資格を取るって本当に大切? ①大学時代とお金の話

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介護
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前回の記事「介護の資格ってどこまで必要?」では、資格の定義から現存の資格を捉え直したとき

介護の資格は取る『必要』はなく、取る『目的』がある場合に取ればいい

というようなお話をしました。
「何がしたいか」を見失って「こうすべき」という周囲の論理で資格を取るのは危ういですよ、とも。


今回は「それでも資格があった方が良いんじゃない?」と思う方に、介護の仕事のために8つの資格を取った僕が実際にどれだけのものを費やしたのか。

そのエピソードを何回かに分けてお話していきます。

まずは「資格を取る」背景を

僕が高校時代「物珍しかったから」という理由で福祉系の大学を選んだのは、以前の記事「人と話せなかった僕が、人と関わる福祉の仕事で10年以上働く理由」でお話しした通りです。

そんな薄い動機で福祉を目指せるわけもなく程なく挫折。人への恐怖から大学にも行かず学費を稼いでは親の目をごまかすだけの日々を一年半過ごしました。

その後親の赦しもあって、「生まれ変わってもう一度大学へ行き、きちんと卒業しよう」と決意したところから「資格」の話が始まります。


そのうえで最初にお伝えすること。
それはもう一度大学へ行こうと決める前から僕は社会福祉士の受験資格を失っていたということです。


社会福祉士になるには様々なルートがありますが、福祉系の4年大学にいる場合「指定科目」と「基礎科目」の履修と単位取得が条件となります。(詳しくは公益財団法人社会福祉振興・試験センターにて)

その内「指定科目」にあたる現場実習を人間関係のこじれから行かずに単位を取得しなかったため、大学に行かなくなる前にはもう社会福祉士になれないことが確定していました。

この時点でもう福祉系の大学に行くメリットはなく、素直に大学を中退していれば時間も、学費も、それを稼ぐ労力も無駄にせずに済んだわけですね。


先ほど「親の赦し」と書いたのはこのような状況であっても実家に住ませてもらい、食事代や通学費も出してもらったこと。そして学費を自分で稼ぐようにしてくれたことに対する感謝の表れです。

前半はともかく後半の「学費を自分で稼ぐ」ことへの感謝は伝わりにくいかもしれませんので、くわしくお話していきます。

二十歳でも学生なら「親に守られて当たり前」なのか?

ともすれば自分が必要とする費用を、学生のうちは「親に出してもらうのが当たり前」「親が出すのが普通」と考えるかもしれません。


一生一度の貴重な学生時代なのだから、自分の思うようにやりたい。
また親としては自分のこどもが幸せであることを望み、できる限り叶えていきたい。


それ自体はごく自然のことで、その想いは尊いと感じます。
しかし一方で「大人になってもそうすべきなのか」は一旦疑問に持つべきです。


なぜなら「学生」であっても二十歳を迎えれば大人ですから、自分に必要な費用を少しでも自分で稼がないというのは二十歳を超えても自立できない、自立する機会が与えられないということです。

そのように守られてばかりでは自分の生活、命に対して自分で責任を持てません。
そして自分で責任を持てない以上、何かあれば周りのせいにするしかありません。


ですから二十歳を超えても「親に守ってもらうのが当たり前」という風に自分のこどもを扱えば、

「親が今まで自分のことを守っていたのに、自分が失敗するときに限って親は守ってくれなかった。だから親のせいだ」

そのようにこどもが考えるのは普通です。

親がこどもに「自分で責任を持たせる機会」を与えなかったのですから、「その機会を与えなかった責任」を親が背負うことになるのは自然の流れと言えます。


もちろん人によって事情は異なり、一般的な解釈では「とても自立できない」場合もあるでしょう。
大切なのはそういった方であっても「確かに自分でやれている部分を創り出すこと」です。

他人から見れば些細なことであっても、「自分のことを自分でやれている」という誇りは自分の生活や命に対しての責任感を持たせ、自信へとつながっていくのです。


そうした自信を持たせるべく大人として責任を持たせること。
その機会を「学費」で与えてくれたことは、やはり感謝すべきことなのです。

資格を受けるのにもお金がいる

このような背景を受けて、僕は社会福祉士以外であっても資格を持つべきだと考えました。


何しろこのまま卒業しても何者にもなれません。

自分で学費を稼ぐとわかるのですが、自分で頑張って稼いだお金が一円たりとも手元に残らず大学の講義で消えていくのです。その喪失感は「賽の河原」そのものです。

当時で半年48万円。
1ヶ月で8万稼がないと学費をまかなえないうえに、当時の時給は720円。大学講義以外の時間すべてをバイトに充てなければ到底稼げない額だったのです。


