神経質すぎる利用者さんとの思い出 ⑤過ごす時間の価値

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介護
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前回に引き続き、神経質すぎる利用者さんとの思い出を話していきます。

「細かさ」によって苦しめられるというのなら、その「細かさ」が生まれる前に原因を解消する。
それはその方以上の「細かさ」を抱え込むことになったわけで…。

今回はその続きとなります。

「気づき」という祝福

その方が自分の「細かさ」によって傷つく機会が減ったことで、僕とその方との仲は深まっていきました。

以前のように目くじらを立てられることもなくなりましたし、その方への介助速度・精度が増していくにつれて「今日の(野球の)試合はここが良かった」「今日はだいぶ冷えるねぇ」といったごく普通の雑談をしたりするようにもなったのです。

そしてそうなる頃には「あなたがしっかりやってくれるおかげで僕はずいぶん助かっている」とほめていただく回数も増え、また他の職員さんもその方からのナースコールは僕に委ねるようになっていきました。

良くも悪くも僕がその方の細かさに応じ過ぎた結果、「その方担当」という雰囲気になってしまったのです。


そのことについて、当時の僕は特に気にしていませんでした。
むしろその方の「細かさ」に寄り添えず下手に不穏にさせてしまうくらいなら自分が対応したほうがスムーズだと考えるようになったのです。

そしてそのように対応することで、現場の他の問題点についても「気づく」ことができるようになっていきました。


誰と誰を近づかせると口げんかが起きやすいとか、その場所に物が置いてあると数分後に車椅子で通る方が思うように通れず不穏になるとか、この時間に指示通りに動けていない職員さんが「なぜ指示通りに動けないか」を推測し先回りしてサポートする、とか。

他にも床の水汚れが気になって自主的に掃除したり、カーテンの乱れを直したり、介護室のカウンターに並べられた置物の角度を正面にそろえたり。


他の職員さんと同じように仕事をこなしながら細かい部分に気づいては直していく、ということを繰り返していくうちに周りからの評価が高まり、僕は介護の責任者たる「サービス提供責任者」の補佐に就くこととなりました。


それは、生まれて初めての昇進でした。

「気づき」という痛み

責任者の補佐となったことで、僕の影響力はさらに増していくことになりました。


福祉系の大学を卒業し福祉に関しての学びが深いこと、最低限のパソコン操作ができること、リスク回避・問題解決に長けていることなどが相まって、補佐でありながら補佐以上の力を持っていたのです。

訪問介護に関する書類を手早く作り、一日の訪問介護記録を確認して修正点を洗い出したり認め印を押したりも早く正確に行いました。それと同時に現場での介助に勤しみながら他の職員さんと同じかそれよりも早く通常業務を終わらせていたものですから、見る人が見れば異常だったのでしょう。


そんな姿を見せつけられると頼りたくもなりますし、なんとなく敵に回せない雰囲気が出てきます。

その余波を受けざるを得なかったのが責任者で、書類一つ介助一つとっても比較されるようになっていたようです。実際言われたことはありませんでしたが内心「そこまでしないで」とは思われていたでしょう。

当時の僕はそのことにまったく気づきませんでしたし、今となってもこれは推測の域を出ません。
目の前の問題にいち早く気づき、ひたすら解決する。それ以外に意識が向きませんでしたし、すべての職員はそうあるべきだと思い込んでいました。


ただ、危険を知らせるシグナルはこの頃から出ていました。
責任者の補佐として走り回っているなかで、息切れしやすくなっていたのです。


またこの頃から何の予兆もなく心臓がチクリと痛むようになりました。

当時29歳。
健康診断では脂質異常症の診断を受けていましたし30代目前でしたから「そろそろ健康に気を遣う年になったんだなぁ~」くらいに思っていました。

FineGraphicsさんによる写真ACからの写真

小さな約束と別れの時

ある日、その方がケアマネージャーさんに「週に一度は外に出て気分転換をしたい」と申し出たことから毎週日曜日の昼すぎに施設回りを散歩することになりました。

施設では「まず訪問介護を、それで賄えない部分は有料老人ホームの職員として」というスタンスで介護サービスを提供しており、本来であれば「週一度の散歩」も訪問介護で行う予定でした。

しかし制度改正から実態・効能の薄い脳刺激や外出支援などが訪問介護の単位として申請しにくい状況となり、「有料老人ホームの職員として」その方の外出を担うことになりました。


施設側からすれば「タダ働き」のような雰囲気でしたし、「タダ働きという雰囲気である以上職員の負担である」と受け取られていました。(実際には入居費として頂いているわけですが)

そして何より「その方」への介助でしたから、なかなかやりたがる人がいません。
「誰がやる?」で職員同士がけん制し合う不穏な空気になりかけたこともあり、責任者と補佐で持ちまわることとなりました。


しかしふたを開けてみれば責任者がその方の散歩をするのは月に一度あるかないか。
ほぼ毎週のように僕がその方の散歩を担うこととなり、そこから僕に「日曜休み」はなくなりました。

