令和7年12月31日。15年に及ぶ介護・福祉歴で培った知識・技術、そして思いを載せた自著『お互いにありのままでいられる「想い紡ぐ介護」への招待』を出版致しました。
そこで今回は本書第1章の「介護とは何か」についてお話しし、介護の現状とそこに潜む根本原因、そして介護で培った思いを共有していきます。今回の記事を読むことで
・介護の現状
・介護と介助の違い
・「想い紡ぐ介護」が介護問題を解決する理由
このような内容がわかりますので、ぜひ最後までお読みください。
介護の現状を共有する
「はじめに」では介護の現状を共有していただくために、以下の内容について触れています。
・介護職員の賃上げが社会を貧しくする構造
・介護、福祉が果たす社会の役割
・介護人材不足が浮き彫りにする国民一人ひとりの課題と「介護をする」準備
・自分事である介護を愉しいものとするために
介護職の賃上げ問題に関してはこれまで過去の記事だけでなく、noteやAmebaブログの記事でもお話ししています。
介護職の賃上げが貧しさを生むのは、介護・福祉職の給料の財源が広い意味での税金である以上、彼ら彼女らの給料を上げる名目で際限なく増税を繰り返すことになるからです。物価上昇に合わせた介護報酬のプラス改定とそれに合わせた予算編成は必要ですが、現状では介護人材不足解消のために介護職の賃上げを謳う構造となっているのです。
また、もっと根本的な部分として「社会にとって介護・福祉はどのような役割を果たしているのか」という点をお伝えしています。それは逆説的に「介護・福祉が機能していない社会」をシミュレーションすることで見え、生命の保障がされない社会ではその国にいる必要性がなくなり、国が国として成立しなくなってしまう構造に触れています。
介護・福祉は安心・安全に暮らせる社会を保障するためにあり、その基盤があればこそ自分や子孫たちがその地域、その国で活動し、自分事として『政』に参加して社会を豊かにしていけるのです。
ひるがえって「介護人材不足」とは社会において生命の保障が十分なされていない現実をあらわにしています。この事態が国民一人ひとりが抱える『生命への無関心・無価値感』から生まれていることを見据えれば、介護・福祉に対して自分事として捉えることが急務だと見えてきます。

とはいえ、介護・福祉は義務や使命感等で行うものではなく、介護の定義や本質をきちんと押さえて愉しく行うことが大切です。それは感傷的な理由からというよりも、渋々やるようなサービスの質・量では介護・福祉が本質的な役割である『生命の保障』ができないところまで来ているのが現状だからです。
例えば令和6年度における介護職員による高齢者虐待は過去最多を更新しており、障害者福祉においても虐待や不正が相次ぐ事態となっています。あるいは日本人の死亡原因の第一位が10代後半から30代後半までが自殺、40代以降が悪性新生物である統計的事実から見ても明らかなように、現在の日本で生命に価値があるならこうした事態は起き得ず、現実は深刻です。
こうした事態を前に求められるのは、自分事として「介護とは何か」に興味・関心を持ち、その本質を捉えた上で介護に関わること。そして介護・福祉が機能する社会を維持・発展させることで自分たちの世代も、次の世代も安心安全で愉しく暮らしていけるよう介護の一部を担うことです。

