ともに過ごす ~自分の家族が認知症になったら~

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介護
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高齢者介護から離れて8年ほどになりますが、時折「親(家族)の介護のことを教えてほしんだけど」と相談をもらいます。

その中でも多いのが「認知症」についての相談で、相談のたびに学び直してから「こうした方がいいですよ」とお話ししています。


やはり介護の関心事で一番大きいのは「親(家族)の介護」で、その中でも「知らないと苦労するだけではなく心身ともに疲れ切ってしまう」認知症については一度まとめておいた方がいいと思いました。

そのような背景から、今回から数回に分けて「自分の家族が認知症になったら」をテーマに認知症についてお話していきます。

認知症について(おさらい)

前回なでの記事で「認知症の定義と代表的な分類」「認知症の症状と受け入れ」についてお話ししてきました。

簡単にまとめるとこのようになります。

認知症とは、脳の病気や障害など様々な原因により、認知機能が低下し、日常生活全般に支障が出てくる状態

自分の家族が認知症かどうかの診断や検査は病院や診療所、クリニックで受けられる。もし「かかりつけ医」がいるならまずは相談してみる。

大切なのは自分の家族がどのような認知症で、どう対応するかを家族が心得ておくこと。

(参照:まず認知症を知ろう ~自分の家族が認知症になったら~

認知症の大まかな分類と症状、進行速度を理解することで将来の見通しが立ち「うちの家族も認知症なんだな」と受け入れる心構えができる。

認知症の症状は脳の病気を原因とした「中核症状」と、それによって生じる「周辺症状」があり、それらを押さえておくと説明を受ける際に「家族の身に起きていること」を受け入れやすくなる。

(参照:認知症を受け入れる ~自分の家族が認知症になったら~

定義から見直すのは認知症によって生じる行動(コト)と認知症の方(ヒト)を分けて捉えることで『行動』に焦点をあてるためです。

また認知症の症状を理解し「家族の受け入れ態勢」を整えることがお互いにとって救いになる、というお話をしてきました。

認知症の家族と接する3つのポイントと注意点

認知症を理解し受け入れる態勢を整えたら、あとは「どのように接していくか」を押さえておきましょう。

押さえておくべきポイントは以下のとおりです。

① 認知症による諸症状から生まれる「その人の世界観」を認めること
② 「認知症になる前の姿」を求めないこと
③ お互いに無理をしないこと


この三点を押さえることで「家族からその方の認知症状を引き起こす」きっかけを減らすことができますし、なんらかのきっかけで認知症状が起きたとしても重症化させにくくすることができます。


しかしこれは「対応さえしっかりしていれば薬はいらない」という類の話ではありません。
あくまで医師からの指示に適切に応じた場合に限ります。


この「適切に応じる」という部分が大切で、「医師の指示だから全部鵜吞みにすればいい」という話ではなく、自分の家族の変化をきちんと見ていく中で今のやり方が正しいかどうか、薬を飲むことでかえって症状が悪化していないか、といった家族の観察による「情報収集」が欠かせないということです。

そうした情報があって初めて医師も専門的な知見による具体的な判断が下せるのですから、「医者に任せきり」では医師としても無難な判断しか出しようがないことを押さえておきましょう。

①「世界観」を認める

まずは【① 認知症による諸症状から生まれる「その人の世界観」を認めること】からお話しします。


認知症の中核症状や周辺症状をみると「そういう世界の中にいるんだ」ということが見えてきます。

中核症状周辺症状
記憶障害
直前の出来事から忘れてしまい、
くり返し尋ねたり探し物をしたりする
不安・焦燥感、イライラ、暴言・暴力
遂行機能障害
ものごとの手順や段取りがわからなくなり、
買い物や料理ができなくなる
興奮、徘徊、抑うつ状態
失語、失算
失認、失行

言葉、数字、人やモノ、やることがわからなくなり、
会話が続かなくなる
幻視、錯視、睡眠行動異常、意欲低下
見当識障害
時間や場所、人がわからなくなり、
迷子になったり昼夜逆転生活になったりする
夜間行動異常、妄想・幻覚、反社会的行動