内心「なんだかなぁ」とは思いながらもその方との散歩は楽しい時間でしたし、日曜勤務自体は平日に比べると楽だったので良しとしました。


施設周辺は畑が多かったので、晴れた日に出かけると心が晴れやかになりました。
それはその方にとっても同じで、四季折々で変わる作物の育ち具合、あでやかに咲き誇る花や通りかかる家の軒先で実る果物を見て回るだけで充実した時間を過ごせました。


散歩では室内以上に開放的な気分でいろんな話をしました。
息子さんやお孫さんのことや食事や薬について。自分の健康状態への不安や「細かさ」についても、感じるままに話されていました。


その中でも印象的だったことが一つあります。
いつも通り散歩に出かけて施設から少し離れた通りを歩いている時でした。


「ナカさん、僕は悔しいよ」


車椅子を押す手を止めず、僕は「何かあったんですか?」と尋ねました。帽子をかぶる後姿がどことなく寂しげに見えます。


「あなたは本当によくやってくれる。だから僕はあなたを信用するし、安心できる」
「ありがとうございます」
「でも、どうしても他の人だとうまく行かない。細かいこと言っているのはわかってるんだ。それを気にしないようにしているつもりなんだけど、やっぱりどうしても我慢できないんだ」


いつもの口調で、いつものトーンで語られたその想いは僕の心に重くのしかかります。
そのことを察してか、一呼吸置いたのち「ごめんね、こんなこと言って」と努めて明るい感じでその方は言われました。


「僕はいつまで生きられるかわからんけど、よろしく頼むね」
「…はい」


少し遅れて返事をする僕に、その方は何を思ったのでしょう。
しばらく沈黙が続いた後でいつも通りの会話に戻っていきました。


時間や能力は有限で、できることは限られている。
あの時僕がやるべきことは「その方の『細かさ』に寄り添う」だけで良かったのか。

その答えを知るのはそこから数年後になりますが、それより先に別れが訪れました。


その方の「細かさ」に寄り添うなかで飛躍的に能力を上げていった僕は、奇しくもその能力を買われて新規施設のサービス提供責任者に抜擢されたのです。

~ つづく ~

小休止 ~今日一日の価値~

介護における「時間」を考えるうえで大切な言葉として「メメント・モリ」というラテン語があります。

メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」、「死を忘るなかれ」という意味の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。

メメント・モリ -Wikipedia-


介護において「利用者さんとの別れ」は切っても切り離せないテーマです。

それがどういう形での別れであれ、基本的には一度別れればその方には二度と会えないことを理解しておく必要があります。どれだけ親しくとも、あるいは冷え切った関係であったとしても。


故に介護士は本人の望む・望まないに関わらず「別れ」について一度は考えざるを得ず、その先で「慣れる」か「悲しむ」かの二択になりがちである…というのが「利用者さんとの別れをどう受け止めたらいい?」のお話しでした。


そのことを踏まえて、もう少し「別れ」について深堀をしていきます。


「メメント・モリ」について考えるとき、「別れの対象が自分にも当てはまる」事実と向き合うことになります。相手から別れるのではなく自分から別れる場合もあり得るのだと。


加えてその別れがいつ訪れるかは誰にもわかりません。


たとえ仕事で異動を言い渡されたとしてもその前に不慮の事故に巻き込まれないとは言い切れないのですから、異動の日が別れの日とは言えないのです。
また場合によっては異動が早まることもありますから、決められた日時を基準にしても状況によってどれだけでも変えられてしまうのです。


当たり前のように明日が来ると思っていたけれど、そうではないかもしれない。
あるいは目が覚めたときには何かしらの不調を抱えてしまうかもしれない。


これらは「考えだしたらキリがない」ことではありますが、そうならないと誰にも言い切れない以上そのことを考えずに今日一日を何となく生きていくのは深い後悔を生み出す可能性があります。


このように「時間や能力は有限で、できることは限られている」ことを自覚すると「今日一日の価値」について考え直すきっかけになります。

介護で言えば「今日任された仕事をどのように行うか」であり、「相手の想いに寄り添うことを恐れて事務的に介護を行うのか、それとも親身に寄り添って行うのかが問われる」ということです。


「明日からしっかりやればいいや」と思って今日一日をやり過ごしてしまうと、明日にはできなくなるかもしれない。
明日自分も相手も無事と言える保障は一切なく、特に高齢者介護において「一日」を乗り越える価値は活力ある人々の想像する範囲を悠に超えています。


今日「一日」にどれだけの想いが込められているのか。
これまで辿ってきた人生と、今の自分の在り方と、環境と。
その一つひとつに思うところを秘めて迎えるその「一日」が、誰によって支えられているのか。


そのことを思えば。


介護士が利用者さんと出会ったその瞬間から時間に猶予はなく、今持てる能力をまんべんなく奮うより他寄り添う術はないのです。

【併せて読みたい記事】
想い紡ぐ介護士になるまで
利用者さんとの別れをどう受け止めたらいい?


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