忘れがたい利用者さんとの思い出 ③想いの力

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介護
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前回に引き続き、今回も「忘れがたい利用者さんの思い出」についてお話していきます。

介護士として自立支援の観点から行き過ぎたおもてなしをさけること。
それが忘れがたいその方との出会いでどのように働いていくのか。

今回はそのような話になります。

さわらぬ神に…

午後に差し掛かり、その方の入浴時間となりました。

ここでそれまで張り詰めていた空気が更に冷たくなります。
一体どういうことだろうと考えてみると、入浴担当が僕だったことを思い出しました。

よりにもよって今日まで満足に仕事ができていない僕がその方の入浴担当をしようというわけですから、その方の逆鱗に触れること必至という訳です。


「何だってこんな組み方をしたのか」
「あいつに任せるくらいなら主任がやればいいだろう」


そんな風に利用者さんから思われていたかもしれません。

僕としてはこれまでの三日間で自分の無力を思い知っていたので、今更守るようなものはありません。自分から怒らせるような真似はしないにしても、それでも結局は怒られてしまうのは身に沁みてわかっていました。


最早なるようにしかならない。
そんな覚悟とは程遠い諦めが心の中で広がっていくのを感じました。



僕はその方を脱衣室までエスコートし、入浴担当のパートさんと一緒にその方の入浴に取り掛かりました。

通常こういった通所の入浴は団体浴なのですが、その方が一番風呂で個浴なのは確定事項です。余人の入る間などありませんし、入る勇気のある方もいませんでした。


その方は肘付きの椅子に席に座ると、ゆっくりと服を脱ぎ始めます。
その動きを二人でそれとなく見守り、余計な口出しはしませんでした。


なぜならこれまで以上に「話しかけるな」という雰囲気を醸し出していたからです。
その場に誰がいたとしても「今話しかければ命が危うい」と感じるほど冷たい空気が漂っていました。


ですから、当然「話しかけない」のが正しい選択だったのですが、この時僕は良くも悪くも諦めの境地にいました。


「あの、手伝わせてください」


僕の発した一言にパートさんの顔が一気に青ざめる。目を大きく丸めて「何て事言い出すんだ!」と発狂しそうになっていました。

手を差し出す勇気

案の定、その方がギロリと僕を睨み付けてきました。

警察官として長年働いてきた人ですから、眼光の鋭さは常人のそれではありません。並大抵の人はその眼だけで泡を吹いて倒れかねませんし、僕も息を飲みこんで詰まらせかけました。


ただ不思議とこの時の僕には一つ、確信がありました。


きっとその方は今の扱われ方に満足していない。
人と無闇に関わりたくないが、神様のように、腫れ物ののように扱い孤独にして欲しいとは思っていないと、そう感じたのです。


半歩後ろから見守る背中は寂しそうで。
「おはよう」と声をかけても皆が恐縮してしまう光景も、うやうやしい態度ばかり見せる職員も、その方に寂しさを感じさせてばかりではなかったか。

もちろんその方の怒声を浴びせられるのは誰でも恐ろしい。
機嫌を損ねて施設利用を断られてしまったら収益にも響いてしまうし、その責任を負わされるのも理不尽だ。

でも、それはあくまで施設側・職員側の都合でしかない。
自分たちが傷つきたくないから相手の心を傷つけてもいいというのなら、そこに福祉はない。

それでいいのか。ここから目を逸らして逃げるのか。
そう問われている気がして、僕はその方に手を差し出しました。



手を差し出す覚悟を決めた瞬間、僕の中から恐怖は消えていきました。

その方の瞳は鋭いけれど痛くはない。
ただ誠実に僕の真意を、本気を測ろうとしているだけでした。


こういう時には何があっても目を逸らしてはいけません。
ここで目を逸らしてしまうと二度と信用してもらえなくなると、僕の直感が伝えてくれました。


どうしてそう感じたのか。
後になって考えてみると、それは自然な流れでした。


中途半端に手を差し出して逃げるような人を、誰が信じるのでしょうか。

その方の人生の中で人を騙し、裏切り、傷つける行為が何度起きたのでしょうか。

たやすく気を許す訳にはいかない責任ある職業を長年勤め上げた方に対し、全身全霊で応えずにどうして思いが通じるのでしょうか。


そう思えば、目を逸らしてしまったらその方の想いに近づくことはできません。まして自分の想いを信じてもらうことすら叶わないのです。



僕は自分を曝け出すように力を抜き、その方の目を見つめ返しました。

(僕に他意はありません。ただあなたの手伝いをしたいたけです)

