かけがえのない利用者さんとの思い出 ②初心者のふるまい

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前回に引き続き、かけがえのない利用者さんとの思い出をお話していきます。

「わかる」前提で「わかったつもり」になるのではなく、
「わからない」前提で「わかりあう」。

そのエピソードの続きとなります。

なお「障害」の表記については「障がい」とするのか「障害」「障碍」とするのかで様々な考えがあるかと思いますが、僕個人は「表記の仕方で障害にかかわる諸問題の本質が解決するものではない」という考えですので、私的立場においては以降「障害」の表記を用いることをあらかじめご了承ください。

食事の常識に縛られる

僕たちは自分でも知らない内に常識に縛られています。
「こうすべき」というものを刷り込まれていて、「そうでない」ものが現れた時に混乱してしまい、否定しがちです。

そのことを、僕は彼の食事介助に入ったときに思い知りました。


何せ、彼にとっては食事ですら「遊び道具」なのです。

お腹が空いていれば食欲の方が勝り食べ始めるのですが、その気にならなければおかずを指で摘んで潰したり、汁を口につけてブクブクと泡を吹かせたりと、思うがまま遊びまくるのです。

その様子はどう見ても「食べ物を台無しにしている」訳ですから、普通なら「止めなさい」と叱るところです。

僕も当然「ここは止めないと」と思い、彼の目を見ようとしました。


ところが、です。


声を掛ける一瞬、彼よりもパーテーションで区切られたその一角に目を奪われました。


何があったのか。
そこには、彼が付けたであろうおかずの跡がこびり付いていました。


トマトケチャップのような赤い二本線も引かれていて、黄色は間違いなくカレーだろう。
橙は全力で握りつぶしたハンバーグのかけらにも見えるし、煮魚の汁にも見える。
緑は青菜かほうれん草で、紫はもう巨峰しか思いつかない。


そんな色とりどりで、しかしキレイとは言えないその跡に僕は強烈に惹きつけられてしまったのです。


声なき叫び

その汚れが、僕には彼の心の叫びに見えました。

皆と一緒になれずに退屈で仕方がない。
悔しい、何でだ、怒ってる…。そういった複雑な感情がありありと伝わってきたのです。


一端そう見えてしまうと、僕はもう何も言えなくなってしまいました。

こうしてみんなと離れた場所で一人ご飯を渡される彼の姿は寂しそうで、悲しそうで。
僕は側にいて怪我だけしないよう見守ろうと決めました。


すると突然、彼が汚れた手のままで僕の首に手をやって自分の顔に引き寄せました。


あまりの事に周りの職員も介助の手を止めてこちらの様子を見守ります。

僕は、引き寄せる力こそ強かったものの、彼が顔を寄せてからは大して力を入れていないことが彼の手から伝わってきたので、手振りで「大丈夫です」と職員に伝えました。

なんというか、温かい。
引き寄せる指はおかずでベトベトになっていておいしそうな匂いがするけれど、なんだか彼の心が喜んでいるように感じられました。


その後、彼は一切食事を食べずに僕の見守る中でひたすら遊び尽くしました。
その日が偶々パスタだったので、麺を指先でくりくりしながら、その様子を実に楽しそうに見つめていました。

「とりあえず彼の気が済むまでは首筋の汚れを拭き取らずにおこう」
パーテーションにつけた汚れと同じ跡を消すのはなんだか彼との絆も消してしまうような気がして、僕はされるがままに身を任せることにしました。

~ つづく ~

小休止 ~初心者のふるまいを~

前回でもお話ししたように、障害者支援、とくに重度の障害を持たれる方への支援においては目に見えるものだけでは彼らからのメッセージに気づきにくいところがあります。


というのも、僕たちはいわゆる「健常者」(この言い方もどうなのか…)であり、五感や身体を使える世界のなかで生きています。

目で見て、耳で聞き、鼻で匂い、肌で感じ、舌で味わう。
手足をはじめ身体を思うまま動かすことができ、なによりその感覚を広く共有できています。

ですから、そのうちのいくつかが失われた感覚というものを想像しにくい。

「目が見えない世界」や「耳が聞こえない世界」、「手足が動かせない世界」など、またそれが複数に折り重なった世界について僕たちは初心者なのです。


初心者なのですから、その世界で数十年を生きた先輩である彼ら熟練者から学ぶ姿勢が求められます。

どうすれば自分を楽しませられるか。楽しいか。
人との付き合い方はどうか。どうしたら自分の気持ちを伝えられるか。

その一つひとつを、彼らは長い年月をかけて自分なりに編み出していたり探している最中であったりするのです。


そんな彼ら熟練者ですら手をこまねいているわけですから、僕たち初心者が「その世界」をいきなり理解できるはずもありません。

もし「理解している」と豪語する人がいるのなら、それは「わかったつもり」でいるだけです。
真に迫ることをせず、表面的な理解ですべてを知ったと誤解しているのです。


僕たちは本来彼らのもつ「その世界」にいないのですから、わかりようがありません。

それでも彼らのことをわかろうと「その世界」に入り込むわけですから、そこでは「わからない」前提でなければわかりあうことはできないのです。


「あなたの世界も、あなたのこともわからないから教えてほしい」


そういった素直な気持ちで関わっていく中で、お互いの気持ちが育まれていくのです。

そして初心者こそ素直な気持ちを持ちやすいものですから、「わかったつもり」になろうとせず「わかりあう」ことを大切にしていけばいいのです。


あせらず、ゆっくり。

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