介護組織における「記録」と「記憶」のちがい 

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10を超える介護施設を見てきた中で、組織の運営方法には「記録」と「記憶」の二種類があるのだと感じました。

それぞれにメリットとデメリットがあり、この二つのちがいは現場で働く職員一人ひとりだけでなく、組織を運営する側にも知ってもらいたい内容です。


今回はその「記録」と「記憶」で回る組織を見ていきましょう。

記録と記憶の違い

まず記録と記憶の違いについてお話しします。


ここで言う記録とは、事実を客観的な情報として形に残したものを言います。
文章や音声、映像などの形で「誰が見ても同じ情報」として受け取れる情報になっているものを指します。

また記憶は、事実を主観的な情報として個人に留めているものを指します。
「その人が見た事実」と「そのときどう感じたか」という情報をまとめたもの、と言い換えることが出来ます。


この二つのうちどちらかを軸とした組織の在り方を見ていきましょう。

記録で回る組織

「記録で回る」と書くとなんだか特別に見えますが、要はマニュアルや情報共有などを形に残るように記録している組織です。

「いや、そんなの当たり前じゃない?」と思われるかもしれません。

組織の決まりごとや知識・技術をなんらかの形で記録して全員が共有しなければ、職員一人ひとりの技能に差が出て、トラブルがあったときに責任の所在や連携がうまくいかないのではないか、と。

介護現場はチームワークで成り立っていますから、その運営は系統立てて行わなければ迷いが生じます。そしてその数秒の遅れが大きな事故につながる危険もあります。

ヒヤリハットや事故報告を上げるときも普段から「記録として残す」視点があるからこそ状況を事細かに観察して、そうなった流れを分析し、次の事故が起きないよう検証することができるのです。


そういったこともあり、組織を運営する仕組みは記録として残すのが常です。「記録として残すのが当たり前」というのが一般的な感覚だと言えますし、社会人としてそのような教育を受けて成長していくものです。


ただここにはどうしても機械的な印象があり、直接人と関わる介護の仕事では行きすぎた記録化をしてしまうと利用者さん個人への対応が難しくなります。

行きすぎた記録化の弊害とは

たとえば夜間にお腹が空いて目が覚めてしまった利用者さんがいるとします。
話を聞いてみると「どうしても何か食べないと落ち着いて眠れない、頼むから何か食べさせてくれ」とのこと。

このような具体的な事例に対してのマニュアルはありませんから、職員はもっとおおまかな指示に則って対応することになります。

この場合であれば「夜間眠れない場合」の対応を取ることになります。
それが傾聴なのか、服薬なのか。事前に決められた対応通りに動いて、本人の望みとは異なる対応をして良しとするわけですね。


もしここで「お腹が空いているのだから何か食べてもらおう」と職員が夜食を用意すると、それはマニュアル外の動きになります。

そうなった時点でその行動の責任は職員一人が背負うことになり、この夜食によってかえって眠れなくなったり、眠っている最中に嘔吐して誤嚥性肺炎などを引き起こしたりする「想定外の事態」を招きやすくなります。


ここで介護士が考えるのは「その人にとって今ふさわしい選択はなにか」であり、そう考えるためには判断基準になる記録が必要になります。そのうえで介護士としての経験からその利用者さんに合った行動を選択するのです。


このように記録は万能ではなく、あくまでそれを使いこなす介護士の力量があって初めて意味を成すものです。

記録だけに頼ってしまうと介護士の力量は育たないという側面もある、ということですね。

記憶で回る組織

一方、今まで所属した施設の中で「記憶」を頼りに組織を回すところがありました。

記憶で回る組織とは、職員一人ひとりが「何を体験しているか」という記憶を重要視して、記憶で構成される職員の掛け合わせによって組織を運営していくものです。

職員がそれまでに経験してきたものが状況に適用させて解決していく。言わば「阿吽の呼吸」で日々の業務を回すやり方です。


このやり方は組織を構成する職員の力量に大きく左右されます。

組織の運営が職員の記憶頼りなのですから、その場にいる職員がどのような人々かによって組織の特色が変わることが避けられません。サービスの質が日によって変動するリスクがあるのです。

そしてこの「サービスの質の変動」は、内部の人間からではなかなか観測できません。
なぜかというと、基準となるサービスの質が定められていないからです。

「記憶=主観的事実+感情」

組織運営が職員一人ひとりの力量に依存する以上、その職員が考えるサービスがその職員にとっての最善となりますから、そういった職員が集まってできた組織では時に職員同士の対立を生みます。

自分のサービスが最善である以上、「自分のやり方こそが正しい(=あなたのやり方は間違っている)」と考えるのは自然です。

お互いがそのように考えていれば意見の衝突は避けられませんし、それが建設的な議論となれば良いのですが、記憶という不確かなものを基準としている以上どうしてもそこには感情が付きまとってきます。


記録と違って記憶は「個人のもの」ですから、その情報には「その人から見た事実」に「そのとき何を感じたか」も加わります

ときに人はそれを「情熱」「想い」「ぬくもり」などの形に変えて表現しますから、記憶を軸にして物事を考え、それを否定されてしまうと人間性そのものを否定されたかのような錯覚を覚えてしまいます。


結果、記憶で回る組織は「想いの強さ」によって一部の人間が実権を握る組織となります。そしてその組織を支える職員の多くは無気力にさいなまれることになります。

記録という明確な根拠ではなく、力を持った個人の不確かな記憶によって自分の仕事を否定されてしまうのですから、その理不尽さは働く意欲を奪っていきます。


ただ、実権を握る一部の人間に組織を運営する力量があれば一変して働きやすい組織になります。
職員それぞれの「記憶」を聞き入れ、それを最適化することが出来れば柔軟な対応が取れる組織となるのです。

まとめ

今回は「記録」と「記憶」で運営される組織の違いについてみてもらいました。

多くの組織は「記録で回る組織」であり、特に介護現場ではどのような問題が起きやすいかを知ってもらうことはあなたが今いる組織がどのようなものかを考えるきっかけになると思い、書き連ねました。

記録は記録でしかなく、それを使いこなせる「記憶を持った『人』」が組織には欠かせないのだと。


一方であまり見かけないであろう「記憶で回る組織」の形をお伝えすることで記録・記憶どちらの重要性も意識してほしいと願いました。

記憶で回る組織がもたらす理不尽さは、こうした「文章」という記録で語らなければ意識できないのです。


「記録」も「記憶」も、組織を運営するにあたっては欠かせない視点です。
その両軸を取って普段から仕事をしていくと、より細やかなサービスを提供することができます。


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