頭の中でそれだけを考えていました。


一体どれだけ経ったのか。
無限に続くと思われるほど長い時間、その方と僕は目線で意思を交わし続けました。


そうして


「頼むわ」


その方は僕の申し出を受け入れてくれました。

~ つづく ~

小休止 ~想いの力~

誰しも生きていく中で大きな決断を迫られる時が来ます。

中にはそうとは意識しないまま選び、振り返れば「あの時の決断が今の自分を形作っているのだ」とわかることもあります。

その意味で「ここで逃げたら終わりだ」とわかる瞬間こそが覚悟を決めるときなのだと思います。



僕にとって「覚悟を決めるとき」は「ここで逃げたら介護士として終わりだ」という状況まで追い込まれたときにやってきました。

もしあの場面で「その方」から目を逸らしてしまったら、僕は介護士ではなくなっていたでしょう。

苦しいことから逃げ、つらいことから目を逸らし、「自分は悪くない」と誰かに責任をなすりつけるような人生を送っていたかもしれません。


以前の記事人と話せなかった僕が、人と関わる福祉で10年以上働く理由「福祉をするために必要な素質とは『自分の弱さと向き合えるかどうか』だ」とお話ししました。

それは満足に人と話せず人並みにも生きられなかった僕が、自分の弱さとひたすら向き合うことで「弱いからこそ弱さに共感できる」という強さに気づいたからでした。



「その方」の持つ経歴や能力は施設の院長すら「頭が上がらない」ほど強力なものでした。周りを委縮させるには十分で、それだけにその強さは「孤独という弱さ」にもなったのです。

僕の「人並みに生きられない弱さ」はその方の孤独に反応しました。他の誰もが強さと捉えていたものを、僕は強さと同じくらい弱さだと感じ取っていたのです。

その予感を元に、僕は自分の「弱さ」とその方の「強さ」を結び付けようとしたのです。


強さも弱さも方向性が違うだけで、その絶対値を取れば同じものだと考えられます。

絶対値とは、数値の、数直線上における原点からの距離のこと。

絶対値(ぜったいち)とは


強さも弱さもない状態を原点(ゼロ)とし、強さを+、弱さを-としたとき、強さと弱さが同じ数値ならばその絶対値は同じという考え方ですね。


仮に強さが10、弱さが-10だとしたら

|強さ(10)|=|弱さ(-10)|  ※||は絶対値

となり、強さも弱さも「絶対値10」という点で同じになります。


この考え方を今回の件に適用したとき、「その方の強さ」と「僕の弱さ」の方向性を合わせて絶対値を同じにすれば共感できるだろうと考えました。

それで「目を逸らさない」という方法で「目線」という方向性を合わせ、「見つめる力」という絶対値を同じにしようと試みたわけですね。


こうなったとき、お互いの強さも弱さも同じ「想いの力」へと変わります


その方からすれば、自分の信念を賭けた「鋭い目線」でしたし、
僕からすれば、自分の孤独を賭けた「誠意を込めた目線」でした。


あのとき、僕の想いがその方の信念の総量と同じになれたのかはわかりませんが、少なくとも「こいつは信じてもいいだろう」と思わせるほどには届いたのだと思います。


強さは、弱さ。弱さは、強さ。


強さも弱さも「想いの力」という点では同じで、だからこそ人は自分と向き合うことで自分の強さや弱さの意味を知ったほうがいいのだと、僕は思います。


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