【体験レポート】介護講師を務めて分かったこと

介護
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今年6月、8月と二回にわたって介護講師をさせてもらいました。
講師を終えて何を感じ取ったかは、それぞれのタイミングで以下に書き記しています。



今回介護講師を頼まれたのが日本レイキ療法学会のグループだった為、「介護×レイキ」についての話を

・介護にとって大切なこと
・起床介助、就寝介助の注意点
・実技
・レイキとどう組み合わせるか


という形で展開していきました。

そこで今回は2度にわたる介護講師で話した内容と、そこからの学びについてお話ししていきます。

介護にとって大切なこと

「介護について大切なこと」は介護の本質は『生命』にあり、「命の価値を思い出す」ことが介護・福祉の本分ということになります。


その実践では

「ありのまま」ー個人の尊重

「お互い様」ー自立支援

「想い紡ぐ」ー社会福祉

この3つの心構えを介護者・被介護者共に日々の介護から体験し、学んでいくこととなります。




となれば、介護者は介助を通じて「ありのまま」「お互い様」「想い紡ぐ」の心構えを被介護者に伝えていく形となり、また被介護者からのフィードバックから介護者も学ぶこととなります。

そのため、介護者は「介護」と「介助」の違いを事前に理解しておく必要があります。


介護とは「たすけ(介)、まもる(護)」であり、その対象は『ヒト』です。
介助とはどちらも「たすける(介、助)」であり、その対象は『コト』です。


この違いを同じ「介護」という言葉で一括りにしてしまうと、介護を通じて「自分はヒトを見ているのか、それともコトをしているのか」という疑問を持たなくなります。



その結果「(生活に困るあなたを)助けてあげている」という上下関係が生まれたり、「あなたを助けられるのは私しかいない」と共依存に陥ったりする訳です。

どちらも「自分が行う介助と、それがもたらす結果(=コト)」しか見ておらず、それを満たせば自動的に被介護者を護ったことになると思い込んでいるわけですね。


実際にはどの介護現場でも利用者からの大小様々なクレームが後を絶たず、

「(私が)こんなにしてあげているのに!」
「どうして(私の)言うことを聞いてくれないんですか!」

と、相手の尊厳や自立を認めないような発言や内心が飛び交うようになっているのです。

科学的介護と「お金」の問題 〜誰もが介護を学ぶべき理由〜

こうした事態を避けるため、介護にとって大切なことを押さえておく必要があるのです。

なぜなら今後科学的根拠に基づいた「科学的介護」が推進されれば、より「提供される介助(コト)」が重視され、「介助を受ける利用者(ヒト)」の尊厳が軽視される流れになるからです。


人がやる介助でさえ「ヒト」をみずに「コト」ばかり見てしまっているのですから、より論理的・合理的に介助を提供しようとすれば「(科学的根拠に基づいた)この介助が適切なため従ってください」という上下関係による介助が正当化されます。

それでも介助者が人であればまだ相手の感情に気を配ることができますが、これが介護ロボット等テクノロジーに置き換わればそうした感情の機微に配慮するのも「パターン化」されるでしょう。


例えば体温や脈拍、心拍数などをセンサーで察知し、「科学的根拠に基づいたデータ」によって利用者の体調を「科学的根拠に基づいた判断基準」で判別し、「できる・できない」をテクノロジーに決められるという未来は確実に訪れます。

現在の介護現場がそのようなシステムで回っているのですから、サービス提供側が「人」から「テクノロジー」に置き換わるだけで実現可能です。


その時、体調は良くても「今日はやりたくないなぁ」という利用者の気持ちを誰が代弁するのでしょうか。
誰が利用者の尊厳を「たすけ、まもる」ことができるのでしょうか。

現在ですら「介護報酬獲得のために半ば強制的に介助を提供している」というのは介護現場に立つ者ならば一度は目にした、あるいは自分でもやったことのはずです。


これもひとえに介助者・介護サービス提供母体が経済的に自立できていないがために起きる事態です。

介護保険制度に則る以上施設運営は社会保障費に依存することになるわけですから、介護報酬や介護職の給料を上げようとすれば「税収を増やす」名目を国に与えることとなり、2023年では防衛費の拡大や「異次元の少子化対策」のために増税や社会保障費削減が議論されるようになったのは、記憶に新しいことです。



