資格を取るって本当に大切? ②実力勝負ができるか

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介護
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前回の記事「介護の資格ってどこまで必要?」では、資格の定義から現存の資格を捉え直したとき

介護の資格は取る『必要』はなく、取る『目的』がある場合に取ればいい

というようなお話をしました。
「何がしたいか」を見失って「こうすべき」という周囲の論理で資格を取るのは危ういですよ、とも。

今回は「それでも資格があった方が良いんじゃない?」と思う方に、介護の仕事のために8つの資格を取った僕が実際にどれだけのものを費やしたのか。

そのエピソードを何回かに分けてお話していきます。

資格を同時に二つ取る理由

あの時僕に許された猶予は3年でした。


一年で取得できる単位数は50で、一年目に50単位取ったとしても4年の進級条件を満たせず再び大学3年生をやり直すことが確定していました。大学を二年留年するわけです。

そしてこの「大学3年生」の二年間を1単位も落とさずにいけば4年になるのと同時に卒業条件を満たすことになりますから、当然このルートを目指します。


そうなると当然すべての講義に参加して、その内容をきちんと理解したうえでテストやレポートを通して単位を取ることになります。

前回の記事「資格を取るって本当に大切? ①大学時代とお金の話」でもお話ししたように僕には大学に友達が一人もいませんでしたから、誰かにノートを借りたり一緒に勉強して励まし合ったりといったことが一切できません。

そしてこの状況を招いたのは人間関係をこじらせた自分なのですから、すべて自分一人の力でやらなければ責任を負えません。純然な実力勝負です。


「福祉住環境コーディネーター」と「カラーコーディネーター」。


もしこの二つの資格を1級まで目指すのだとしたら、どちらも半年に一度同時期に試験が行われるため片方ずつ勉強してストレートに合格できたとしても3年かかります。(当時カラーコーディネーターは1~3級の試験がありました)

級が上がれば難易度も上がりますから、ストレートに合格できるとは限りません。
単位取得すら一度のミスも許されないのに、資格取得にも同じ重さを課してしまえばスケジュール的に破綻してしまうのです。


それでも資格を取らなければ「福祉大を出ておきながら何者でもない自分」として社会に出ていくことになります。しかも二年留年のおまけつき。

とても「卒業」だけでは社会の中で求められる存在にはなれません。何かしら求められるだけの理由を在学中に手に入れなければなりませんでした。


単位は落とせない。資格は欲しい。
その両取りを叶えるためには「踏ん張りどころ」を間違えてはいけません。


そうして僕が下した決断が「資格を同時に二つ取る」ことでした。

どこで勉強する時間を作るのか

資格を同時に二つ取ると決めた以上、次に考えなければならないのは「時間の捻出」です。


まともにやっていたら時間がいくつあっても足りないのは明白です。

なにしろ僕の時間は「講義」「バイト」の2カテゴリだけですでに満杯でしたから、正攻法では到底体がもちません。どこかで「ない」時間を「ある」ようにしなければなりませんでした。


講義の合間の10分を使うだけでは1ページ理解するのにも足りません。
昼食を早めに済ませてみても、机のある図書室やコミュニティセンターで空席を探すのにも時間が掛かります。

家に帰ればすぐにバイト。夕方5時から夜の22時まで働いた後はもうお風呂に入って眠るしかありません。通学に片道2時間かかるため、翌朝7時には家を出なければ1限目に間に合わないのです。

土日にもバイトを入れなければ学費が足りませんし、実家に住まわせてもらう以上家の手伝いをするのも当然のことですからそこにも時間が割かれます。


この状況下で、僕はどこに時間を見つけ出したか。
それは「講義」の中にありました。


講義の大半は開始前にレジュメが配られます。

これは講義内容を補足するものですから、配られたレジュメをしっかり読み込めば90分ある講義のうち最初の5分で講義の内容を理解できます。

どうしてもわからない部分だけ講師の話を聞いてレジュメにメモを取ると、後から読み返せばテストやレポートには十分になります。

しかも講義は「学びの空間」ですから、テキストやノートを広げるのに十分な広さがある上に周りも静かです。これほど資格勉強に適した場所はありません。


こうすれば1講義につき85分の勉強時間を確保できます。

バイトのある日は3限目まで、バイトのない日は5限目までの講義を受けていましたから、合間の時間と昼休憩を合わせると一日に約3時間半から5時間半ほど時間を捻出することができました。

