資格を取るって本当に大切? ③目的を欠いた資格

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介護
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前回の記事「介護の資格ってどこまで必要?」では、資格の定義から現存の資格を捉え直したとき

介護の資格は取る『必要』はなく、取る『目的』がある場合に取ればいい

というようなお話をしました。
「何がしたいか」を見失って「こうすべき」という周囲の論理で資格を取るのは危ういですよ、とも。

今回は「それでも資格があった方が良いんじゃない?」と思う方に、介護の仕事のために8つの資格を取った僕が実際にどれだけのものを費やしたのか。

そのエピソードを何回かに分けてお話していきます。

卒業を前に

前回の最後に在学中に取った資格として「福祉用具専門相談員」を入れました。

これは「福祉住環境コーディネーター2級」や「カラーコーディネーター2級」と違って講座を受けるだけで取得できる資格のため、「勉強」というテーマから外れてしまうこともあって細かくは触れませんでした。

卒業を前に僕がどういう状況だったかを共有するためにも、一度資格を整理しましょう。

資格名説明
福祉住環境コーディネーター高齢者や障害者に対して住みやすい住環境を整備するための調整役
カラーコーディネーター色彩、配色などについて助言をする専門家
福祉用具専門相談員福祉用具に関するアドバイスを行う専門家


こうして並べてみると資格を3つも持っていれば何かしら就職で有利に働きそうに見えます。

福祉用具専門相談員の資格も、福祉住環境コーディネーターと掛け合わせれば福祉用具を取り扱う企業への就職で優位に働くかもしれないと思って取った資格でした。


しかし福祉を学べば学ぶほど「自分は福祉には向いていない」と思い知って、せっかく資格を取ったのに福祉分野の就職先を探そうとしませんでした。(参照:人と話せなかった僕が、人と関わる福祉で10年以上働く理由


いざ働こうというときになって、やはり人と関わることが怖くなってしまったのです。

人と関わらずに済むか、バイトで慣れている仕事をするかを考えて一般企業へ就職しようとひたすらエントリーしていきました。


その結果、全滅。まるで相手にされませんでした。


奇しくも就職氷河期において「大学で学んだこととはまったく関係ない分野に就職活動する留年学生」を受け入れる余裕のある企業はなく、そこに輪をかけて人とまともに話せない奴が面接に行ったのですから当然の結末です。

就職氷河期(しゅうしょくひょうがき)は、社会的に就職難となった時期の通称。

就職氷河期に該当する世代は1970年(昭和45年)から1982年(昭和57年)や1984年(昭和59年)までに生まれた1990年代半ばから2000年代前半に社会に出たり、2000年前後に大学を卒業した、現在において40歳前後や30代後半から40代後半を迎える世代のことだとされる。

就職氷河期 -Wikipedia-


こうしてボロボロの状態になってようやく僕にも覚悟が決まりました。
「もう自分には福祉の道しか残っていないのだ」と。

資格は取ってみたものの…

しかし、ここで大きな問題にぶつかります。


僕はそれまで一度たりとも「施設」に行ったことがありませんでした。福祉の勉強はしてきたけれど現場の経験が一切なかったわけです。

これで卒業とともに「じゃあ介護施設に就職しよう」といったところで、新卒としても中途採用としても半端な僕を施設側が「雇う理由」がありません。

ここまで頑張って資格と取ってきたけれど「その資格を使って何をするか」という視点が欠けていたわけですね。


卒業間際になってその事実と向き合うことになったわけですから大変です。

この時すでにバイトを辞めていましたから収入源は一切ありません。卒業とともに就職するつもりでいたわけですから、まさかここでつまずくとは思っていなかったわけですね。


自分が就職して給料をもらうまでの道筋をもう一度組み立て直す必要がありました。

しかも「なんとなく就職できたらいいよね」というような甘い考えではなく、就職するところまで約束されている手立てを見つけ出さなければなりません。

大学に掲載されている求人情報は既に来年度卒業生に向けてのものでしたし、ハローワークでは採用条件に「ホームヘルパー2級(現:介護職員初任者研修相当のもの)」や「介護福祉士」を掲げる施設が多かったため、当時の僕では採用条件すら満たせませんでした。

しかしおかげで「ホームヘルパー2級」を取りさえすればひとまず選択肢は増えることがわかったため、ここに一縷の望みを抱いてホームヘルパー2級の講座を開くところを探しました。


ただこれが一筋縄ではいかなかったのです。

資格を取るために、走り回る?!