「介護と介助の違い」を語源から見直し、介護を再発見する
第1章でお伝えするのは「介護とは何か」に対する、現状に即した答えです。何故改まって「介護とは何か」について考える必要があったのかと言うと、現場レベルにおいて「介護と介助の違い」を明確に答えられる介護職員が少ないからです。
よしんば答えられたとしても介護・介助について暗記したものを答えるに留まり、その違いが何であるかを説明できる方は更に少なくなります。
このことを理解していただくためには本来介護・介助の定義について整理する必要がありますが、現状介護・介助には明確な定義がありません。そのため介護・介助の定義を調べてもそれぞれの「これが介護である」という意見が並べられることとなります。
一例として以下を挙げます。
この法律において「要介護状態」とは、身体上又は精神上の障害があるために、入浴、排せつ、食事等の日常生活における基本的な動作の全部又は一部について、厚生労働省令で定める期間にわたり継続して、常時介護を要すると見込まれる状態であって、その介護の必要の程度に応じて厚生労働省令で定める区分(以下「要介護状態区分」という。)のいずれかに該当するもの(要支援状態に該当するものを除く。)をいう。
介助(かいじょ)は、病人、障害者、高齢者など、日常生活行動(ADL, Activities of Daily Living)、もしくは動作(リハビリテーションでは、日常生活動作という)、例えば入浴、食事、排泄、移動、衣服の着脱などといった最も基本的なものについて、自分で行える度合いの低いものについて援助することをいう。
介護と介助の違い
一般的な介護・介助の意味は上のようになり、意味からその違いについて明確に答えることが困難であることが窺われます。そのため介護・介助については語源から理解する必要があります。
介護と介助の語源はそれぞれ「介+護」「介+助」と分けられ、その意味をまとめると以下のようになります。
・介:助ける、仲立ちする、隔てる、挟む、依る、頼る
・護:まもる、かばう、防ぐ、大切にする
・助:力を貸す、たすかる、援助
介護:「介」+「護」=「たすけ、大切にする」→権利擁護(人権を前提)
介助:「介」+「助」=「たすけ、力を貸す」→自立支援(自立を前提)
語源から見た時、介護と介助の違いとは「大切にするのか、力を貸すのか」の違いだとわかります。例えば目の前の利用者に対して「その方の尊厳を守るための言動」は介護であり、「その方が生活していく力を支えること」は介助となります。
そして概念として介護は介助を含み(介護 ⊃ 介助)、「○○介護」とはその根本は権利擁護であり、実践場面においては「介護」にも「介助」にもなり得ます。

今足りないのは「介護人材」ではなく「介助人材」
このことがわかると、現在社会が求めているのは「介護人材」ではなく「介助人材」だと見えてきます。
権利擁護を実践する「介護人材」は一朝一夕では育てられないものの、自立支援を実践する「介助人材」はその知識や技術を伝達すれば、生命が脅かされない範囲の部分的介助であれば2週間もあれば習得可能です。
これは「未経験可」の介護求人を見れば、現場がまず求めているのが「介助の担い手」であることから読み取れます。掲載施設数No.1の⽼⼈ホーム検索サイト「みんなの介護」を運営する株式会社クーリエ(本社:東京都渋⾕区、代表取締役 安⽥ ⼤作)の調査によれば、
「2022年5月に「みんなの介護求人」に掲載されている介護職・ヘルパーの全67,715件の求人のうち、未経験かつ無資格者の求人応募を受け付けている求人票は43,060件をかぞえ、全体の61%にも及びます。」
【みんなの介護求人】2020年から2割増。介護職とヘルパーにおける「未経験可・無資格可」の求人割合が全体の6割を突破
という統計データからも言うことができます。介護は特段資格を持ってやる仕事ではなく、誰でも参加できる仕事なのです。
時折SNSやブログ等で「介護は誰にでもできる仕事ではない」という方がいますが、介護の国家資格である介護福祉士が名称独占資格である以上、「誰にでもできる仕事ではない」は論理的に成り立ちませんのでご安心ください。(「できる(条件)」と「やれる(意思)」の違いがそうした方々の思いを歪めています)
このように「介護人材不足の深刻化」においてもその実態が介助人材不足であると看過すれば、国民一人ひとりが一部でも主体的に介護に携わろうとするだけで解決し得る事態であるとわかってきます。その為、一人ひとりが持つ介護への抵抗感を和らげ、参入障壁を下げることが介護人材不足問題への解決につながっていくのです。

介護の本質がわかれば、介護は愉しくなる
このように介護と介助の違いがわかれば、介護の本質とは社会保障として求められる『生命の保障』に価値を持たせることだと見えてきます。言い換えれば、介護とは生命に価値があることを証明する営みだと言う話になります。
日常生活に支援を必要とする方々が、この社会で安心・安全に暮らせること。
そしてその姿が誰の目にも明らかであること。
この二つが満たされると、その社会では生命の価値が保障されていると言えます。
生命の価値が保障がされていると、その社会の中でどのような自分であっても生きていられる安心感を得られ、物事に対して積極的に取り組めるようになります。自分が住む地域に馴染み、自分の存在が「地域にとって誰もが安心して暮らせる証明」という役割を果たせていることに誇りを持てるようにもなります。
こうなると生きることへの引け目もなくなり、自分なりに地域社会へ働きかける意欲も生まれ、生きる活力にもつながっていきます。