純然な実力勝負には「やる」しかなく

勉強をされる方ならここでいくつか疑問が生まれていると思います。

「そんなやり方でちゃんと頭に入っているの?」
「どこで休んでいるの?」
「集中できないんじゃない?」

などなど。

さきほどのスケジュールで言えば大学にいる間の9割は勉強に費やしているので、とても休んでいるようには見えません。

レジュメを読むだけで内容が理解できるほど講義は易しくないですし、人の集まる場所ではどうしても物音が立たずにはいられません。

どうにも机上の空論のようで、現実味があるようには思えないかもしれません。
こればかりは「誰にでもできる」再現性のある話ではなく、「やってのける」実力勝負の話なのです。


僕が12歳のとき体験した「心折れたときの話」」でもお話ししたように、僕の学生時代というものは「コミュニティからの拒絶」と「コミュニケーションへの絶望」によって常に一人でした。

そんな学校生活で唯一楽しめるものがあるとすればそれは「授業」で、僕は勉強することでしか楽しみを見出せないような学生でした。


ですから、僕は勉強するための労力を必要としません。
「自分が知らないことを知る楽しみ」によって夢中になり、気が付けば朝が夕になることもしばしばでした。

周りがどれだけせわしなく動き、楽しくおしゃべりしていようとも。
一旦集中すれば僕の世界から彼らは消え、純粋に勉強を楽しむことができるのです。


疲れない、なんてことはもちろんありません。

ふらふらになりながら下り坂を降りて駅に向かうなんて当たり前のようにありましたし、吊革にぶら下がりながら半分寝ることもありました。よろける転ぶなんて言うに及ばず。

ただそんなものは自分の「やる意思」に比べれば小さなものです。


他の誰でもない自分の選択で地を這うような自分の人生を生きているのだから、自分で「やる」と決めたことを責任をもってやる。

底から自分の望み、その頂に手を伸ばすのなら「できる」「できない」と泣き言を言っていられない。
ひたすら届くように一日を積み上げて「やる」のみ。


周りから見てみすぼらしいと思われるのが嫌だからやらないのか。
どうせやったって取り戻せないからやらないのか。
誰も認めてくれないから、許してくれないから、求めてくれないからやらないのか。

そうやって誰かのせいにして自分の責任を背負えないなら、いつまで経っても何もできない。


そう、自分に言い聞かせ。

周りから「こんな大学生活は送りたくないよな」とつぶやかれても。
「あの人いつも一人だよね」と遠巻きにされても。

それでも、誰よりも自分の人生を自分の力で生きていると胸を張っていられるように。
心だけでも自立した大人であるように。


ただただ、終わりの見えない学生生活を全力で駆け抜けました。


そうして過ごした大学6年間のあいだに、僕は通学時間に資格勉強以外で本を100冊近く読みました。

心理学を中心に哲学・宗教、科学など幅広い分野の本を読み漁り、人と満足に話せず一般常識に欠ける自分自身を補おうとしたのです。

ただそれは常識というよりも「教養」だったので目論見は外れましたが、「考える土台」を築き上げるには十分な経験でした。


そして。


僕は「卒業単位」「一般教養」「福祉住環境コーディネーター2級」「カラーコーディネーター2級」「福祉用具専門相談員」のすべてを、思い描いた最短ルートで手に入れました。

~ つづく ~

【併せて読みたい記事】
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資格を取るって本当に大切? ①大学時代とお金の話


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