たとえば「記憶障害」によって食事を食べたことを忘れて「イライラしている」のだとしたら、本人が何に対してイラついているのか、その言動から「食事を食べていないと本人は思っている」ことがわかります。

これに対して家族としては「さっき食べたばかりでしょう?」と言いたくなるとは思いますが、ここで大切なのは「食べたという事実」ではなく、「本人は『食べていない』と感じていること」です。


本人にしてみれば「食べていないこと」こそ事実なのであって、正しいのです。

それを「間違っている」と指摘されたところで到底受け入れられるものではありませんし、間違っているという家族に対して「イライラする」「暴力・暴言が出る」のも自分の正しさを証明するためには必要な闘争なのです。


大切なのは「本人は食べていないと思っている」という世界観を認めることです。


「ああ、今は食べていないと思っているんだな」と受け入れて、その思いを一緒にして対応することで認知症の家族に「自分の言うことが聞き入れられている(認められている)」と安心してもらうのです。

なにしろ認知症の家族本人が認知症によって自分の感覚がぼやけているのを感じていて、「自分の感覚は本当に正しいんだろうか」と不安になっているのです。

その不安のなか、自分の家族から「間違っている」などと言われれば不安が増すのも当然で、その不安をきっかけにして症状が悪化することが多々あります。


認知症の家族の世界観を認め、ともに過ごすこと。
その安心感が認知症状を発症させるきっかけを防いでくれるのです。


もちろん「食べていない」と思っていても実際には「食べている」のですから、「もう一度食事を作る」といった対応は栄養過多になり健康にはよくありません。

一度は「食べていない」ことを認めて「それなら台所へ行ってみましょうか」と誘導し、食べ終わった食器や調理後の鍋や包丁などを見てもらうことでゆっくりと記憶を呼び起こしてもらうよう促していくことが対応の一例となります。

②「こうなる前は良かったのに…」と言わない

では次に【② 「認知症になる前の姿」を求めないこと】についてお話していきます。


認知症による諸症状が激しく出るほど、その対応を迫られる家族としては「こうなる前は良かったのに…」と思わず言ってしまいたくなるでしょう。

ときに認知症の家族が起こすトラブルは度を越して理不尽になり「こんな目に合う自分は被害者なんだ」という想いを募らせることにもなります。


しかし思い出してほしいのは、認知症の家族こそ「自分の意思とは関係なく認知症になった」ということです。


この事実を覚えておくと「どちらが理不尽か」という言い争いを避けられるようになります。
考えるまでもなく「どちらも理不尽な目に合っている」のですから。

自分の意思とは関係なく認知症になるのも。
認知症になった家族がもたらすトラブルに苛まれるのも。

質は違えどどちらも等しく「理不尽」であり、「どちらが理不尽か」を言い争っている場合ではないのです。


大切なのは「これからどう過ごすか」です。


これまでお話ししてきた通り、基本的に認知症は進行性であり元に戻ることはありません。

であれば「認知症になる前の姿を求めること」は非現実的であり、そこに囚われている間は「認知症になった後の姿」を認めることが出来なくなります。


それは認知症となった家族にとっては耐え難い苦痛となります。
望まない認知症になっただけでなく、そうなった自分を家族が受け入れてくれないというのはあまりに寂しいものなのですから。

そうして毎日家にいるのが辛くなり「今ではない『かつて』」「ここではない『どこか』」に望みを託すようになれば、「今ここに生きる意味」を見失って認知症を悪化させることにもなりかねません。


「今」「ここ」に救いがないなら「かつて」「どこか」で過ごしてきた記憶を頼りにするのを、誰が責められるでしょうか。


そのような辛い選択をさせないよう家族ができることは「認知症になった家族と楽しく過ごすこと」です。

その為には「認知症とはなにか」を知り、そのうえで認知症になった「今」「ここ」に暮らす家族を新しく迎え入れる気持ちで見守ることが大切です。


大事なことですが、認知症になることが必ずしも本人や家族にとって悪影響になるわけではありません。


僕は介護士として認知症になったことでかえって性格の「カド」が取れて柔和になった方を何人も見てきましたし、介護の仕方一つでずっと穏やかに過ごされた方もたくさん見てきました。

