資格を取るって本当に大切? ⑤資格が保証するもの

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介護
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前回の記事「介護の資格ってどこまで必要?」では、資格の定義から現存の資格を捉え直したとき

「介護の資格は取る『必要』はなく、取る『目的』がある場合に取ればいい」

というようなお話をしました。
「何がしたいか」を見失って「こうすべき」という周囲の論理で資格を取るのは危ういですよ、とも。

今回は「それでも資格があった方が良いんじゃない?」と思う方に、介護の仕事のために8つの資格を取った僕が実際にどれだけのものを費やしたのか。


そのエピソードを何回かに分けてお話していきます。

国に認められるも…

介護福祉士の合格通知が来たとき、「これで介護士として一人前になれるんだ」という思いが胸に広がっていきました。


大学在学中の挫折から9年。
社会福祉士の道は閉ざされてしまったけれど、何もないゼロから集められるものを何とか集めてようやくイチになれたような感覚を得ました。

僕にとって国家資格とはそれほどインパクトの大きい資格でした。


なにしろ国がその資格を名乗るに足る人物だと認めるわけですから、ずっと後ろ盾のなかった僕には大きな自信につながったのです。

自分はもう介護の専門職、プロなのだ。
これからは専門性をもって介護の仕事を行っていくのだと、そう心に決めこんだものです。


介護福祉の資格を手にどんな仕事をしようかとハローワークを見てみれば、やはり採用条件に「介護福祉士」を掲げるところがいくつも見られました。また介護福祉士資格の有無で給料も異なり、施設によっては幹部候補として求人を出すところもありました。

この資格が就職に有利に働いているのは明らかで、大学卒業後に就職先が一つも決まっていなかった頃を思えば待遇の差に驚くばかりです。


ヘルパー2級では見向きもしない施設でも介護福祉士なら手招きしてくる状況は、やはり「国家資格」の力強さを感じさせます。

介護・福祉分野で働くのであれば介護福祉士は欠かせない。
そう思うには十分な出来事でした。


介護福祉士を取ってよかった。頑張って勉強してよかった。
あの時ほどそう感じたことはなく、これなら次の仕事も難なく決まるだろうと思っていました。


このとき僕はすっかり忘れていたんです。
どれだけ優れた資格を持とうとも、それを扱う「自分」が変わらず人と満足に話せない人間であることを。

資格は人格を保証しない

介護福祉士の資格を持って面接に挑んだ初日。
面接会場に赴こうとするその足がピタリと止まりました。


頭の中に、全敗した学生時代の就職活動がよぎります。

開口一番思うように声が出せずにどもり気味になって拍子抜けの顔をされたこと。
着席の指示を待たずに着席し、混乱して理事長を怒らせたこと。
面接官の圧迫質問に慌てふためいていたところを嘲笑されたこと。

そのどれもが心に重くのしかかり、身体が震えてきました。


次の一歩が踏み出せず、その場に立ちすくみます。
口の中が乾き、どこからか強い視線を感じて、なんだか責められているような気がしてきて、僕は面接会場から逃げ出しました。