もちろん当時でももっと時給の良いバイトはありました。
しかし当時の僕はHSPの性質を持つコミュ障で、人と満足に話せないような人間でしたから「雇ってもらえるだけありがたい」状態だったのです。


この件に限らず、僕には日頃から他の人が選べるような普通の選択肢はありませんでした。

なにしろ人が無自覚に放つ刺激は時に僕の神経をかき乱し、串刺しにし、焼き焦がしていくのです。しかも一度そうなってしまうと感情が渦を巻き上げて僕の意識をさらっていきます。


こんな状態ではとても接客を伴うようなバイトはできませんから、細々とできる時給の安い仕事にしがみつくしかなかったのです。

お金の話はまだ終わりません。


資格を取るためには「テキスト代」や「問題集」、「受験料」といった出費がかさみます。
そのお金はどこから出したのか。

親に助けられてばかりというわけにもいかず、かといって自分で稼ぐ分はすべて学費に消えます。そうなれば「いま与えられているものから捻出する」より他ありませんでした。


当時の僕が唯一自由に使えたのは「食事代」で、これが月に1万円。
僕はこのお金を最初に5千円分を貯金するようにしたのです。この貯金から必要な費用をまかなったわけですね。

そうなると1ヶ月の食費を5千円で収めることになり、これを25日で割れば1日に使えるお金は200円。
朝と夕を家で食べるようにすれば昼食に焦点を当てるだけでいいわけですね。


そういった事情から、僕の昼食は「ごはん小サイズ+味噌汁(たまに唐揚げ1個)」で80~130円でした。

周りの学生たちが遠慮なくセットメニューを頼むなかでそれだけを頼めば、当然「えっ?」という顔をされます。失笑されることも「あっ…」と察せられることもありましたし、それだけのメニューで昼の混雑する食堂の一席を奪うことに抵抗感もありました。


それでも。


産まれたときに備わったもの、育ってきた環境も違うのだから、与えられたもののなかで「自分ができることは何なのか」を自分で考えてやっていくしかないのです。


それが「自立する」ということなのですから。

渦巻く感情の中で

それでも周りの輝かしい大学生活を見れば、羨みもするし妬みもします。

なにしろ世の中は「友達」がいること前提のシステムが多く、人が怖くて満足に目も合わせられない当時の僕に友達がいるはずもなく、そのシステムの不備の中に生き続けるしかありませんでした。


…席を一人が先に取って、もう一人が二人分の注文するってなんだ?
それじゃ一人のやつはどんどん後回しにされるしかないじゃないか。

そんな不平等をなんで当たり前のように皆受け入れているんだ?
仮にもここは福祉の大学じゃないのか?
人の幸せについて学んでいるはずの人たちが、なんで目の前の不幸に気がつかないんだ?


そんなことが頭の中をグルグル駆け回る日々があって、自分の中にある暗い感情に押しつぶされそうになったとしても。

それが自分に与えられた「底辺」なら、そこから這い上がるより他ないのです。


ここからどれだけ頑張ったとしても、一度レールを踏み外して社会福祉士の受験資格を失った僕は周りのみんなには追い付けない。取れる資格をかき集めて自分なりの生き方を探すしかない。

最初から土俵が違うのはもう仕方がないことだ。
一人だからこそできるやり方で、足りないなりに積み上げていこう。

そう、思いました。


そうして書籍コーナーを見渡してみれば、「福祉住環境コーディネーター」と「カラーコーディネーター」が並置されていました。


最初に中身をパラパラとめくって、どちらも面白そうに感じました。


福祉住環境コーディネーターはこの時点で福祉の資格として取れる最短コースの資格で、内容も実際に介護をするにあたって役に立ちそうな感じがしました。

カラーコーディネーターは純粋に「色」に興味を持ちました。資格としては直接介護には関係ありませんが、持っていれば何か可能性が開けるかもしれない。そんな予感がしたのです。


ではどちらの資格を取ろうかと考えたとき、恐ろしいことを思いつきました。
「そうだ、同時に取ろう」と。

~ つづく ~

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