認知症の種類にもよりますが、日に日に症状が進行していってもそうして変わっていく自分を受け入れてくれる環境があれば「認知症になる・ならない」はさほど問題ではなくなるのです。


このことを、どうか覚えていてください。

③お互いに無理をせず、ともに過ごす

最後に【③ お互いに無理をしないこと】についてお話していきます。


これまでの話から「家族として頑張らないと!」と思われる方もいらっしゃるでしょう。

インターネットや本などで情報を集め、知人友人の話を聞いて準備を整えたうえで認知症の家族を受け入れようとする姿勢は尊いものと思います。


しかし、改めて思い返してほしいことがあります。


認知症になる前となった後で変わるのは「認知症を患っているか否か」だけであって、それまでの家族関係は何ら変わらないのです。


認知症の家族を受け入れるのに十分な準備をした後は、その準備に照らし合わせたうえで今まで通りに過ごしていけばいいのです。


認知症になったからと言って変に警戒したり気を使ったりする必要はありません。
誰だって時には失敗しますし、お互いの気持ちの食い違いから口喧嘩だってします。

それは、ごく当たり前の日常であって。
認知症があろうがなかろうが何ら変わらないのです。


ただ「認知症について知らなければ相手の言動が理不尽に思えていた」ということであって、認知症について知った後はその原因が理解できるので優しく対応できるようになります。

もしかしたら家族が認知症になることによって「いたわり」の気持ちを強くしたり、家族の結束力が強まることも十分にあり得ます。


ですから、受け入れる家族が無理をする必要はありません。
もちろん認知症となった家族も「認知症であること」に負い目を感じずに毎日を楽しく過ごしていけばいいのです。


お互いに無理をせず、ともに楽しい毎日を過ごしていきましょう。

認知症についてもっと知りたくなったら

介護ブログの他にも、介護ニュース等などを取り上げるnote、読書にまつわるアメーバブログを運営しております。




また僕が介護を考えるうえで参考にしている本を紹介します。
どれも「読みやすく、わかりやすい」本ですので、ぜひ手に取ってみてください。



1.知っトク介護 弱った親と自分を守る お金とおとくなサービス超入門


「知っトク介護 弱った親と自分を守る お金とおとくなサービス超入門」は、親しみやすいタッチのイラストによる「対話形式」で介護の解説をしてくれる本です。

その内容は介護保険制度や年金に限らず「介護休暇・介護休業」「遠距離介護」など介護全体を網羅しており、各項目ごとに目次が組まれているため調べやすい作りとなっています。


「介護でわからないことがあったらとりあえず本を開いて調べてみよう」という辞書的な使い方ができる、一家に一冊置いておきたい本です。




2.『認知症の親を介護している人の心を守る本 疲れたとき、心が折れそうなときのケース別対処法 』


「認知症の親を介護している人の心を守る本 疲れたとき、心が折れそうなときのケース別対処法」は題名通り、心折れそうなときに「どうしたらいいか」を教えてくれる本です。

文章全体に優しい言葉選びがされており、ついついカッとなってしまう認知症の親の介護をしている人を温かく受け入れてくれます。


この本では「認知症について理解していることがいかに大切か」を学ばせてもらいました。



3.「家族のためのユマニチュード」


「ユマニチュード」とは、簡単に言えば「あなたを大切にしていますよ」というメッセージを「伝わるように伝える」技法です。

そしてその技法を家族介護でどうやって使っていくかを書いたものが「家族のためのユマニチュード」になります。


認知症の家族を介護するにあたり「あなたを大切にしていますよ」というメッセージを「伝わるように伝える」ことは、認知症の症状を引き起こさせないためには欠かせないものです。

それをこの本では家族介助によく見られる場面をイラスト付きで解説してくれますから、はじめて家族の介助をする方でも読みやすく、わかりやすい内容になっています。


認知症の家族を介護する方をはじめ、多くの方に読んでもらいたい本です。

「ユマニチュード」については以前の記事「認知症ケアでお悩みの方へ ~ユマニチュード~」でも触れていますので、併せて読んでもらえると嬉しいです。


【併せて読みたい記事】
認知症ケアでお悩みの方へ ~ユマニチュード~
介護で現状に満足してしまうとどうなるか
高齢者介護をして大変だった3つのポイント


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