車の中に逃げ込んだ後すぐに電話で面接辞退の一報を入れると、特に怪しまれることもなく辞退を受け入れてもらえました。


深くため息をつくと同時にどっと汗が噴き出す。
身体の震えはわずかに治まりはじめ、強い視線も感じなくなりました。

どうやら無事なようだと安心したのも束の間、ここで大きな問題に気づきました。


僕は、僕の本質は、子どもの頃から何も変わっていなかった。
相変わらず人と話すのが苦手で、人と会うことですらこれほどまでに神経をすり減らしてしまうのだ。

派遣社員として働いていたときはそれほど気にすることなく人と関われていたというのに、なぜ今になって再び人と関わるのを恐れてしまうのか。

その理由がわからず、ただ、大学時代に人間関係のこじれから人と関わるのを極力避けるようになったあの頃に逆戻りしたのだと思いました。


9年間、積み重ねられるものは積み重ねてきたつもりでした。

自分にできることはできる限りやって、たくさんの資格を手にして、その資格で周りから認められるような働きぶりをしてきたつもりだったけれど。


ここに来て「資格は自分の人格を保証するものではない」と思い知るのでした。

「当たり前」に苦しめられる

再就職の目途が立たない日々が続きます。


失業給付金でなんとか税金を払いながら、限りなくゼロに近づいていく通帳を眺めては心が追い詰められていく。

働かなくては生きていけない。しかし働こうにも恐ろしくて面接すらできない。
一体どうすればいいのか相談できる相手もいない。

なかなか働こうとしない僕に「バイトでもいいからやったらどうだ」と勧めてくる親。
バイトの面接ができるくらいなら再就職の面接だってできるはずで、それができないからこうして悩んでいるとも言えず。


そうした葛藤を抱えながら、ただ時間だけが無為に過ぎていきました。


そうして介護福祉士を取ったその年の9月。
または派遣社員を辞めてからちょうど一年経ったとき、これ以上働かなかったら立ち直れなくなると覚悟を決めました。


新聞の折り込みチラシに掲載されていた求人案内から待遇の良さそうなものを見つけ、震える身体を押さえながら電話連絡をしたのです。

この頃もまだ電話に対する恐怖が拭えておらず、「電話を掛ける」という行為にストレスを感じていました。気を抜くと声が出なくなったり、相手の話がまるで耳に入って来なくなったりしていたのです。

時に相手の話を何度も聞き返し「ちゃんと聞いてるのか!」と怒られたこともありました。
それが嫌で聞き返すのをやめても内容が頭に入って来ないので、重要な約束を果たせなかったこともありました。


社会が当たり前のように電話を使うなか、僕にとって「電話」はかなりハードルの高い行為でした。

それを平然と求められることに嫌気がさしましたし、しかしそれが出来なければ満足に働くこともできないわけですから、ストレスを抱えてでもやるしかなかったのです。


僕の人生はいつだって「当たり前のことを求められる」痛みや苦しみとともにありました。
そうした心の痛みや苦しみの甲斐あってか、面接の日取りを何とか取り付けたのです。

「介護福祉士」という資格の強さ

面接当日。ガチガチに緊張して挑んだその施設の面接はあってないようなものでした。
採用担当者は履歴書と経歴をザッと眺め、開口一番「いつから来れる?」と聞いてきたのです。

あまりの呆気なさにどう答えていいか一瞬迷いましたが、月の途中といった中途半端な時期に働き始めると給与の計算が面倒だったり心の準備ができなかったりするので、翌月からの入職にしてもらいました。


何とも不思議な感覚でした。
大学時代あれほど苦しんだ挙句どこにも採用されなかった僕が、面接らしい面接もなくその場で採用されるというのは。


今にして思えば介護・福祉業界は慢性的な人手不足ですから「来るもの拒まず」だったのでしょうし、この時の僕の様子がどうであれ介護福祉士の資格を持っていることに違いはないので「まぁそこまで大きなハズレではないだろう」という見立てもあったかもしれません。

そしてもう少し視野を広げれば、「入職されてから介護福祉士の資格を取られる」よりも「最初から介護福祉士を持っている」ほうが施設側の負担が少なくて済みます。資格取得のために資金補助したり休暇を設けたりする必要がない訳ですから。


加えて「職員配置」の問題もあります。

介護福祉士を持つ者ならばその施設の『サービス提供責任者』候補になれるわけですから、施設数を増大させる計画をもつ施設ではそれに応じて定められた人数分サービス提供責任者が必要になっていきます。


