HSPという祝福

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HSP
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前回はHSPについて、その概要をお話ししました。

それだけでも随分長くなってしまったので、今回は僕とHSPの話をしていきます。

はじまりは2019年夏

僕は1980年生まれですが、自分がHSPだと認識したのは2019年の夏でした。

39年もの間、「なんだか人とは違うみたいだ」「どうしてこんな大変なのに、みんな軽々とこなしていけるのだろう」と不思議に思っていました。

長い間その疑問が解決しなかったのは、HSPが1996年にエレイン・N・アーロン博士が考案したもので、約25年前に世の中に認識され始めた言葉だからです。
それ以前にもHSPの性質は存在していましたが、その性質を言い表す言葉が普及していなかったため世間にそうと認識されていなかったわけですね。


そういった事情から、まさか生まれ持った性質が人とは違うなんて夢にも思っていなかったわけです。

なぜなら僕の目からはみんな同じに見えるし、僕が「みんな違う」とわかるためにはみんなから見て、教えてもらわなければわかりようがなかったのです。


想い紡ぐ介護士になるまででも触れましたが、12歳の多感な時期に人と関わることを断った僕には、その「みんな」がいませんでした

そのうえ自分の辛さを口にしても「みんな同じなんだから」と諭されてきましたから、みんなそれぞれ違うのだと心から理解する機会は全くと言っていいほどなかったのです。


僕がHSPという言葉を知ったのはTwitter上でHSP診断テストを見かけたときでした。

知人がやっていたのを見て「そういうのがあるんだ、やってみよう」とやってみたのが事の始まりで、自分が感じるままに診断してみたらHSP度が「中」の判定となりました。


HSPであると思われます」から始まる言葉に、僕は動揺を隠せませんでした。それまで僕は自分を繊細と思わずに弱いのだと思い込んでいました。

もっと言えば「みんなと同じ」だと疑わなかったから自分のうたれ弱さは自分が怠けているからで、努力して改善しなければならないと自分を戒めていたのです。


でも、それは違っていました。そもそも「みんな同じ」ではなかったのです。

みんな違う

それまでの僕は、大なり小なり周りも僕と同じような性質があって、人はそこに人生の労力を掛けて能力を伸ばしてきたものだと思っていました。

それは

本人の性質×費やした労力」=「伸ばされる能力

というような計算式で表せます。

そして本人の性質は誰もが同じだと思い込んでいたものですから、その人が「できるかできないか」は労力、つまり努力次第だと考えていたのです。



この計算式で行けば「僕が打たれ弱いのは打たれ強くなる努力が足りないからだ」ということになります。
そしてこういう考え方を誰にでも当てはめてしまうと「その人ができないのは単純に努力が足りないから」となってしまいます。

しかし実際には「人」という土台は同じでも、一人ひとりが持つ性質は異なります。なのでこういった努力論は根本から間違っているのです。


「みんな違う」という前提でなければ「何かの不足はその人のせい」とみなされてしまいます。

実際には周りの環境がその不足を生み出していても「みんな同じなのだから、その人だけ足りていないのはその人のせいだ」と決めつけてしまい、疑問が持てなくなってしまいます。

そうして責められた人も「みんながそう言うんだし、そうなんだろう」と疑問を持たずに受け入れて自分自身を傷つけてしまうのです。

そうなってしまえば「責任を問うみんな」と「責任を問われる自分」という構図から抜け出せなくなり、責められた人は自分自身を認められなくなってしまいます。


生まれ持った性質を認めないのはその人自身を認めないのと同じことです。
だからこそ「みんな違う」という考え方が大切なのです。

介護士とHSP

みんな違う。本来このような話はHSPではない人からすれば当たり前かもしれません。

長い付き合いでもなければ相手の気持ちはパッとはわからないでしょうし、相手の受けた刺激が自分にも同じように感じられることもないでしょうから、生きていく中で自然と自分と他人を切り分けていけるのでしょう。

しかしHSPの中には相手の気持ちを察する人もいるし、痛みをも感じてしまう人もいます。


たとえば僕は相手の気持ちを言葉を超えた感覚で察することがあって、それが介護に役立つことが度々あります。

これまで働いてきたどの介護現場でも

「(利用者さん)みんな、ナカさんのこと好きだよね~」

と周りから言われることがありましたが、それは普段の関わりの中で彼ら彼女らが言葉にできない部分を察して対応しているからではないかと推測しています。


身体介助をしていても利用者さんのニーズに深く刺していることを実感するときがあって、その積み重ねが好かれる要因になっているようです。


もちろんこれは「常に100%そうできる」というものではありません。利用者さんと僕の状態が合わなければズレが出てしまいます。

介護にまつわる知識や経験、技術が年々増していくことで合わせる精度は上がってきていますが、HSPの特性を根拠に「あなたならできるでしょう?」と言われても難しいですね。


