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かけがえのない利用者さんとの思い出 ④信頼

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介護
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前回に引き続き「かけがえのない利用者さんとの思い出」をお話していきます。

「危険だから」と一方的にリスクを取り上げて成長する余白をうばってはいないか。
リスクを取らせるからこそ人は成長できる。

そのエピソードの続きとなります。


なお「障害」の表記については「障がい」とするのか「障害」「障碍」とするのかで様々な考えがあるかと思いますが、僕個人は「表記の仕方で障害にかかわる諸問題の本質が解決するものではない」という考えですので、私的立場においては以降「障害」の表記を用いることをあらかじめご了承ください。

「世界」をともに

その一件があってから、僕は彼の食事介助を任されるようになりました。


最初のうちは好き放題おかずを握りつぶしたり汁を天井まで飛ばしたりしていた彼。
それを諌めるでもなく傍らで怪我や他の人への被害が出ないように見守る僕。

そんな関係が2ヶ月くらい続くと、彼が段々と遊ぶ時間を短くして食事をするようになったのです。


遊び方にも変化が出てきました。
今までがおもちゃとしての扱いだとしたら、その時からの遊び方は鑑賞としての扱いでした。

フォークで焼魚の切り身を突き刺すと、そのまま自分の目の高さまで持ち上げて、クルクル回しながら眺めるのです。側で見ていると、切り身から零れ出る脂が光の反射でキラキラ光るのを眺めているように思えます。

そしてある程度見終わったら、以前なら手で摘んでその変に投げ捨てていたのですが、食べたり別の物を指したりするようになりました。


その変化を見ていて、これが本来の彼らしい食事の仕方なのだろうなぁ〜と、ぼんやりと思いました。

家でも食事時はかなり好き放題遊ぶと伺いましたが、それでも食べないわけではない。
彼なりに食べる時と遊ぶ時を使い分けているのだと、そう気づいたのです。


そうと分かれば、後は「どうやって彼に食事のスイッチを切り替えてもらうか」です。


そのポイントさえわかってしまえば、おそらく誰が彼の食事介助に入っても食べるはず。
今まで漠然と彼の様子を見てきた僕に、明確な目的が加わりました。

信じて、頼る

彼が食事スイッチを入れるタイミングはいつか。
その観察を始めてからというもの、よくよく細かく彼の動きを追うようになりました。


食事の準備ができるまで、彼は離された場所で退屈そうに車椅子のタイヤカバーをバンバン叩いていました。

そこで僕は準備の合間を縫って彼に「今準備してるから待っててね」と声を掛けるように。そしていざ準備ができたら、彼の隣で手を合わせて「いただきます」とポーズを取ってみました。

食事中は彼の一挙手一投足をそれとなく見て、時折何気ない会話を挟むようにしたのです。


そうしたやり取りを何度も繰り返して。


一体どれが彼の心の琴線に触れたのかは定かではありませんが、次第に食べ始めるのが早くなっていきました。

その様子を見ていたフロアリーダーが「これなら皆と一緒に食べられるよね」と判断して、ついに彼を隔離してきたパーテーションが外されることとなりました。


実際に他の利用者さんと同じ席で食べるようになると、車椅子を叩く回数が減り、食事に集中するまでの時間がさらに短くなって行きました。

遊ぶ時間はあるものの、周りに被害が出るほどの遊びは控えるようになり、周りとそれほど遅れることなく食事を食べ終えるようになりました。


歯磨きを終え満面の笑みで休憩する彼の隣で、僕はふと、彼を変えたものの正体に気づきました。
 
 
それは、信頼でした。
 
 
彼から好きなものを遠ざけるのではなく、彼と好きなものを一緒にできるよう職員を信じてもらい、頼ってもらう。

それと同時に彼の事を信じ、彼の想いを頼る。
好きなもの、好きな人と一緒に居たいという彼の想いを頼りに、その為のチカラが彼にはあるのだと信じる。


双方の信頼があって初めて、彼は好きなように人の側に居られます。


職員が見守る中で、皆と一緒にごろ寝する彼の姿は心から安らいでいるように見えました。

~ つづく ~

小休止 ~「お互い様」で生きる~

彼とのやり取りが、僕が介護の基本として捉えている「お互い様」の原点になったのは間違いありません。

人を助け、人に助けられる。

介助を求める人は、介助を行う人の「施し」で生活しているのではない。
介助を行う人もまた、介助を求める人がいなければ生活がままならないのです。


こう言うと、おそらく「いや、介護以外にも仕事はあるし」と思われるでしょう。
はたまた「私以外が介助すればいいし」というのもあるかもしれません。


ですが、そういう方もいずれは老いて介護を必要とします。
その時にあなたを介護してくれる人は誰なのでしょうか?


