまい、不格好になってしまうのです。


その方の言葉を借りれば「こんなのでは恥ずかしくて(部屋の)外には出られんわ」となり、実際夕食時には頑として居室から出ずに職員に食事を運ばせた上に食べ終わるまで見守らせ、服薬のチェックまでさせました。


どうでしょうか?
肌着の袖一つとっても「こんなの付き合ってられるか!」と匙を投げたくなったかもしれませんね。

僕が見た中でも早々に匙を投げだして険悪な仲となり辞めていった職員が何名もいました。
根気よく付き合おうとしても忙しい中どうしてもその方の意に沿えず、思い悩む職員も多々いました。


歴の長い職員ですら手をこまねく方でしたから、新人では相手にならないのは明白です。
「新人キラー」と呼んでも差し支えないほどその方の支援は困難を極めました。

~ つづく ~

小休止 ~言葉の正確さ~

歴の長い介護士さんほど支援困難な利用者さんから多くを学ぶ経験をされたかと思います。

僕にとってもこの方と過ごした日々は「マイナスからのスタート」であり、当時は一体どうしたらいいのかまるで見当がつきませんでした。

この後どうなっていくのかは次にお話しするとして、この段階で学ぶべきは「言葉の正確さ」についてです。


上の例で挙げたように「袖を二等分に曲げる」という言葉を、多くの方は「袖を曲げればいい」と勝手に解釈してしまいます。

自分の経験則から自動的に最適解を導き出し、そのように行動してしまうわけですね。



それは自分にとってそうすることが当たり前だと考えているからで、その価値観が否定されるはずがないと無意識のうちに思い込んでいるからこそ「自分の解釈でいいんだ」と相手の解釈を確かめる前に行動してしまうのです。

相手の解釈と違っていれば、やはりその価値観が否定されます。
「あなたの常識は間違っている」と言わんばかりに。

自分の価値観が否定されてしまうと「そんなはずはない」と反発する気持ちが芽生えてきますから、相手の言葉を、価値観をも否定し返すようになります。

こうなるとどちらかの心が折れるまで徹底抗戦となってしまい、「どちらが正しいか」の決着がつくまで傷つけ合うことになります。


言葉の正確さを軽んじてしまうと、「私(の価値観)が正しいのだから従いなさい」という上下関係になってしまうわけですね。


以前の記事「介護組織における「記録」と「記憶」のちがい」でもお話ししたように、自分の価値観(想い)を重視する方は、一方で客観的事実(今回の場合では「言葉」)を軽く見がちです。

「相手がどのような言葉を使ったか」という客観的事実よりも「自分がどう感じたか」という想いのほうが重要だと思い込んでしまうため、客観的事実にひそむ「相手の気持ち」に気を配ることがおろそかになってしまうのです。



この「言葉にひそむ相手の気持ち」が今回の思い出全体を見るうえでキーワードになりますので、どうぞ次回をお楽しみに。


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