今でこそ資格講座を探すのはスマホ一つで簡単に調べられますが、当時はパンフレットを頼りに限られた情報の中で選ぶより他ありませんでした。

そしてそのパンフレットも自分一人で集めるしかなかったのです。


なぜなら当時の僕は人と満足に話が出来なかったので「誰かに頼んでパンフレットをもらう」ことができませんでした。大学に知り合いは一人もおらず、大学職員や書籍コーナーの店員に話しかけることもできなかったのです。

「なんで?!」と思われるかもしれませんが、人と話そうとすれば極度に緊張してストレスを抱えます。そうすると全身が硬直し、頭の中が軽いパニック状態になって逃げだしたくなります。

12歳の時に感じた「コミュニティからの拒絶」と「コミュニケーションへの絶望」がどうしても頭から離れず、会話することを諦めてしまうのです。


今でこそ改善されましたが、この二つの呪縛はなかなか抜け出せなかったですね。


そういった事情から僕は本屋を見つけてはパンフレットを見渡し、介護関連の資格が掲載されたパンフレットをかき集めました。


にわかに信じられないかもしれませんが、パンフレットを手に入れるためだけに一日を費やすことなんて珍しくもありませんでした。

当時住んでいた実家近辺では本屋が一件しかなかったものですから、時に原付で隣町まで本屋巡りをしたこともありました。幸い定期券の有効期限がまだ切れていなかったため、都市部に降りてクタクタに疲れ切るまでひたすら本屋を探し回る、なんてこともしました。


当時でも電話での資料請求はできたかと思いますが、僕が大学に行かなくなった「人間関係のこじれ」に携帯電話が大きく関わってしまったため、当時の僕は電話が満足に使えませんでした。

この頃は人の感情を避けようもなく送ってくる電話に恐怖し、電話が鳴る数秒前に電話が掛かる気配を察して神経がかき乱される感覚をまだまだ引きずっていた時期ですから、僕に「電話」という選択肢はなかったわけですね。


人と満足に話せないし、電話も満足に使えないという大変さが、なんとなく伝わったでしょうか。


資料一つ集めるのにこれだけの労力を費やしてしまうわけですから、HSPによる「生きづらさ」がどういう世界なのか、その一端を垣間見れたのなら幸いです。

「お互いの知らない世界を知る」相互理解がどんな人にも優しい「福祉(しあわせ)」を実現するのですから、「こういう人もいるんだな」というストックが多いほど人に優しくなれるものです。


こうして探し出したのが「ニチイ学館」のホームヘルパー2級講座でしたが、今はインターネット上で資料請求できるわけですから本当に便利になりました。

必要な情報を入力して最後にクリック一つで欲しい資料が手に入るなんて夢のようですね。



ホームヘルパー2級の講座を取るときに、僕が「人のつまづかないところにつまずく」HSP(ハイリ―センシティブパーソン:とても敏感な人)による繊細さによって介護・福祉における自分の立ち位置を見つけ出す話は「人と話せなかった僕が、人と関わる福祉で10年以上働く理由」でお話ししていますので、ぜひそちらを読んでください。


ホームヘルパー2級の資格をどうにか取ることができた僕は、そのままニチイ学館の派遣社員に登録する流れに乗りました。

そこから僕がどのような経験を積んでいったかは「想い紡ぐ介護士になるまで」を順に追ってもらえればわかりますので、ここでは割愛させてもらいます。


派遣社員として実務経験を重ね、派遣社員を辞める頃にいよいよ「介護福祉士」を目指すようになりました。

~ つづく ~

【併せて読みたい記事】
想い紡ぐ介護士になるまで
HSPについて ~生きづらさを生きやすさへ~
人と話せなかった僕が、人と関わる福祉で10年以上働く理由


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