こうした流れを見れば、介護サービス事業所自体が「ありのまま」ではなく自立できておらず。

その事業所で提供される「自立支援を目的とした介護サービス」が利用者からすれば「自立していない相手から自立を求められる」という筋の通らないことなのですから、介助拒否や暴言・暴行、エスケープ、ハラスメント等の問題が起きるのも「お互い様」と言えます。

ましてこの状況を解決しないまま何年も施設運営すれば、そこで働く職員は「介護とはこういうものだ」と学び、そのやり方を後輩たちに見せ、やがて自分が利用者となったときに「なんでこんな目に遭わなければならないんだ!」と『自分が引き継がせた介護』に苦労させられるでしょう。


「ありのまま」「お互い様」「想い紡ぐ」という心構えも、それを取り扱う人によって方向性が変わるのです。

だからこそ介護に携わることになる「あらゆる人」が、介護について学ぶ必要があるのです。

【体験レポート】介護講師を目指す

ここまでが介護講師として受講者にお話しした「介護にとって大切なこと」の一部となります。

他にも「福祉」の定義や『コト>ヒト』の社会についてなど、デジタル・アナログ両方の側面からお話しすることとなりました。



そうした話をしている最中、受講者のお一人がハンカチを手に涙を流されていました。

その方は介護歴が20年超えのベテラン介護士さんで、一旦話を止めて泣き止むのを待つと「すいません」と言いながら涙を拭き、このように言われました。

「ここまで介護のことを深く考えている方に初めて出会いました」

「現場でいろいろ思うところがあって、ずっとこれってどうなんだろうと悩んでいたんですが、先生のお話を今日聞いて、ああそういうことだったんだとメンタルが救われました」

そうおっしゃる表情は打って変わって明るく、笑顔でした。


その笑顔を見た時に、「ああ、僕は講師を目指して自分の想いを紡いでいくのが良いんだな」と目頭が熱くなるのを感じました。

これまで三年余り介護ブログを書き連ねて発信してきましたが、その間誰かに直接感謝されることはありませんでした。それが介護講師として受講者の前に立ち、自分の思いを伝えていくことで人の心を動かすほどの『想い』として伝わったのです。


元よりレイキの先生から「あなたは講師に向いている」と言われていて、どの職場に行っても「先生」と呼ばれ、あまつさえプライベートでも「先生」と呼ばれてきました。

ここまで先生と呼ばれる以上、先生のような立ち振る舞い、あるいは仕事が向いているだろうと思うようになり、2度目の介護講師を終えた後から「講師業」について勉強するようになりました。

まとめ

今回は2度に渡る介護講師の体験レポートをお話ししました。


介護講師として現役介護士さんや親の介護に悩む方のお話を聞かせてもらうと、やはり根本にあるのは「私たちは何のために介護をするのか」という命題です。

「ありのまま」「お互い様」の視点で、「目の前に介護を必要とする方がいるから介護をすればいい」と考えるかもしれません。それも大切なことですが、その方ともいずれ別れの時が来ます。「介護者⇄被介護者」の二者間だけでは介護は有限になってしまうのです。



ですから、最後の「想い紡ぐ」という社会福祉の視点が介護には欠かせません。


介護を通じて築き上げた相手との思い出を『想い』として温め、自分の介護、生き様を通うじて友人・知人、同僚や後輩、子どもたちに見せていくことで「あなたが大切だよ」という『生命の価値』を次世代へと紡いでいく

それが「人のしあわせ、ゆたかさ」という『福祉』の実現であり、それを志して伝えていく以上、僕は『想い紡ぐ介護士』であり続けられるのだと分かりました。


また僕が介護を考えるうえで参考になった書籍を紹介しますので、よかったら一度読んでみてください。


本からの学びは揺るぎない自信へとつながっていきます。

介護を自分の「感情」頼りにするのではなく、知識や経験に裏付けられた「事実」と併せて行うことで、介護はすべての人を豊かにしていくことができるのです。


一緒に学んでいきましょう。

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