大切なのは、HSPの共感性の高さが利用者理解の手助けをしてくれるという点です。

察しすぎるが故に会話を必要としない

とはいえ、共感性の高さも捉え方を間違えばかえって自分と相手を傷つけてしまいます


子どもの頃の僕は、一日に一度も会話をしない日が何日もありました。

当時の僕は周りの様子を見ていれば次に何をするのかがわかるし、何をしてほしいのかもわかるので「会話をする」というのがただの確認作業でしかありませんでした

たまに外すこともありましたが、それは細かい部分であって方向性を外すことはなかったのです。


となれば会話をするだけ時間のロスであり、「みんな同じ」と思い込んでいた僕からすれば、みんなが「時間つぶしのためにわかりきっていることを言葉にして確認しているだけ」に思えてならなかったのです。

当然そんなわけはありませんから、ここに大きな誤解が生まれます。

みんながお互いの意思を確認し一致団結して頑張ろうとしているときも、僕にはみんなしてさぼろうとしているように見えたのです。

わざわざ会話して時間をつぶしている暇があるなら、その時間に動き出してやったほうが早いんじゃない?」と。

実際に言葉にしなくても僕の態度にはそう現れていて、そのせいで散々な目にあいました。
(このあたりの話は「僕が12歳のとき体験した『心折れたときの話』」にて)



先生には何度も叱られ通知表には「協調性がない」と書かれましたし、先回りして係の仕事を終わらせても「そこまでやらなくていい」と一日分の仕事以上のものを元に戻されたりしました。


共感性というのは、相手の気持ちを真ん中に置いて初めて手助けになるのです。

その為には自分と相手を分ける必要がありますから、ここでもやはり「みんな違う」という意識が大切になってくるのです。

HSPは「HSPだと知ること」がはじまり

ここまででHSPの良い面と悪い面の両方に触れてもらいました。
そのどちらにおいてもHSPの特性が有効に機能し始めたのは「HSPだと知った後」からです。

自分がHSPだと知らないうちは「みんな同じ」前提でいましたから、自分も相手も傷つける結果ばかりでした。


前回のHSPについて ~生きづらさを生きやすさへ~でもお話ししたように、HSPはその特性をどう活かすかで生きやすさが変わってきます。


僕は初めてHSPについて知ったときはショックで数か月ほど落ち込んでいました。

これまで自分が信じて疑わなかった前提が跡形もなく崩れ去り、何を基準にして生きていけばいいのかさっぱりわからなくなってしまったのです。

言葉ひとつ身動きひとつで神経をかき乱されてしまい、いてもたってもいられなくなる日が何度もありました。

道行く人がその場に存在するだけで与えてくる莫大な情報に溺れて頭痛がすることも。
人の意識が複雑に絡み合っているのを感じて全身がこわばり疲れ果てることも。
言葉がまるで通じないことも、数分先の未来を先回りしてトラブルを防いだにも関わらず誰にも気づかれず空しくなることも。


それらすべて、HSPの特性から生まれたものだと理解したその日から「生きやすさ」へと変わっていきました。


あらためて「人の想い」がとても愛おしく感じられることも。
目に映るすべてが美しい輝きを持っていると感じられることも。
自然から与えられるエネルギーによって大きな力に支えられていると実感することも。


全部、祝福でした。


生きていく中で無意識に感じ取ってしまう刺激に苦しめられたとしても、その中からきちんと幸せを感じ取れるのだと心から理解しました。

まとめ

二回にわたりHSPについてお話してきたのは、自分と向き合うことの大切さをお伝えしたかったからです。
自分と向き合うことで自分の軸を持ち、自信をもって毎日を生きてほしいと願っています。


とはいえ、自分と向き合うことは自分の見たくないもの、目を逸らしてきたものと対面するということでもあります。そこには得も言われぬ苦しさがあって、多くの人はその苦しさに耐えきれずに逃げ出してしまいます。

ですが、僕はHSPという「自分」と向き合うことで傷つきはしたものの、それとは比べ物にならないほどの幸せを得られました。


苦しみの先には得難い幸せがあるという一例を、どうか覚えておいてください。
この先どうしても自分と向き合わざるを得なくなってしまったとき、救いとなりますように。

【併せて読みたい記事】
HSP診断テスト
HSPについて ~生きづらさを生きやすさへ~
想い紡ぐ介護士になるまで


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