介護から見る「個人」はこんなに違う?!

介護

介護の仕事には「これだ!」という明確な答えが出ないものが多いです。

その理由は仕事の対象が「個人」だからなのですが、おそらくこの「個人」の捉え方が通常の捉え方とは違うと思いますので、今回はその話をしていきます。

介護における「個人」

通常の個人と介護における個人の差は「本人が持つ生活上の困難さ」になります。

何気ない会話で個人の話が出てくるとすれば、それは一般的な常識や知識、それに伴う判断力や技能などを備えた「ごく普通の人」を前提とするはずです。


たとえば「カフェに注文に来た人がいた」という話をすれば、無意識に自分で店のドアを開け、カウンターまで歩き、自分の声で注文をする人を思い浮かべるでしょう。



ところが同じ「カフェに注文に来た人がいた」という話を介護での「個人」を想定した話に変えるとこうなります。


まず、扉を開けられるだけの能力があるか

体を動かすことのできない身体障害の方であればその扉を開けるのは本人ではないかもしれません。
また認知症の方であれば「扉の開け方」がわからずにパニックになることも考えられます。それでもなお店に入って来られたのであれば、同伴者がいるのかもしれません。


次に、カウンターまでどうやって移動したか

自分で歩ける方であっても店の中がうす暗かったり狭かったりするだけで緊張してしまい立ちすくんでしまうかもしれません。段差の多いところでは杖や歩行器などではやはり移動するのにためらわれます。

これが車いすだと自走式か介助式かによって安全度がかなり違ってきます。自走式の場合、ある程度自分の意志で車いすを操れますから本人が安全を確認したうえで移動されたと考えられます。

介助式ならば安全度は介助者の力量によって左右されますから、その介助者が車いすに乗る方や車いすの構造自体をどこまで知っているかで安全度が変わってきます。


最後に、どうやって注文したか

自分の声が出せる方ならば自分が欲しいものをそのまま声にして店員さんに伝えられたことでしょう。しかしその方が言葉を話せる人だとは限りませんから、例えば音声を読み上げる機械を使って自分の意思を伝えたのかもしれませんし、同伴者がいて本人の意思を確認したうえで店員さんに伝えたのかもしれません。


どうでしょうか。
ただ「カフェに注文に来た人がいた」という一文だけでも、その個人についての捉え方がここまで違ってくるのです。

介護における「個人」とは、「その人が生活のどの部分に支援が必要か」について事細かに捉えたうえで成り立つ個人なのです。


であれば当然、そういった方々を支援する介護士には相応の知識・技術が求められるわけですね。

介護の「答え」を見つけ出す

冒頭で「介護の仕事には『これだ!』という明確な答えが出ないものが多い」とお話ししました。
それは個人をとても細やかに見ているからで、そうしなければその方の困っている部分へ焦点を合わせられないのです。


もし介護士が自分の支援する相手を「自分と同じ」という感覚で捉えてしまったのなら、そこにあるのは「自分と同じことができない」という優劣でしかありません。

そしてそれは「してあげる」という上下関係の支援を生み出してしまうのです。

もちろんこれは介護士の思い込みでしかありませんから、そのような介護士は自分の仕事が誰の願いによってもたらされているかを毎朝10回は思い浮かべると良いでしょう。


介護をするうえで大切なのは、自分の思い込みを一旦取り外すことです。


自分の常識の中で相手を見てしまっては、相手の悩みを察することも、その想いに共感することもままなりません。
ただ自分が教わった「誰かが決めた答え」に従って無機質な介護をするのみです。


相手の悩みも想いも、すべては相手の常識の中にこそあるのです

それらは介護をする人の中にはないのですから、自分の常識から「答え」を探し出そうとしても見つかるはずがありません。
故に、相手の常識へ飛び込んでいくために自分の常識を一旦取り外す必要があります。

相手の世界観を一旦ありのまま受け止め、解釈していく。
その営みの先に、その相手にとっての「答え」が見つけ出せるのです。

そしてその「相手」が変わればまた別の常識があるわけですから、また一からその相手にとっての答えを見つけ出しに行くのです。


介護は、その人との想いを紡ぐ営みを果てしなく繰り返すものなのです。

まとめ

介護の答えが明確に出せないのは、その対象が「生きた個人」だからです。

生きた個人を無機質に扱うのは介護の本質を見失っているのと同じであり、「誰の願いによって介護ができるのか」を思い返すとよいでしょう。

そして生きた個人への「答え」を出すためには自分の常識の枠を一旦外し、相手の常識をありのまま受け止めて解釈すること。その営みを脈々と紡いでいくことが介護の「答え」へとたどり着く方法なのです。


このような営みを繰り返していると、相手への慈しみが増していきます。

そしてそれまで自分が感じていた不満や憤りといったネガティブな感情は、自分の常識が生み出した小さなものにすぎないのだと知るのです。


世界は広く、人の心は果てが見えない。
だからこそ美しく、だからこそ尊いのです。


また僕が介護を考えるうえで参考になった書籍を紹介しますので、よかったら一度読んでみてください。


本からの学びは揺るぎない自信へとつながっていきます。

介護を自分の「感情」頼りにするのではなく、知識や経験に裏付けられた「事実」と併せて行うことで、介護はすべての人を豊かにしていくことができるのです。


一緒に学んでいきましょう。

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