あなたが現在の介護を否定してしまうと、遠からず自分の番が回ってきた時に介護の担い手がいなくなります。
「誰かがやってくれる」とみんなが思うような社会では誰も担い手にはなりませんし、数少ない担い手があなたの下に来てくれる確率はかなり低いでしょう。


こうして介護を満足に受けられない状況になると、人としての尊厳を保てない、食事もトイレもお風呂も満足にできない事態に陥ってしまいます。

そうなる前に、誰しも元気な内から介護への理解を深めておくことが大切なのです。


「それまでには人工知能を搭載した介護ロボットが人間の代わりに介護をしてくれるかもしれないじゃないか」


そのように考える方がいらっしゃるかもしれません。

人のようなミスを犯さず的確に受け答えをしてくれる完璧なロボットによって老後も快適な生活が送れるのかもしれない、と。

技術的には人工知能が自在に扱える「万能の手」のようなものを獲得すれば、そのような未来も訪れることになります。各種機器を用いて人間生体データを適切に扱えるようになれば、今よりも快適になることは間違いありません。


ただそれと、「人が満足できるか」は別だと僕は考えています。

小休止② ~ロボットは人を救うか~


どれだけ身体が衰えようとも、どのような障害を持とうとも、人は人です。

人と見分けがつかなくなるほど精巧にロボットが作られ、完全に人と同じように振る舞えたとしても、人は「人か、それ以外か」を区別できます。
最初は見分けがつかなくとも、時間が経つにつれて二つの差を明確に察知するのです。

そして人に対しては人に求めるものを求め、人でないものはそのように扱います。


ロボットという「人のようなもの」は、それをロボットだと認識したうえで「人と同じようなもの」を求めていると自覚しているうちは問題ありません。

しかしその前提が老化や障害などによってあいまいになってしまったとき、「人のように見えるのに人じゃない」という矛盾が人の心をひどく孤独にさせます。


どれだけその人が人を求めたところでその相手は(どれだけ人に近くても)ロボットですから、人と同じものは提供してくれません。

人よりも適切な言葉、声量、タイミングなど、考えうる最善の方法で話してくれていても。
人よりも力強く、安全に抱えてくれていても、優しく接してくれていても。

それはロボットがそうするように仕組まれているからであり、自律の結果ではないのです。


ここにあるのは「心遣いのようなもの」であり、心遣いではありません。
そうするのが最善であるからそうするのであって、その人が心配だからそうするのではないのです。

この差があいまいになり、「この『人(ロボット)』は私を心配してくれているのに、私の気持ちを受け取ってくれているように感じない」と思い悩むようになると、段々と自分が何のために生きているのかがわからなくなっていきます。

なぜならロボットが扱うのは目の前にある問題であってその人ではないため、ロボットが機能するため(すなわちロボットの存在意義)には問題さえあれば「その人」である必要がないからです。


人はロボットに人の機能を求め、ロボットは人に問題を求めます。

そのうちロボットは介護を必要とする人がいる状況、すなわち解決すべき問題を抱える人がいる状況にのみ配置されます。一方で人は生活を「介護を受けられる環境」に限定されてしまいますから、介護においてロボットは人より優位なのです。


そうなると、人はロボットがその機能を果たすための装置にさせられますし、そのロボットを所有する企業にとっては収益の果実となります。

この状態を良しとするかは個人の判断に委ねられますし、これはロボットの良し悪しを問う話ではありません。
ただ「人の介護から切り離される」とはこのような状況になるということは忘れないでくださいね。


なにしろ。
現実に人が行っている介護ですら、ときにここで話した「ロボット」と同じことをしているのですから。

それは現場に立つ介護士が一番よくわかっているはずで、ここから目を背けて「介護は稼ぐ手段」と割り切って「ロボット」になるか、ここの葛藤を経て「人のぬくもり(想い)」を大切にする「人」となるか、はたまた逃げ出すか。


僕が「介護はお互い様」だと言うのは、人と人がお互いに想いを紡ぎ合うことでお互いを助け合うことを指す一方で、人が介護のなかでお互いの心を求めなければ果てしなく孤独に陥るのだと警鐘を鳴らしてもいるのです。


だからこそ、誰にとっても介護はじっくり考えていくべきテーマなのです。


今回の記事を書くにあたり、参考になった本を紹介します。

どちらも人生を考えるにあたって学びの深い本となりますので、ぜひ手に取ってみてください。

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