このように一人ひとりが『ありのまま』でいるだけで社会に機能を果たす仕組みを担うのが介護です。そしてその形で行われる介護は、介護者が被介護者に一方的に行うものではなく、お互いがお互いの存在を認め合い、支え合う『お互い様』の関係になります。
何故なら介護者も被介護者も相手の存在がなければ『ありのまま』ではいられず、お互いに生活していくことがままならなくなるからです。介護者は介護する相手がいなければ自分の職能を発揮して働くことすらままならず、被介護者は介護を行う相手がいなければ今日生きることもままならない訳です。
必然、介護者と被介護者は共生・水平関係となってお互いに無理のない間柄となりますから、介護の中で過ごす時間も愉しいものとなります。
介護の日常が笑顔と余裕のあるものとなれば、その姿を見る人々も「なんだかいいな」と心救われる気持ちになります。介護者と被介護者の関係性は周りにも影響を与え、それを体感できるようになると、介護とは単に目の前の人の世話をするものだけでなく、社会に安心感・幸福感を与えるものだと理解できるようになるのです。
その安心感・幸福感が『福祉』であり、社会がその状態を維持することを「社会福祉の実現」と言います。

ここまで整理すると、この社会で福祉を実現し得るものは人々の『想い』だと見えてきます。
想いとは「人間が心の中で抱く感情や思考」であり、『おもう』対象が心に浮かぶ時に使われる言葉です。この想いは介護者と被介護者の間で培われ、温められ、そして次の世代へと紡がれていきます。
この『想い紡ぐ』営みが生命の価値を軽んじられるような今の社会にとって重要です。冒頭お伝えした通り、今の社会を俯瞰すれば生命が危ぶまれる事態がそこかしこで起きており、生命の扱われ方に関して「こんなものか」と感覚を鈍くさせられているように見受けられます。
このまま生命の価値を顧みることなく社会が発展していけば、合理性や効率で人の生命を推し量るようになり、それらに当てはまらない「いのち」が軽んじられるようになることは、ここまでお話ししてきた現状が示唆しています。
そのため、本書ではお互いにありのままでいられる「想い紡ぐ介護」を提唱しています。
それは『ありのまま』『お互い様』『想い紡ぐ』という介護の三つの心得によって成り立ち、一人ひとりが今ここに在る幸せを感じながら、互いに認め、支え合うことで活力を高める「場」を創り、維持する介護のあり方です。
「想い紡ぐ介護」によってその「場」で生まれる『想い』の熱量によってあらゆる困難が解決され、あらゆる幸福が分かち合えることになり、これをもって「生命の価値を介け護る(たすけまもる)」社会の実現を目指すのが本書の役割となります。
【おわりに】「人がどれだけ人を愛せるか」が問われる現代だからこそ
今回は自著『お互いにありのままでいられる「想い紡ぐ介護」への招待』の第1章の概要についてお話ししました。
「想い紡ぐ介護」とはお互いがありのままでいられることで介護を愉しみ、その営みで培われた『想い』の熱量を多くの方々と共有することで「場」を形成し、福祉を実現させる介護のあり方です。
本書第2章では「想い紡ぐ介護」を考えるに至った経緯について、著者の生い立ちから2025年末までを振り返ります。理想や綺麗事と思われる「想い紡ぐ介護」を概念化するまでの道のり、その明暗をリアリティを持ってお伝えする内容となっています。
第3章では「想い紡ぐ介護」を実践するための具体的な方法や認知症の方の対応、そして介護に必ず訪れる「別れ」とどう向き合うのかについて解説しています。介護における一番の問題を「お互いの思いが伝わらないこと」と捉え、どうすればお互いに自分の思いを伝えられるかについて、科学の視点から解き明かした上で具体的な実践方法を記しています。
それらを通して「想い紡ぐ介護」が導く未来には何があるのかを「おわりに」で結びます。
ともすれば個人主義に陥りがちな現代人は「思い」の影響などなく、その恩恵を受けていないように感じているかもしません。その誤解を現在のニュースや統計データを元に解きほぐし、私たちは誰一人余すことなく人々の思いによって生かされている事実を再認識していきます。
「人がどれだけ人を愛せるか」が問われる現代こそ、お互いにありのままでいられる「想い紡ぐ介護」によって生命の価値を思い出し、取り戻すことが求められます。


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