こういった事情から介護福祉士を持つ者は「とりあえず確保しておきたい人材」になります。


そういった事情も当時はわかっておらず、僕はもう一度介護の仕事ができる喜びに浸っていたわけですが、世の中そんなに甘くはありません。


「面接をされない」というのは「あなたが何者であっても関係ない」ということです。


「ただ施設側の求める能力を提供すればよろしい」ということですから、僕がその施設でどうなろうとも関係ないという話です。

求められるものを提供すれば賃金を払う。
それは雇用契約として健全な形ではありますが、介護・福祉にその論理を当てはめると「お金を生む」サービスに注力し利益の最大化を図りなさい、ということになります。

利用者本位ではなく企業本位となり、利用者にとって本当に必要なサービスよりも企業の利益にとって必要なサービスを優先する形になるわけですね。

資格が保証するもの

資格が保証するものとは「その人がそれだけの能力を持っているか」という立場であり、「その人がどんな人か」という人格ではないのです。


介護福祉士のような力のある資格を持つのは、あなたの人格以上にその資格を持つという立場で判断されるということなのです。

ここを見誤って「ひとまず介護福祉士を取ればいいよね」といった動機で介護福祉士の資格を取れば、半永久的に「介護福祉士としての自分」を背負わされることに後から気づくことになります。


仕事をしていても「介護福祉士なのに」という目で見られ、周囲から必要以上の専門性・能力を求められます。
プライベートでも普通の人ならば咎められない「ちょっとしたこと」で、「介護福祉士なのに」と必要以上の清廉潔癖さ・正しさを求められます。


「そんなことはないだろう」と介護福祉士の方は思われるかもしれませんが、2020年新型コロナウイルス蔓延下において「介護従事者が社会から何を求められたか」を思い返してみてください。


あのとき、介護従事者は相手が新型コロナウイルスの感染者であっても介護を止めなかったはずです。
今よりもPCR検査が十分行われない中、感染リスクが不明確であっても直接人に触れる介護を止めなかったはずです。

それは何故でしょうか。
多くの場合自分の選択で介護の手を止めなかったというよりも、社会がそのように求めたから介護をしていたのではないでしょうか。


そうした社会の必要性に応えるかどうかは本来個人の自由です。
しかし2020年においては「いま介護の手を緩めればこの方の生活は本当に成り立たなくなる」という緊迫感がありました。

その中で「感染リスクを恐れて介護を辞める」という選択肢がどれだけ自由に選べたのでしょうか。

介護従事者が「気にし過ぎではないか」と思っていても、サービス利用者やその家族は介護従事者と同じように「気にし過ぎ」と言えたのでしょうか。

介護従事者の感染リスクが高まると承知していても介護サービスを求めなければならない状況で、時に「介護従事者なのだから」と社会的抑圧を用いらざるを得ない彼らの葛藤を、どこまで推し量ることができたのでしょうか。


このことは今後もよく考えておいた方がいいテーマだと思います。


このように見ていくと介護従事者、その中でも国家資格である介護福祉士に求められるものは時として重大になります。

社会において重要な位置付けにあるからこそ「新型コロナウイルス感染症緊急包括支援交付金(介護分)」が慰労金として国から支払われることにもなるのですから。


資格には本人の意思とは関係なく社会から「そのように振る舞うこと」を求められる力が働く場合もあるのを、どうか覚えておいてください。

そして資格を取る際の一つの基準にしてみてください。


今回は「名称独占資格」である介護福祉士を例にしましたが、これが「業務独占資格」の医療・看護であれば社会から受けるプレッシャーは介護従事者の比ではないはずです。

医療従事者しか医療・看護が許されていない状況で感染の最前線に立つことを求められるというのは、ほぼ逃げ道を塞がれているのと同じではないかと思います。


その中でも日々医療・看護に当たる姿勢に頭が上がらない想いです。

~ つづく ~

【併せて読みたい記事】
新型コロナウイルス感染症緊急包括支援交付金(介護分) から見る介護士のあり方
コロナ禍で問われる「介護士として働く意味」
介護の資格ってどこまで必要?


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